日本を訪れるインドネシア人観光客が、ここ数年で急増した。その流れをさらに加速させようと、日本の旅行業界は、インドネシアで大々的なPR活動を開始する。
常夏のインドネシアに住む人々は、冬という季節に幻想的なイメージを抱いている。だからこそ、日本では真冬に当たる2月頃を選んで旅行する市民が多い。
そしてその現象は、バブル崩壊後に大きな傷を負った、我が国のスキーリゾートを再生させるかもしれない力も持っているのだ。
バブルの後遺症
日本のスキーリゾートは、バブルという異常な時代に異常な発展を遂げた。
だがそれは、凋落が決定づけられた形の発展である。80年代末のスキーブームは、観光業者が黙っていても客が来るという状態だった。
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リゾート地区につながる道路は大渋滞を起こし、ゲレンデに到着してもまともに滑る場所すらないほどの集客。女子トイレは1時間待ち、リフトは3時間待ち、そしてホテルの予約は1年待ちだった。
にもかからわず、ゲレンデに併設されたレストランのメニューは、美味くもないカレーライスとラーメンとビールだけという、営業努力とはまったく程遠い有様だった。
それよりも、新しいゲレンデやペンションの粗製濫造に力点が置かれ、地元の集落にまで地上げ屋が現れたほどだ。
結果、地元にはリフトの残骸と廃屋しか残らなかった。
営業努力の存在しないビジネスは、“ファストマネー”しか稼げないということを知った時点で、もはや手遅れだった。バブル崩壊から長く続いたデフレは、人々に1年先のホテルの予約よりも今月の家計簿の中身を優先させた。
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カレーライスとラーメンしか作れなかったレストランは、当然ながら次々と消滅した。
90年代に訪れたスノーボードブームも、スキーリゾートを復活させる手段には遂になり得なかった。バブル期の放漫経営の罪は重く、同時に旅行業界に深刻な後遺症を与えたのだ。
だが救いの手は、遥か彼方の南国から差し伸べられている。
日本は「夢の桃源郷」
インドネシア人は雪に対して強い憧れを抱いているということは、前編で書いた通りだ。
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だが同時に、アメニティーに対する要求の強い人たちでもある。バブルの頃のように「とにかく人を集め、とにかく腹を満たしてやればそれでいい」とはいかない。
もしインドネシア人旅客にレトルトのカレーやラーメンを出せば、まず驚かれ続いて激怒されるだろう。
彼らの祖国の最低法定賃金は、首都でも200米ドルほどである。それでも“夢の桃源郷”を求めて日本へやって来たのだ。「スキーができればそれでいい」などとは決して考えない。
それに、インドネシア人の大半がイスラム教徒だということも忘れてはいけない。料理に対するハラル認証を取得するのは難しいとしても、豚由来の材料とアルコールを避ける『ムスリムフレンドリー』を心がける必要がある。
そうでなくともインドネシアからの旅客は、この旅行が“一生に一度の旅”となる可能性が高いのだ。何度でも日本を訪れることができるのは、日系企業に在籍しているビジネスマンかアッパークラスの人々のみである。その重みは計り知れない。
リゾート開発と環境保護
バブル期のリゾート開発は、地元の自然環境との調和を無視したものが殆どだった。
大きく広いホテルには大宴会場があり、カラオケがあり、レストランがあり、温泉があり、スイートルームがある。もちろんそれらの要素を求めるのは悪くないことだが、問題はそうした施設を量産するために土地特有の景観を破壊していたという点だ。
インドネシア人は、日本の自然を堪能したいと考えている。春夏秋冬それぞれ色の違う木の葉と山々の表情、海辺の風景、そして桜。繰り返すが、彼らにとっての日本は“夢の桃源郷”なのだ。自然破壊が進み、見渡す限り人工物ばかりのリゾート地は桃源郷とは言わない。
我が国日本は国土の7割が山地で、しかも亜寒帯から亜熱帯にかけての区域に伸びている。広い海岸線を有し、国土の中に特徴的な盆地やカルデラがある。降水量にも恵まれ、1年のうちの寒暖差も大きい。こんな珍しい自然条件の国は、他に存在しない。
「リゾート開発と自然環境保護は相反する要素だ」という言葉は、我が国の豊かさを知ろうともしない人間の言い訳に過ぎない。
日本の自然環境が海外の市民を惹きつけ、それが巨大なビジネスになっているという現状がすでにある。
これからの旅行業界が目指す先は、もはやはっきりと目視できるのだ。
【画像】
※ Galyna Andrushko / Shutterstock