どんなお産も素晴らしいお産 ――赤子が地球を救う

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2015年11月30日 12:01  MAMApicks

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日本のドラマ史上、こんなにたくさん本物の新生児を登場させたドラマがあっただろうか。
現在TBSで放送中のドラマ『コウノドリ』である。

筆者が次男を妊娠中に通っていたクリニックに原作漫画が置いてあったこともあり、以前から内容を読んではいたが、テレビドラマに生まれたての赤ちゃんがたくさん出てくるたび、つい、孫を見る気分でニヤニヤが止まらなくなる。



……そして、バウンサーに座る9ヵ月のわが次男をちらりと見ながら、「お前もう、赤ちゃんじゃなくて、人だな」と思うのだ。

そんな『コウノドリ』、先日放映された第7話では、助産院での“自然なお産”をストイックに目指す妊婦が、最終的に医療介入での出産となり、葛藤する話が出てきた。

筆者はふと、5年前の自分を思い出すのだった。

■安産とはなにか? 帝王切開は残念なことなのか?
第一子の妊娠時。
出産がどういう過程で行われるのか、いまいちピンと来ないなか、すでに8ヵ月に入っていた。そのタイミングで逆子を指摘され、安全のため帝王切開をすすめられたのだ。

生まれてこのかた、手術というものをしたことがなかった。
体にメスが入るのは怖い。

出産がどのくらい痛いのかわからないけど、可能であれば普通に生みたいなあという思いが強かった。

医師に、できれば切りたくない旨を告げると、逆子をお腹の上から押し回して治す「外回転術」というのをすすめてもらった。

これもこれで早産のリスクがあり、医師の技術や体調によってはものすごく激痛になる。
しかも、一旦逆子が治ったにもかかわらず、もう一度逆子になってしまった筆者は、通算2回の外回転術を受けることとなった。

しかし、ここまでやっても、切るときは切らなきゃいけなくなるのだ。

41週6日まで待っても生まれる気配がなかったため、入院。
微弱陣痛しかなく促進剤を入れるも、いきんだタイミングで胎児の心拍数が急激に落ちた。

「もう一回心拍落ちたら、切りますけど、いいですか?」

そして筆者は緊急帝王切開に切り替えることとなったが、お腹の中には、へその緒が首に巻きついた状態の胎児が入っていたという。


「すごいがんばったのになあ、安産祈願も行ったのになあ……」

お腹を切りたくないがために、それなりに痛い施術を何度もやり、逆子が治るという鍼も打ち、段取りを整えてきたのに、これだ……。

落ち込む私に夫は言った。

「安産はね、無事に生きて生まれたら、みんな安産なの。」

おかげさまで長男はその後大きな病気もなく、元気に成長している。

■反復帝王切開か、VBACか。
こうして一人目が帝王切開となった筆者は、二人目を妊娠した段階で、出産方法を決める必要があった。

・もう一度お腹を切る
・VBACできる施設に行く

先日、タレントの木下優樹菜さんのニュースでも話題になった「VBAC(ブイバック=帝王切開後の経膣出産)」であるが、「どうしても下から産んでみたい」という気持ちが皆無だったため、筆者宅では候補に上がらなかった。

長男の出産時に強い陣痛も経験しているし、分娩台も一回上ったし、フルコースをひと通りやってから切ったので「そんながんばってチャレンジしなくてもいいよね、どっちにしろ産む時痛いしね!」というところに落ち着いたのだ。

たしかに、帝王切開はあとが痛い。
二人目となると後陣痛も強く、傷やら収縮痛でもんどりうつほどの痛みに耐えることにはなった。

しかし、一度やっていることなので、見通しは立っている。
切ったあとは痛いけど、5日目にはスタスタ歩けることを知っている。だから大丈夫!という自信もあったのだ。


担当医は、出産の選択肢についてこう説明した。
「帝王切開はもちろんリスクがあります。内臓を損傷してしまうことがあるかもしれないし、癒着が起きるかもしれない。ほかのトラブルも考えられる。それでもね、経膣(VBAC)より、まだ安全なんですよ」

相槌を打つ私に、主治医は付け加えて、なんともポップな感じでこう言った。

「下手したら、死ぬしねー」


……もし筆者がもっと若く、親族に帝王切開で産んだ人がおらず、健康に不安がまったくなかったり、前回のお産が違う進み方だったら「やり残したこと」としてVBACを考えたかもしれない。

これは、人にもよるしTPOもあるが、もしVBACを行うのであれば、万が一に備えたしっかりした施設で、安全のもとに行われることを切に願うのみだ。

■「二人目いこうかな」のモチベーション
さて、今年出産した筆者であるが、周りの友人知人も出産ラッシュとあって、自分の子も含めて、日々たくさんの0歳児を見ている。

とりわけ、新生児の写真が送られてきたときには気分が高まる。
「もっと!もっと私に新生児写真を送ってくれ……!」と友人に変なお願いをしたのが先月の話だ。


「あんな痛い思いして、インセンティブもなしに、子ども産みたい人なんか増えない」と、かねてからいろんな場所で言っている筆者なのだが、ある日、「じゃあなんで今回、二人目を作ろうと決めたのか」ときかれ、考えるのだった。

新生児にはある種の中毒性があることに気づいたのは、長男が1歳を過ぎたあたりだろうか。

ある日突然、赤ちゃんを欲するようになったのだ。
額から香るミルクのにおい、か細い泣き声、体を上手に使いこなせずモロー反射して泣いている、不器用なあの感じ……。

無我夢中の新生児育児がひと山越え、赤子という生き物にも慣れ、対応すべきことがだいたいわかり始めるのと、手の中にいたはずの赤子が次第に大きくなって、ご飯を食べ、自立歩行し、言葉を喋るようになる時期がちょうど交差する。

やっと慣れたところで、いつも彼は次の形態にトランスフォームしてしまうのだ。
いつまでも、こちらの知識が追いつかない。

「私、今ならもっと、うまくやれるのに……!」

第二子について考えはじめたきっかけは、それである。
私の“第一子育児”には、いつも後悔が付きまとっているのだった。それは今もなお。

■私はいつからこんなに赤子で癒されるようになったのか
筆者は子どものころから“子ども”が嫌いだった。

それでも、自分の年齢、ひとりっ子という環境、遺伝子を残すことへの興味などがあって、子どもを持とうと思うに至った。

子ども嫌いは出産したからといって急に治るわけでもなかったが、5年かけて、0歳から5歳までの子どもと日々接しているうちに、こちらの気持ちのやり過ごし方や、許容の仕方もちょっとずつ覚える。

ある種の諦観ともいえるが、「まあ、子どもって、こうだよね」というベースができた上で、再び0歳児を家に迎えてみた。

……これは! “かわいい”の度を越えている!

私の中にある「日本のKAWAII」の定義を、全部ひっくり返すほどの破壊力を持って生まれてきたのが、次男であった。

そこからはもう、タガが外れたようになった。

新生児室のコットや保育器に入っているどの子もみんなかわいい。育児雑誌の表紙の赤ちゃんも、テレビCMのあの赤ちゃんも、ネットで見かける赤子イラストも、なんなら、次男にそっくりな柴犬ですら全部かわいい。

「痛くてつらい」と「かわいくて大事」を天秤にかけた結果、私が出した結論は「痛いのは数日だけど、大事でかわいいのは一生だ」ということだった。

それが二人目を迎えようと決めたことについての答えだ。

■赤子がもたらす世界平和(の、ようなもの)
ドラマ『コウノドリ』で下屋先生役を演じている松岡茉優があるトーク番組に出演しているのを見ていた。

一番小さい子では生後数日という“本物の新生児”がドラマに出演していることが話題になり、
「赤ちゃんを見ていると、ここにいる大人たちも、昔はこんな小さかったんだ!って。世界平和!みんな大好き!悪い人なんかいないだろ!って思う」
という趣旨の発言をしていたのが印象に残った。

なにかとギスギスしていたり、きな臭いニュースばかりが流れてくる昨今である。
赤ちゃんを見ているときに感じる、このなんともいえない多幸感を、物理的にシェアできないものだろうか。


街中で、次男と目が合ったお年寄りがみんな笑顔になっているさまを毎日感じている筆者。
大半はご自身にもお子さんがいるおばあさんであるが、先日は「今年孫が生まれたばかりだ」とおっしゃる“新米おじいさん”にも声をかけられた。

何においてもそうだが「自分ごと」になった瞬間、今まで気にもしなかったことに意識がむく。街中で見かける赤ちゃんがそのいい例だろう。

段取りを知っていたり、先の見通しが立つことで出産や育児は楽しいものに変化するし、一度でも赤ちゃんを手に抱いたら、その匂いや感触を時々欲するときが来るかもしれない。

筆者の子どもが通う保育園には、年に数回、中学生などが保育実習にやってくるが、“自分ごと”にして興味を持ち、段取りを知って、自分のライフステージの変化にあわてないように、若いときから赤ちゃんに触れる機会がもっとあればと思うのだ。


先日、駅でベビーカーの1歳児が殴られるという痛ましい事件があったが、どうか世の中すべての赤ちゃんに幸せを。そして赤ちゃんがもたらす幸せな気持ちのおこぼれに、今日もありつけますように。

……うちの赤ちゃんは、今ごろ保育園でなにをしているだろうか。早く会いたくなってしまった。

ワシノ ミカ
1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在はWEBディレクター職。

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