「歩きスマホ」に「フェイクスマホ」、現代病「スマホ依存症」を読み解く

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2016年01月01日 06:00  FUTURUS

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FUTURUS(フトゥールス)

もはや人の姿は、スマートフォン(以下、スマホ)を手にして完成する、と言ってもよさそうなほど、誰も彼もがスマホを手にしている。

総務省の調査では、既に60%超がスマホを所有しており、20代に至ってはなんと94%がスマホを持っているという。

何しろスマホは、できることが多彩だ。

様々な調べ物がこれ1台で賄えるし、SNSやメールなどで人々が繋がり合っている(あるいはそんな気持ちでいられる)。おまけにゲームで遊べるし、写真や動画も撮れる。音楽や映像も鑑賞できれば買い物もできる。

そして何よりも、これだけの機能を持ち歩けるのだ。もはや便利すぎてこれがなければ暮らしていけない、という気持ちになるのは当たり前すぎるかもしれない。

そして、よほど冷静で自制心がなければ、“スマホ依存症”への道を、まっしぐらなはずである。

それほどスマホは、魅惑的なガジェットなのだ。

「スマホ依存症」の自覚

MMD研究所という調査機関のアンケートに依れば、スマホを持っている15歳〜59歳の男女の内、「(スマホに)かなり依存している」と「やや依存している」の合計は、全体の8割を超えたと言う。

つまり、スマホを持っている人のほとんどが、スマホに依存しているという自覚を持っているのだ。この傾向は20代ではさらに強まるという。

それでは、そんなスマホに依存している自分を何とかしなければならない、と思っているかというと、そうでもないらしい。

同アンケートでは、約半数の人たちが“デジタルデトックス”によって、スマホ依存から抜け出す必要性を感じていないと答えたからだ。

つまり、多くの人がスマホに依存してる状態を、それはそれで構わないと考えていることになる。

歩きスマホが迷惑だと分からない人たち

自分一人が“スマホ依存症”になるのは自由ではあるが、社会への影響は考えた方が良さそうだ。

スマホを見ながら歩いている“歩きスマホ”で人にぶつかったり、駅のホームから落ちたり、側溝に嵌まったりといった事故も多い。

そのうち、食事中にスマホを見ていることも、行儀が悪いとは思われなくなるだろう。

このような人たちは、歩く時は歩く、食べるときは食べる、というようにけじめを付けることが難しくなっている。

スマホがリアルなコミュニケーションを阻害する

このように“スマホ依存症”になると、“ファビング(Phubbing)”という、リアルなコミュニケーションを阻害する症状が現れるから注意が必要だ。

つまり、スマホの画面が気になって、今そこでリアルに行われている会話や会議、指示といったことが上の空になってしまうという症状だ。

私は以前、休憩時間にカフェで読書をしていたとき、隣のテーブルにほぼ間違いなく“営業マン”といったスーツ姿の男性二人が座った。

営業途中の一服なのだろうと眺めていたら、明らかに後輩か部下らしい若い(まだ学生っぽかった)男性が、座ると同時にスマホを取り出しいじり始めたのだ。先輩らしき男性が話しかけると、驚いたことにその若い男性は、スマホから顔を上げもせずに「ええ、ええ、ああ、はい…」的な、気のない返事をしていた。

先輩らしき男性が怒るかと他人ごととして期待したが、すぐに自分の手帳を取り出して、次のアポの確認かなにかをし始めた。既に若い男性に対しては、何も期待していなかったのかもしれない。(あるいはその先輩も、後輩の行動に何も疑問をもたないほど、馴染んでしまっているのか……。)

“歩きスマホ”や“ファビング”以外にも、スマホ依存が高まると、ブルーライトを見過ぎて睡眠障害になったり、長時間頭を下げた姿勢で肩こりや頭痛、酷ければ“ストレートネック”といった症状も出る可能性がある。

また、ずっとスマホを持っているために指が変形してしまい、しびれや痛みを発する“テキストサム損傷”という症状も出ることがある。

そしてこれは因果関係がまだ明確ではないが、鬱にもなりやすくなる、という見る向きもあり注意が必要だ。

スマホ依存のきっかけ

なぜ、“スマホ依存症”になってしまうのだろうか。

常に最新のニュースを知ることで社会と繋がっていたい、SNSやメールで誰かと繋がっていたい、といったことだろうか。

あるいは、ゲームを始めると点数を上げることや次の面のことが気になって仕方がない、といったこともあるかもしれない。

人と繋がっていたいがために、現実のコミュニケーションが阻害されたり薄くなっているという、逆転現象は気にならないようだ。

むしろ、“スマホ依存症”の人たちは、直に人と触れ合ったり物に触ったりすることは苦手になるらしい。

その結果、当然ながらスマホのヘビーユーザーとなり、多くの人がモバイルバッテリーを手放せなくなっていく。

重度の“スマホ依存症”になってくると、“ノモフォビア(nomophobia:No-Mobile-Phone -Phobiaの略)”という症状が出てくる。(「孤独恐怖症」を意味する“モノフォビア”とは異なるのだが、ある意味同義に近く、上手いこと表現するなぁと感心してしまう。)

“ノモフォビア”は、スマホのバッテリーが切れたり電波が届かなくなったり、あるいはスマホを忘れたことに気付いた途端にパニックになってしまう。

人によっては、声を上げたりするというから怖い。つまり、もはやスマホが無ければ、人や社会と繋がれないという錯覚に陥っているのではないだろうか。

とうとう「NoPhone」なる商品まで登場

以上の様な“スマホ依存症”を断ち切るための珍妙なガジェット(?)が登場して、これまた奇妙なことに人気になっている。

その名も『NoPhone』。

クラウドファンディングのKickstarterで資金調達に成功していると言うことが驚きだが、この『NoPhone』はただのプラスチック製の板だ。

え? と思われるかも知れないが、スマホの形をしたプラスティックの板である。従ってスマホが持っている、全ての機能を持っていない。

その代わりバッテリー切れの心配は無いし、洗面所に落としても全く問題無い。通信費も不要だ。当然といえば当然なのだが。

しかも、『NoPhone』はシリーズで、ただの板である『NoPhone Zero』、一応スマホっぽいボタンの形が有る『NoPhone』、そして鏡が接着された『NoPhone Selfie』の3種類がある。

こんな物、何に使うのか?

早い話がおしゃぶりのようなものだ。『NoPhone』の公式サイトには次の様に書かれている。

<我々は、人々に彼らが望むもの──直接のアイコンタクトやより良い会話の技術といったひとつの命──を与えるために『NoPhone』を販売している。スマートフォンを超えた命。『NoPhone』の命>

もし、自分が“スマホ依存症”だと思ったら、少しスマホとの距離を見直してもいいかもしれない。

『NoPhone』を買わなくても、歩く時は歩く、食べるときは食べる、仕事をするときは仕事に専念する、人と話すときは相手の目を見て話す……。

便利な物を便利に使いこなすことは大いに結構なことだが、何事も節度をわきまえないと、病むことになるようだ。

【参考・画像】

※ 「平成26年情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書」の公表 – 総務省

※ スマホ依存に関する調査 – MMD研究所

※ The Official NoPhone Store

※ すしぱく / PAKUTASO

このニュースに関するつぶやき

  • その行為をしている相手がこっちに気付かずに危険と思ったらけり入れていいようにしてくれ
    • イイネ!3
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