世界に根付く「柔道:Judo」独り立ちの時を見守る

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2016年01月07日 21:10  FUTURUS

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FUTURUS(フトゥールス)

“日本人と柔道”というテーマを取り扱うには、正直1記事分の文字数では足りない。

だが筆者が商業ライターである以上、「一つのテーマを長く書く」ということはあまりいいことではない。今回ご紹介するのは、海外の柔道サークルについての話題である。

柔道は、もはや国際的なスポーツである。講道館の創始者である嘉納治五郎は、人生の早い段階から柔術を海外に普及させようと考えていた。治五郎は柔術の各流派の技術を選別し、「健康であれば誰もができる競技」としての柔道を作った。

「誰もができる」のだから、もちろん道場の師範が外国人であってもまったく問題はない。

幕末に起因する攘夷思想が色濃く残る時代に、こうした発想を持った人物が存在したのだ。

それを踏まえつつ、取材レポートを執筆したいと思う。

「初等教育」に通ずる柔道

バンサール柔道クラブ(澤田オフィス)

今回、筆者が訪れたのは、マレーシアの首都クアラルンプールにある『バンサール柔道クラブ』である。

このクラブは週3回、地元の公営施設を借りて練習を行なう。日曜日の練習には子供たちが多く駆けつける。

これは、世界中の道場やクラブに共通して言えることだが、この柔道という競技は児童を対象にした“初等教育”という意味合いが非常に強い。

バンサール柔道クラブ(澤田オフィス)

この辺り、アメリカ人にとってのアマチュアレスリングとよく似ている。アメリカではアマレスとサッカーは「子供たちがルールの遵守を学ぶための競技」という位置付けで、そこから他競技へ転向するというのがジュニアアスリートの“定番の道”である。

そうであるからこそ、『バンサール柔道クラブ』では面白い光景が見られる。子供たちが熱心に柔道をやっている横で、大人たちがグラップリングに打ち込んでいるのだ。

グラップリングとは、平たく言えば「ピンフォールの代わりに関節技が許されたレスリング」である。

しかも、ここの大人たちは、上半身裸かTシャツ姿でそれをやっている。もはや柔道ではない。

バンサール柔道クラブ(澤田オフィス)

「子供は柔道、大人は柔術かグラップリングですよ」

『バンサール柔道クラブ』に通う日本人選手の臼井悦規は、そう言いながら笑った。彼は東南アジアのグラップリング界で名を馳せた男である。

「要するに、柔道は子供が格闘技の基礎を覚えるのにもってこいの競技なんです。本当に合理的ですよ、柔道は」

改めて痛感する「自他共栄」のこころ

日本では近年、学校での柔道事故が問題になっている。

だが、相手の関節を破壊するのが目的のグラップリングとは違い、柔道は“相手を投げ倒す”競技である。投げ技というのは、受け身をしっかり取ることさえできれば、身体的ダメージはまず発生しない。

相手に障害を与えかねない技は、そもそも禁止されている。

バンサール柔道クラブ(澤田オフィス)

にもかかわらず、柔道発祥国である日本で重大な事故が相次いでいるということは、現場指導の質が明らかに劣化しているということだ。

どんな分野でも、日本人は、放っておけば自然と同業他者ばかりを意識するようになる。

“初心者を道場に誘う”ことよりも“他の道場よりこちらが上でなければならない”ということを考えてしまう。そうなると、練習もだんだんと実績重視かつ安全軽視のものになる。

要するに、嘉納治五郎は、そんな日本人の欠点を嫌ったのだ。「自他共栄」という言葉の意味を、我々現代人は再考しなければならない。

これから求められる日本人の役割

バンサール柔道クラブ(澤田オフィス)

海外の柔道クラブに行くと、「同業他者しか眼中にない」という日本人独特の発想が見当たらない分、非常に開放的な雰囲気が感じられる。

『バンサール柔道クラブ』には数人の日本人が指導者として関わっているが、それでも主役は現地の人々である。

日本人は、現地の道場と東京の講道館本部をつなぐUSBポートのようなものだ。それ以上でも、それ以下でもない。「日本人が指導者でなければ真の柔道は海外で根付かない」というのは、偏見であり深刻な差別である。

柔道は、もはや日本一国だけが操作できる規模の競技ではないのだ。

バンサール柔道クラブ(澤田オフィス)

そのことに気づくと、柔道の可能性は、まだまだ果てしなく広がっていると察することができる。

あらゆる方面との技術交換があればこそ、競技は発展していく。

それこそが格闘技の醍醐味だ。

【取材協力】

※ バンサール柔道クラブ

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  • 道とつくものは即ち「道(みち)」であり精神修行の一環である。武道に限らず茶道や花道、書道も然り。己を磨き己に克つ。更に高みを目指すが道。他人に勝つではなく己に克つ。それが真理。
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