「時間に追われる」日本人は負け犬? 仏教の長老が語る「時間にとらわれない生き方」

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2016年01月12日 22:42  新刊JP

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『「忙しい」を捨てる』(KADOKAWA刊)
時間が足りない。時間がない。焦ったり、イライラしてしまう。仕事でもプライベートでも時間に追われているという印象が日本人にはあるのではないだろうか。では、「時間」と上手に付き合いながら生きていくにはどうしたらいいのだろう。

 『「忙しい」を捨てる』(アルボムッレ・スマナサーラ/著、KADOKAWA/刊)では、スリランカ上座仏教長老の著者がブッダの教えをもとに時間にとらわれない生き方を紹介していく。

 日本人は、仕事をするにしろ、遊びをするにしろ、何かにつけて「時間がどうした」と気にしてしまう。今日の予定だけでなく、今週、今月、今年と、止めどなく先の予定まで気にしているものだ。それだけ「時間」というのは人間にとって関心の高い、興味の惹かれるということだ。そんな「時間」と上手く付き合うにはどうしたらいいのか。

 なぜ、時間に追われてしまうのかというと、「自分が今、何をするべきか」ということがはっきりしていないからだと著者は述べる。あるいは、「自分が今、何をするべきか」ということはわかっているのだけれど自信がない、ということも考えられる。また、やるべきことをサボって後回しにしたいと思っている可能性も考えられる。何か課題を与えられると、心が言い訳を探してしまう。そうして、心は過去に行って妄想したり、将来のことを妄想したりすることによって、「今」の時間を妄想に費やしてしまうことになる。反対に、今やるべき仕事に自信があって、やる気があるならば、そうした事態は起こらない。それが「どのように上手に時間と付き合うべきなのか」ということの答えになる。

 また、日本人はよく「時間に追われる」という言い方をするが、スマナサーラ氏に言わせると、そんな発想をすること自体が負け犬の発想なのだという。人間が1時間にこなせる仕事の量は、最初から決まっているもの。それに関係なく、仕事の量を決めたら、論理的に考えてこなせないのは当然だ。自分にこなせるわけのない量の仕事を引き受けているから、「時間に追われる」のではないか。最初からナンセンスなのだという。

 時間がない、時間がない、と口ぐせのように言ってはいないだろうか。時間にとらわれずに生きることができれば、仕事もスムーズに、プライベートも気持ち良く過ごせるようになるはずだ。仏教の時間の捉え方から、日常の時間の使い方を改めてみてはどうだろう。
(新刊JP編集部)

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