ジャカルタにタムリン通りという道路がある。人口2億5,000万人のインドネシアの首都を支えるメインストリートだ。
政府省庁の本部や各国大使館、大手銀行本社、有名外資企業などがタムリン通りには集中している。言わばここはジャカルタの“動脈”だ。
もし、動脈をナイフで切られたら、人間は生きていられない。それと同じで、万が一タムリン通りが何者かに破壊されることになったら、ジャカルタは為す術なく命尽きるだろう。
2016年1月14日、タムリン通りは突如として運命の時を迎えた。
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テロリズムの歯車
平日の午前11時頃といえば、大抵の人々は、もうすぐやって来る昼休みについて思いを巡らせるのではないか。
「今日のランチはどこで食べようか。そうだ、あそこにしよう。あの店のクロワッサン、安くて美味しいからまた買いに行こう。」
何の変哲もない木曜日の光景。だがそれは、雷鳴のような爆発音により破壊された。
タムリン通り沿いにある高層ビル『Menara Cakrawala』の地上1階。ここにはスターバックスコーヒーがある。その店先に、何者かが爆弾を投げ込んだのだ。
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それから先は、まさに戦場の景色だった。爆破と乱射が奏でる悪魔の鼓笛音、そして悲鳴。パトカーのサイレンが近づくと、ここはついに戦場と化した。
ジャカルタで再び動き出した、テロリズムの歯車。熾烈な戦闘の風は、遙か中東からインドネシアにまで達したのだ。
テロリストの死体
ジャクサ通りという場所がある。ここはいわゆる安宿街で、筆者はここのホステルにいつまでも居座っている。
計ったわけではないが、ジャクサ通りからタムリン通りまでは、徒歩で10分もかからない。
「タムリン通りが大変なことになっている」。
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友人からの連絡を受けた筆者は、すぐさまカメラバッグを取り出して半長靴を履き、ホステルを飛び出した。
筆者が現場についた頃には、すでに武装警官が展開していた。スターバックスが狙われたということは、野次馬の一人から聞き出していた。警官の目を盗みつつスターバックスに近寄ろうとした時、手榴弾の炸裂音が鳴り響いた。
「早くここから離れろ!」。自動小銃を抱えた若い警官が、筆者にそう怒鳴る。だが筆者は、彼の意図に逆らい現場へ走った。今考えたら、よく撃たれなかったと思う。
交差点上の警察詰所の前には、3人の死体が横たわっていた。
この3人のうちの2人は、一般市民ではなくテロリストだ。このあと数時間、2人の死体と罪なき1人の亡骸は収容されなかった。ブービートラップの危険がある以上、軍の爆発物処理班が到着するまでは、死体に触ることはできない。
市民は恐怖に屈しない
第二次世界大戦時のヨーロッパ戦線、ドイツ陸軍のヴァルター・モーデル元帥は、爆弾を使った遅滞行動を得意とした。
これは市街地のあちこちに爆弾の罠を設置し、敵軍がそれに手こずっている間に自軍を後方に下げるという手法だ。ここで肝心なのは、モーデルは快進撃に勢いづく敵の心に“恐怖”を差し込む名人でもあったということだ。その“恐怖”はもちろん、どこに仕掛けてあるか分からない爆弾がもたらすものだ。
これと同じことをゲリラ組織が行えば、政治家やマスコミから“テロリズム”と呼称される。
此度の事件の実行犯は、モーデルと同じことをやろうとしていたはずだ。だがその目論見は、計画実行当日から外れることになる。
現場写真を見て分かるが、辺りは大勢の野次馬が取り囲んでいる。警官とテロリストとの銃撃戦の時ですら、至近距離に見物人がいたほどだ。
多くのジャカルタ市民は、テロに対して“恐怖”など微塵も覚えていない。“能天気”、というわけでもない。市民の心には「テロリストの無様な最期を見てやろう」という気持ちがある。
「ISは神の名を語る無法者だ。」
ジャカルタのイスラム教徒の九分九厘は、そう考えている。
「怯えないこと」が対抗策
事件翌日、タムリン通り沿いにある大型ショッピングモールは、普段通りの営業を行っていた。
日本大使館の隣りにある『プラザ・インドネシア』は、地上1階部分に高級ブランド店が立ち並ぶ。
しかも、スターバックスコーヒーの店舗まである。次にテロが発生するとしたら、真っ先にここが狙われるだろう。
だが、いつもより多くの警備員がいたとはいえ、特に動揺もなく業務が行われた。テロに怯える市民など、皆無である。
もはやISの計画は叶わぬものになった。そもそもが享楽的なジャカルタ市民の心を、爆弾で支配しようなどという思惑自体が無謀だったのだ。
事件のあとのジャカルタは、確かに変わったかもしれない。だがそれはテロリストが望むような“変化”では決してないということを、筆者はここで強調しなければならない。
まったく新しい形の“非暴力による抵抗”が、この地に芽生えているのだ。