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本日、お別れの会開催 水木しげるさん、戦時中の南方戦線での有名エピソードの"真実"とは

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2016年01月31日 09:42  BOOK STAND

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写真『妖怪と歩く―ドキュメント・水木しげる (新潮文庫)』足立 倫行 新潮社
『妖怪と歩く―ドキュメント・水木しげる (新潮文庫)』足立 倫行 新潮社
 昨年11月30日、多臓器不全のため亡くなった漫画家・水木しげるさん。本日1月31日に東京都青山葬儀所にて「水木しげるサン お別れの会」が行われますが、会の発起人には、水木さんを師と仰ぐ妖怪評論家の荒俣宏さんや、小説家の京極夏彦さんはじめ、錚々たる顔ぶれが名を連ねているほか、会場には水木さんへの手紙を投函できる「妖怪ポスト」も設置されるのだとか。

 代表作『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』で知られるように、水木さんが姿を与えた妖怪は数多く、発起人代表の荒俣さんも、「水木しげるの場合は、その好奇心が全面的に『妖怪』に注がれた。結果、水木まんがは柳田國男以来の『妖怪』という概念を刷新することになった。妖怪が子どものアイドルとなる昨今の社会現象は、水木まんがの影響といえる」(荒俣宏著『日本まんが 第1巻』より)と、昨今人気の"某妖怪アニメ"の源流も、もとをたどれば水木さんだろうと述べているほど。

 妖怪漫画以外にも評価が高いのが、1943年に南方戦線に出征してからの体験を元にした『総員玉砕せよ!』などの戦記物。水木さんの自伝やエッセイ、漫画では、飢えや死の恐怖といった過酷な体験の一方で、パプアニューギニア領・ニューブリテン島のラバウルで出会ったトライ族たちとすっかり仲良くなり、親友トペトロや美女エプぺたちと交流を深めた逸話もたびたび描かれています。

 そして、ラバウルの日々のなかでも、とりわけ印象に残るのが、以下のエピソード。

"現地で終戦を迎えたが、仲良くなった原住民たちに「日本に帰らずにここに住め」と強く引き留められ、水木さん自身も現地除隊してラバウルで暮らそうとしたが、上官(軍医)に相談したところ「一度帰国して、郷里の両親に顔を見せてからにしろ」と説得されたため、やむなく帰国した" という話で、水木ファンならずとも、ご存知の方も多いのではないでしょうか?

 ところが、水木さんに2年間にわたり密着したノンフィクションライター・足立倫行(のりゆき)さんは、評伝『妖怪と歩くドキュメント・水木しげる』で、この逸話を検証、真偽に疑問を投げかけています。

 実は、水木さんは戦後、雑誌の特集企画で、ラバウルの野戦病院で診察してくれた陸軍軍医で、国立加古川病院の元院長・砂原勝己さんと再会を果たしますが、砂原さんはこのエピソードについて「うーん、それねェ、どうも私は言った記憶がないんだよ」(同書より)と否定。

 その場にいた足立さんが再度、「本当に現地除隊を思い止まらせた記憶はないんですか?」と尋ねると、砂原さんは以下のように答えたと言います。

「私は彼に何を言ったのか覚えていないんだけど、彼が現地除隊を諦めたのは、おそらく別の理由があったと思うんですよ。つまり、日本が敗けた、ニューギニアはいずれ戦勝国になる、そこで原住民の中に旧日本兵がいたらどうなるか? ね、タダじゃすまないですよ。僕もトペトロと親しかったから、多少彼らの村の情報は得ていたんだけど、そういう判断がね、水木くんの頭にあったかもしれない。もちろん、結果的にはそれでよかったんですがね」(同書より)

 おそらくは「あのときに軍医が止めさえしなければ、現地除隊してラバウルで暮らしていたのになあ...」という後悔と、南方への憧憬が生み出したこのエピソードは、水木さんにとっては、紛うことなき"真実"だったのかもしれません。

 足立さんが水木さんから「しつこい」と言われるほど食い下がり、"漫画の神様"手塚治虫さんとの因縁めいた逸話をはじめ、知られざる素顔に迫った同書は、水木ファンならずとも必読の内容となっています。



『妖怪と歩く―ドキュメント・水木しげる (新潮文庫)』
著者:足立 倫行
出版社:新潮社
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