数ヵ月前に出産したばかりの新米ママとなった友人と話していたときのこと。
「出産祝いが届いたよ」の報告だったか、私から「内祝いありがとう」の返事だったか、どちらから連絡を取ったのか忘れてしまったが、遠方でなかなか様子も見に行けないので、せっかくだしいろいろ話を聞きたいなと、「初めての育児どう?」と振ってみた。
里帰りはせず、自宅で夫婦2人で初めての子育てに臨んでいるのだから、それは四苦八苦だろうと予想はついていた。家事や身の回りのことも自分でしなければいけないのだから、ハードでないわけがない。
「赤ちゃんのお世話以外はとにかく身体を休めてね。旦那さんにたくさん手伝ってもらうんだよ」と付け足すと、友人は遠慮がちに、「夫は料理も洗濯も掃除も何でもやってくれるんだけど、仕事で疲れて帰ってきてるし、翌日も仕事があるから、夜起こしたら悪いと思っちゃうんだよね」と漏らしていた。
ひじょうに細やかな神経の持ち主なので、彼女らしい発言だな、とは思ったのだが、「いやいや、今、その気遣い要らないから!! あなただって十分すぎるほど疲れてるでしょ!!! 自分の命を削りながら赤ちゃんに栄養与えてるようなもんなんだよ!!!!」と彼女の言葉にかぶせるように訴えかけてしまった。
そこからは、「ファミリーサポートなど、自治体のサービスで家事や育児のサポートをしてくれるものもあるよ」「保健師さんが来たときや役所に行くことがあれば話をきいてみるといいかも」など、夫婦での分担以外の話もしてみたが、その後は友人と話すたびに、「パートナーが激務のため、育児を全部自分が担っている」という状況を察して、何だか胃がギュっと縮こまるような思いだ。
とはいえ、「旦那さんに遠慮したらだめだよ」と先輩ヅラしたものの、自分自身も偉そうに言えた立場ではない。
娘が0歳の頃は、私もやはり夜起きたり泣いたりするたびにヒヤヒヤしていたし、「夫が泣き声に気付いて起きてしまう前にすぐ授乳しなきゃ」とすぐさま抱き上げていた。
授乳しても寝てくれないときは、焦るを通り越してイライラしていたが、その根っこにあるものは、“自分が眠りたい”という以上に、“夫を起こすことがイヤだ”、迷惑をかけるという気持ちだったかもしれない。
そしてさらにその根元にあるものは、「家計を支えてもらっているのに、仕事の支障になってはならない」という負い目だったように思う。「稼いでいるほうが偉い」という言説を否定しつつも、自分の立場に置き換えると、どこかその考えに囚われていたのは事実だ。
当時を振り返ると、ちょっとくらい夜泣きで夫を起こしても、たいした問題ではなかったと思う。
むしろ、今思うのは「あなたも起きてよ!」と叩き起こすくらいして巻き込んでおかないと、夫というのは「子育てなんて楽勝だ」と低く見積もってしまうのではないかということだ。
毎晩一睡もできなくて、日中まったく仕事ができなくなったり、夫婦で共倒れになってしまっては当然マズいけど、夫側の「こんなもんだ」が、その後の夫婦関係にギャップをもたらしてしまうのではないかと思う。
子どもが夜泣きしても夫を起こさない、早く帰宅してほしいけど、仕事が忙しいことを分かっているからその気持ちを伝えない、これが「気遣い」なのか「遠慮」なのか、というと判断に悩むところだ。
状況にもよるし、自分と相手の性格にもよるだろう。自分では「気遣い」だと思っていても、客観的な視点で見ると「遠慮しすぎ!」というパターンもあるし、日によって受け取り方が変わることもありそうだ。
ある時、友人にこのどっちともつかない気持ちを話すと、「母親になっても自由でいたいし、どうありたいかいつも考えているけど、家族に何も遠慮がなくなったら終わりだと思うから、そうやって悩むのがちょうどいいのかも」と答えてくれた。
友人の言うことももっともで、「家族=遠慮しなくていい間柄」ではなく、一番大切にするべき存在として、時には遠慮も必要なのかもしれないし、気遣いか遠慮か分からないという気持ちに白黒をつけなくてもいいのかなとも思う。
ただ、その遠慮が度を過ぎたり、後々わだかまりにならないように、ときには溜まっているものを解放しなくてはいけないのだけれど、面と向かって夫婦で話し合うのはなかなか根気が要るものだ。
平日の朝は顔を合わせる時間もほんの少しだし、夜は早寝したいので、ゆっくり話す余裕もない。「ちょっとこれを相談したいな」と思いつつも、「今日は疲れてるからまた週末にでも……」と先送りにした結果、自分ひとりで問題を処理して話し合うときを過ぎてしまったり、また別の問題が浮上してうやむやになったり……ということも何度かあった。
独身時代に、大先輩から聞かされた、「子どもができたら夫婦の関係性は変わる。カップルじゃなくて、子育てのパートナーになるんだから」という言葉が非常に印象的で、自分自身も親になり、それを理解できた気でいた。
夫婦での会話といえばまず子どものことだし、休日の過ごし方も娘の生活リズムを中心に回している。買い物に行っても、自分たちのものより娘のものを見ている時間や費やすお金が大きいし、いつか家を購入することがあるとしたら、自分たちがどこに住みたいかよりも、娘の学校や学区や、そんな事柄を優先するのだろうと思う。
しかし、子育てのパートナーになるというのは、ただ子どもができたことでの状況の変化を指すのではなく、そこで生じる問題にいかに対応するか、という試行錯誤の道のりなのかもしれない、先輩が言っていたのはそういうことだったのかな、と最近ふと感じるようになった。
そう考えると、我が家は子育てのパートナーと呼べるほどじゃない、まだまだこれからだ。
娘が生まれてから、何かうまくいかなかったり、自分の思うようにならなくて落ち込んだりするたびに、「ゆっくりママになればいいんだよ」「最初から上手に子育てできる人なんていないよ」と言われてきたし、後輩ママにも同じことを伝えてきた。
それと同じで、親になった瞬間から夫婦関係に「子育てのパートナー」という形が完成するわけではない。子どもが成人するくらいか、親元を離れるかくらいまでの間、ずっと形を変えていったり、時々見直したりしていく必要があるものなのかもしれない。
先の長い話だけれど、子育てに近道なんてどこにもないのだな、と痛感させられている。
真貝 友香(しんがい ゆか)ソフトウェア開発職、携帯向け音楽配信事業にて社内SEを経験した後、マーケティング業務に従事。高校生からOLまで女性をターゲットにしたリサーチをメインに調査・分析業務を行う。現在は夫・2012年12月生まれの娘と都内在住。