今では「ガイジン」じゃなく「YOU」と言われる

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2016年02月22日 17:41  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

 以前は日本に住んでいたものの、イギリスに帰ってもう5年。そんな英国人ジャーナリストが、日本の読者向けに日本社会の"入門書"を書いた。コリン・ジョイスならば、それも可能である。本誌ウェブコラム「Edge of Europe」でもお馴染みのジョイスは、92年に来日し、高校の英語教師や本誌記者、英紙『デイリーテレグラフ』東京特派員などを経て、2007年に日本を離れた(ちなみに、詳しいプロフィールはこちら)。


 06年に著した『「ニッポン社会」入門』(谷岡健彦訳、NHK生活人新書)は10万部を超えるベストセラーに。その後も、『「アメリカ社会」入門』(谷岡健彦訳、NHK生活人新書)、『「イギリス社会」入門』(森田浩之訳、NHK出版新書)と、鋭い観察眼と無類のユーモアを注ぎ込んだ一連の著作で多くのファンを獲得している。


 このたび、そのジョイスが新刊『新「ニッポン社会」入門――英国人、日本で再び発見する』(森田浩之訳、三賢社)を上梓。思いもよらない新たな発見が綴られた「目からウロコ」の日本論であり、抱腹必至のエッセイ集でもある本書から、一部を抜粋し、3回に分けて掲載する。


※第1回:飛べよピーポ、飛べ。そしてズボンをはきなさい


※第2回:どうして日本人は「ねずみのミッキー」と呼ばないの?


 以下、シリーズ最終回は「16 日本は今日も安倍だった」から。


◇ ◇ ◇


 久しぶりに誰かに会うと、すぐにわかるのは外見の変化で、次に癖や態度や性格などの変化に気づく。でもその人にいつも会っていると、ゆっくりと起きている変化にはなかなか気づかない。


 日本とぼくについても、同じことが言える。ときには日本に住んでいる人ならすっかり慣れてしまったことが、突然ぼくを驚かせる。たとえば銀座線のピカピカの新しい車両を見て、ぼくはショックに近いものを感じた。あの古ぼけた「レトロ」な車両は、銀座線の「魂」とでも呼ぶべきものだと思っていた。


 まわりの人たちは、ぼくが持っているこの特別な「才能」にときどき気づいて、日本がどんなふうに変わったのか教えてくれと言う。そう言われると、ぼくは言葉に詰まってしまう。ざっと見渡したところ、ぼくは日本が大きく変わっているとは思えないからだ。ぼくはみんなに、外国人観光客がものすごく増えたというかもしれない。あるいは渋谷駅で東横線を見つけられず(「昔は頭の上にあったのに、今は一マイルくらい地下に潜るんだ!」)、たとえ見つけられても、ぼくが行きたかった桜木町駅に電車は行かなくなっていたから、仮に見つけていても意味がなかったという話をして、彼らを喜ばせるかもしれない。


 でもそれらは、しょせん大した話ではない。厄介なことに、ぼくは自分が日本を離れてから、この国がそれほど変わったとは思えないのだ。初めて住んだときから二〇年以上がたつが、その間に日本に根本的な変化があったかどうか疑問が残る。


 一〇年くらい前、東京でイギリスの新聞の特派員をしていたとき、ぼくは日本の置かれている大きな状況を、いくつかの文章にして頭の中にまとめておこうとした。日本の経済は停滞していて、大規模な公共事業を行わないと成長できず、公的債務は増えつづけている。人口は高齢化が進み、出生率が低い。社会で活躍する女性はまだまだ少ない。政治に新しい時代が訪れたようにみえても、つねに権力は特定の政党に戻っていくようだ。アジアの近隣諸国との関係は良好ではなく、中国に追い越される可能性もある。


 ぼくはこの文章を、実際に書いたときより一〇年前にも書けただろうし、今も書けるだろう。むかし近所を走っていたさおだけ屋の車が、日本の象徴のように思えてくる。「二〇年前と同じ......」


 変化があったように思えても、よくみれば実はそれほどではないことがある。ぼくが初めて日本に来てから、この国に地ビールの伝統が根づいたのはうれしい。けれど今でも東京の居酒屋に出かけたら、一種類のビールしか置いていない確率は九〇%にのぼる(その一種類がアサヒスーパードライである可能性は高い)。


 ぼくはサッカーを愛していて、Jリーグ発足以降の日本サッカーの進歩はすばらしいと思う。それでもサッカーの観客数は、野球に比べるとまだはるかに少ない(同じ二チームが何日にもわたって何度も戦うのに、どうしたらスタジアムを満員にできるのだろう?)。


【参考記事】和と努力とガイジン選手


 ぼくは日本にまったく変化がないと言いたいわけではない。ただ、人々が思うより変化の幅が小さいのだ。東日本大震災のあと、日本の政治は「すべてが変わる」と、みんな口々に言っていた。でもこの文章を書いている時点での首相は、ぼくが日本を離れたときと同じ安倍晋三だ。


 大きな災難に出合うと、人々はものごとが以前と同じままのはずはないと考え、そこからかすかな慰めを得ようとする。災厄には、そこから生まれる変化によって意味が与えられるのだ。しかし残念ながら、つねに変化が起こるとは限らない。


 東京で特派員をしていたころ、ぼくは大きな変化が欲しかった。大きな変化はニュースになる。しかし実際には変化が起きていないから、ぼくは「もしかすると」起こるかもしれないことを予測したり、これから起ころうとしていることを書けと、ときおり言われた。たとえば覚えているのは、日本が核保有に向けて「前進」しているという記事を書けと言われたことだ(ぼくはそんなものは書けないと抵抗したが、ほとんど無駄だった)。二〇〇七年に日本を離れる直前に書いた記事の一本は、日本が憲法九条改正に向けてどう動いているかというものだった。


 これらは大きな変化だったろう──もし本当に起きていれば。


 ぼくの「いつか書きたい記事」のリストに入っていたのが、いま日本橋の上を覆っている高速道路を地下化するという計画についてだ。この計画をぼくが最初に耳にしたのは、一九九八年だと思う。「実現したら記事にできる」と、ぼくは思った。ぼくはまだ、その時を待っている。


【参考記事】「世界一見苦しい街」に隠された美を探して


 大きな変化に思えたものでも、振り返ればそれほどではなかったということがある。いま思えば、自分が特派員だったときに、なぜ小泉純一郎が「断行」した郵政民営化を「大ニュース」だと思ったのかわからない。人々の暮らしへの影響を考えれば、「クールビズ」のほうが重要だった。


 ぼくが大学を出てからは、イギリスのほうが日本よりもはるかに大きな変化を経験したようだ。いくつか例をあげれば、まずイギリスは大変な数の移民を抱える国になった。外国生まれでイギリスに住んでいる人は八〇〇万人に達しようとしている。この数字は、バーミンガム、リバプール、リーズ、シェフィールド、ブリストル、マンチェスター、レスター、コベントリーの人口を合わせた数の二倍を超える。


 この一〇年ほどで、ロンドンの不動産価格は三倍近く値上がりし、若いイギリス人には小さなアパートさえ手が届かないものになった。


 同性愛者は法的に結婚し、養子をとることもできるようになった。


 貴族院(上院)には、世襲貴族が入れないようになった。


 イギリスの「連合」の度合いは以前より緩くなった。ウェールズとスコットランドは一九九七年に、かなりの権限を委譲された。二〇一四年にはスコットランドが、国民投票によってイギリスから独立する寸前までいった。結局は残留したが、スコットランドは新たに大きな権限を手にし、それによって国内の他の地域もより大きな権限を求めるようになるだろう。イングランド人も自分たちだけの問題に対して、より大きな発言権を求めるはずだ。


 北アイルランドは、複雑で厄介な和平交渉の末にかなりの安定を勝ち得た。イギリスで最も混乱していたこの地域は、大きな変化を遂げた。


 こうしたイギリスの変化の度合いを考えれば、日本の変化が小さいことがわかってもらえるのではないだろうか。


 ぼくは変化がつねにいいものだと言っているわけではない(お気づきかと思うが、イギリスで起きている変化にはぼくが快く思っていないものがけっこうある)。事実、日本で多くのいいものごとが変わっていない(あるいは改善されている)ことはすばらしいと思う。たとえば、社会の強い団結心、優れた公共交通網、低い犯罪率といったことだ。


 日本に変化を妨げる根深い要因があると言いたいわけでもない。「明治革命」(こう呼んだほうが「維新」より正確だと思う)は、封建主義社会が一世代で先進国に変わるという、近代史でもまれに見る偉大な出来事だった。そして第二次世界大戦後、日本は完全に生まれ変わった。


 けれども思うに、今のぼくたちはそんな劇的な時代に生きていない。こんなふうに書くと失望する人がいるかもしれないが、日本を離れてかなりたったぼくが今の日本を見て気がつくのは、たくさんの小さな変化ばかりだ。たとえば──ぼくが初めて日本に来たとき、ときどき子どもたちがぼくを見て「アメリカ人だ」と言っていた。何年かすると「ガイジンがいる」と言うようになった。今ではなぜか「YOUがいる」と言われる。


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『新「ニッポン社会」入門


 ――英国人、日本で再び発見する』


 コリン・ジョイス 著


 森田浩之 訳


 三賢社




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  • (異論は有ろうが)皇紀2676年の間、「国体」を守り続けて来た国なのだから、同様のレベルで比べるのは失礼ではないか?「政体」と「国体」が分離されていない民族では判らないのだろうが。
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