逆境から生まれたヒット商品『バジルシードドリンク』に見る中小企業の「一人 勝ち」戦略

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2016年03月23日 18:02  新刊JP

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『アシストバルールの競争戦略 バジルシードドリンクはこうして生まれた』(ダイヤモンド社刊)
最近、美容関連の話題になることが多い「スーパーフード」。これは、抗酸化力のある自然食品、つまり身体を若々しく保つための食べ物を指す総称で、代表的なもとのとして、チアシード、クコの実、アサイーなどが挙げられます。

 「バジルシード」もそんなスーパーフードの一つで、水分を含むと寒天状に膨らみ、タピオカのようなプチプチとした食感を楽しむことができます。そして、このバジルシード、グルコマンナンという食物繊維を多く含み美容効果が高いため、海外セレブや人気モデルにも愛用されています。

 『アシストバルールの競争戦略 バジルシードドリンクはこうして生まれた』(松原靖雄著、ダイヤモンド社刊)は、このスーパーフードを飲料化した「バジルシードドリンク」を年間350万本以上売り上げるヒット商品へと育てあげた大阪の零細食品メーカー、株式会社アシストバルールの商品戦略を明かした一冊です。

■「電話一本FAX一台」からのスタート
 アシストバルールの歩みを明らかにするため、まずは同社の代表取締役である松原靖雄氏の歩みをたどってみましょう。
 
 松原氏は大学卒業後、中堅商社に就職します。配属されたのは、食品部門の営業職。大手食品メーカーの余剰品であるドリンクやカップ麺などを安く大量に買い込み、小規模の小売店やドラッグストアへ売りさばく毎日を送っていました。「一分前に情報が来た商品を、電話をかけて一分後に売り、売上100万円」というスピード感に魅了され、嬉々として仕事に取り組んでいたと言います。
 そんな松原さんに転機が訪れたのは今から24年前、28歳のとき。得意先であるディスカウントストアの経営者である新美浩氏に薦められ「総合食品卸マツバラ」を立ち上げます。業務内容は、前職に引き続き、大手食品メーカーや大手飲料メーカーの余剰品を取り扱うというもの。この「総合食品卸マツバラ」が後に設立する「アシストバルール」の前身になります。「電話一本FAX一台」というところからのスタートでした。

 後ろ盾といえば新美社長ぐらいだったものの、松原氏は見る見る成果をあげ、起業2年目にして売上7億円を達成します。さらなる事業拡大を目指し、現在の「株式会社アシストバルール」を設立するにいたるのです。

■社長業と学生という「二足のわらじ」生活が起爆剤に
 アシストバルールはその後も順調に成長を遂げ、2005年には年商20億円を突破。好業績を上げる中でも松原さんは手綱を緩めるどころか「会社が順調なときだからこそ、これまで“自己流”でやってきた経営というものについて体系的に学んでみたい」と考え、京都大学経営管理大学院に入学。社長業と学生という「二足のわらじ」生活をスタートさせます。
 じっくり二年間、経営について学び、数年後には大学で「中小企業論」の教鞭をとるほど知識を吸収した松原氏でしたが、次第にそれまで本業としていた「大手食品メーカーの余剰品の販売」という経営戦略に疑問を持つようになります。
 こうして「オリジナル商品を持つ食品メーカーへの転身」への模索が始まるのです。そして、この模索こそが、後に「バジルシードドリンク」を生み出すことにつながりました。

 本書の読みどころの一つは、同社がバジルシードドリンクと出会い、ヒット商品へと育てあげていくまでのプロセス。
 特に、タイの飲料メーカーが持ちこんできたサンプル品の第一印象が「どぎついピンク色の液体の中に、カエルの卵状のものが標本のように詰まっている不気味な代物」だったために、約1年もかけて「日本人向けに」商品をカスタマイズしていったり、成城石井やIKARI、KOHYOなどの高級スーパーと取引を開始したことをきっかけに流行を作り出していく様は、「ヒット商品の誕生ストーリー」として読みごたえがあります。
 また、そのような商品開発や販売活動の裏には、緻密に設計された経営戦略があったことも見逃せません。そこには同社の企業規模が「従業員20名足らず」であることを逆手にとった、巧みな「一人勝ち」戦略が隠されていたのです。
 
 決して、お金や人材を潤沢に持っているわけではない一企業が、ユニークな商品を生み出し、市場を生き抜いていく姿は多くの企業人にとって痛快なはずです。
(新刊JP編集部)

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