農産物の“6次産業化”なるか?伝統野菜で「地域創生の種」を播く

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2016年05月16日 18:10  FUTURUS

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FUTURUS(フトゥールス)

私たちが日々口にしている野菜や果物といった植物は、子孫を残すため、種を作る。

今の時代、お金を出せば簡単に食べ物は手に入るので、我々はまるで“工業製品”であるかのような錯覚をしてしまうのだが、野菜も“生き物”でその元は種だ。

今回は、食べ物の種から“持続可能な暮らし”を考えてみよう。

ひっそりと「家族のため」に守られた在来種

大和まな、宇陀金ごぼう、ひもとうがらし、大和いも、片平あかね、大和三尺きゅうり、大和丸なす、筒井れんこん……。

いずれも“大和伝統野菜”で、戦前から奈良で生産されてきた。

近年京野菜や加賀野野菜などのブランド野菜は人気だが、奈良県も“大和伝統野菜”を認定し、知名度アップに取り組んでいる。

一般的な野菜を栽培するための種は、現在“F1種”が主流だ。“F1種”とは、病気に強く均一に育つなど栽培しやすく、収穫量向上を目指して品種改良された種。

しかし、その特長は一代限りで、種採りをしても翌年も同様に収穫できるとは限らない。

伝統野菜は、その土地の気候風土に適した個性のものが定着し、性質も遺伝的に固定化された在来種・固定種の野菜。つくりやすく美味しいが、形や大きさが揃わず量産できないことから、大量生産が求められる現代の流通には適さない。

伝統野菜の多くは、「美味しいから家庭用だけに」と、種が継承され、昭和38年頃までは一般的な生活文化だったという。

種取りは、命を「授かる」こと

NPO法人 清澄の村 代表・三浦雅之氏は、「伝統野菜で地域づくり」を目指し、近隣農家と連携協働し“大和伝統野菜”の調査・保存・管理の活動を行っている。

伝統野菜の種は販売されていない。個人の家で代々大切に守り伝えてきたものを譲ってもらい、栽培して種を採集するしかない。

その昔、大和伝統野菜の里芋の一種「烏播(うーはん)」が不作の年は、地域の人が食べずに種を繫ぐことを優先したそうだ。

「譲り受けた伝統野菜の種が採れると、ホッとします。地域で大切に守ってきた命を繫ぐことができたという安心感と、自分もまたその種によって生かされるという根源的な安堵感です」と語る三浦氏。

三浦氏は、「授かる」という言葉や感覚を大切にしているという。

お金を出しても簡単には手に入らない地域の人との信頼関係を築き、伝統野菜の種を分けてもらい、また種を採取する、という手間のかかる過程を丁寧に積み重ねてきたからこそ得られた、一つの「悟り」とも言えるだろう。

「自然に寄りそう暮らしづくり」の種を播く

三浦氏は、命の糧であり地域特有の食文化を未来につなぐ伝統野菜を復興することが、コミュニティづくりになり、ひいては農業の活性化や地域や人々が生き生きと暮らす要となると考えている。

2002年に奈良市郊外の中山間地域に、大和伝統野菜を楽しむレストラン『清澄の里 粟』をオープンして以来、姉妹店や官民共同プロジェクトであるカフェの運営にも携わる。

またNPO法人 清澄の村と、地域の営農組織と連携して生産した農産物の“6次産業化”を目指す株式会社 粟が連携協働する『粟プロジェクト』を推進するなど、“伝統野菜”を通じて、人と地域の輪が広がり、全国でも先駆けのモデルケースとして注目を集めている。

自然に人が寄り添いながら、経済と暮らしを成り立たせるには、地域色を生かして自立する地域創生への取り組みが必要だ。

その試みが、小さな種から始まっている。“一粒万倍”の実りに願いを込めて。

【参考】

※ 清澄の里 粟

※ プロジェクト粟

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