読んだ回数100回以上! 気鋭のベンチャー企業経営者が語る、ジャンプ名作マンガの魅力

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2016年06月08日 17:02  新刊JP

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『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。――東大発バイオベンチャー「ユーグレナ」のとてつもない挑戦』の著者、出雲充さん
『ドラゴンボール』、『幽遊白書』、『スラムダンク』など、90年代『週刊少年ジャンプ』の黄金期を支えた数々の名作マンガ。

これらの作品を読みながら育った少年たちはもう30代。ミドリムシをつかったユニークなビジネスで注目を集める株式会社ユーグレナの代表取締役社長、出雲充さんも現在36歳だ。

『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。――東大発バイオベンチャー「ユーグレナ」のとてつもない挑戦』(ダイヤモンド社刊)を読むと、小学生時代に読んだ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』や『ドラゴンボール』に影響を受けたことを公言している。

では、出雲さんは、マンガからどのようなメッセージを受け取り、自身のビジネスに生かしてきたのだろうか? 話を聞いていくと、出雲さんとマンガのつながりが想像以上に深いことが分かった。

――今、お手元に、出雲さんお気に入りの本をたくさんお持ちいただいていますが、やはり『こちら葛飾区亀有公園前派出所』と『ドラゴンボール』が入っているのですね。



――『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。――東大発バイオベンチャー「ユーグレナ」のとてつもない挑戦』にも、出雲さんの『ドラゴンボール』をめぐるエピソードが紹介されています。まずは、そのあたりからお話いただけますか。

出雲:大学1年生のときに学外活動の一環でバングラデシュへ行き、そこで貧困の実態を知り、「世界から栄養失調をなくしたい」と思うようになりました。
そしてこの目標を達成するため、いつしか「地球のどこかに、ドラゴンボールに出てくる仙豆のような食べ物があったらいいのに」と思うようになり、途中で理転し農学部でいろいろと学びはじめたんです。

仙豆とは、1粒食べればそれで10日間は何も食べずに飢えをしのげ、どんなに身体が傷ついていても、一瞬で完璧に回復するという魔法の食べ物。

当時の私は、「なんでわざわざ農学部に理転してきたの?」と聞かれると、「バングラデシュで仙豆を栽培するためです」と答え、誰彼かまわず、「仙豆みたいな食べ物はないですか?」と聞いて回っていたんです。

――出雲さんのそんな行動が、ミドリムシとの出会いを引き寄せるんですよね。

出雲:はい。大学時代、ビジネスプランコンテストを開催するサークルで出会った1学年下の後輩で、後にユーグレナ社の研究開発部門のリーダーになってくれた鈴木健吾が、あるとき「やっぱり仙豆みたいな食べ物なんて見つからないのかもしれない……」と諦めかけた私に対して、こんなことを言ったんです。

「ミドリムシなら仙豆に近いんじゃないですか。植物と動物の間の生き物ですから」と。

このことが、すべての始まりでした。ですので、『ドラゴンボール』には感謝していますし、何度読んでもワクワクします。

――仙豆のケース以外でいうと、どんなシーンを、どんなふうに読んでいるのですか。

出雲:天津飯が魔封波という技をつかって、ピッコロ大魔王を炊飯器のなかに閉じこめようとするシーンがあります。

魔封波をつかった人間は死んでしまう。つまり、これは1回しかつかえない大技で、外すことは許されません。そのため天津飯はこの技を会得しようと「本番」に備えて何度も練習を重ねます。

結果、どうなったか。練習のしすぎで炊飯器にヒビが入ってしまい、そのことに気づかないまま技をつかってしまった天津飯はピッコロ大魔王を閉じこめることに失敗してしまうんですね。

このシーンは、私にしてみると「練習をしすぎると、本番で力を発揮できないことがある」というメッセージに映る。つまり、ある種の普遍的なメッセージとして受け取ることができるわけです。

――普遍的なメッセージ、ですか。

出雲:様々な経験を積んだ上で、あらためて『ドラゴンボール』を読んでみると、「自分のあのときの経験は、このシーンと同じパターンだな」と当てはめられるようになるのです。

私は3歳から高校3年生までピアノを習っていたのですが、大人になってから魔封波のシーンを読みかえしていたら、その当時のことをふと思い出したことがありました。
天津飯のように失敗したわけではないものの、「練習をしすぎたために本調子ではない状態でコンクールに出たことはあったな」と。

何度も読み返すうち、自分の経験を意味づけし、普遍的な気づきを得ることができる。それだけ作品としての深みを持っていることが『ドラゴンボール』の魅力でしょう。その意味では、ここには持ってきませんでしたが、『スラムダンク』も同様ですね。いずれも100回以上は読んでいると思います。



――『スラムダンク』については、どのようなシーンが印象に残っていますか。

出雲:全国大会出場をかけた湘北−陵南戦、試合時間が残り1分というところで、湘北の木暮が、3ポイントを決めるシーンがありますよね。

その直前のタイムアウトで、陵南の田岡監督は選手に対して、ある指示を出します。それは、好調な流川へのマークをきつくし、その分、木暮へのマークはゆるめてもいいというもの。

でもこの指示が裏目に出てしまう。ノーマークになった小暮に3ポイントを決められ、陵南は負けてしまいます。

――そのシーンは私も覚えています。そこから出雲さんはどのような気づきを得たのでしょうか。

出雲:試合後のインタビューで、田岡監督は「敗因は、この私にある」と答える。「小暮はしょせんベンチ要員。湘北の不安要素にすぎない」と決めつけていた私の采配ミスだった、と。

ここで思うのは、「企業の謝罪会見では、真逆のことも起きているな」ということ。経営陣が会見に出てきて、「私は知りませんでした。これは現場の人間がやったことです」で済ませてしまうケースも少なくないな、と。

――なるほど、このシーンは、ご自身が経営者であることに照らし合わせて読まれているわけですね。

出雲:その通りです。何度かそういう目線で読みかえしていると、このシーンでは田岡監督以外にも、湘北のキャプテンである赤木に目が行くときもあります。小暮へパスが渡った瞬間、彼は「小暮フリーだ うてっ!」と指示を出すじゃないですか。

でも、ここで「もし自分が赤木と同じ立場だったら」と考えたとき、この一言を発せるかといったら……。このシーンで赤木が取り得る選択肢は他にもあるよなと思うわけです。

まずは、自分にパスさせるという選択肢。小暮がノーマークとはいえ、「勝っても負けても、自分のプレーで終わりたい」と思うのが人情ではないでしょうか。

もしくは、マークが二人ついているとはいえ、「どんなショットでも決められる」テンションの絶好調・流川にボールを回すよう指示を出す。つまり、ノリにノっている人に任せるというのが二つ目の選択肢です。

――たしかに、普通に考えたら、その二つの選択肢しか浮かばないかもしれません。

出雲:私のまわりにいるスラムダンクファンにも聞いてみましたが、どう考えても、この二つがリーズナブルな選択肢です。でも、赤木はいずれの選択肢も選ばなかった。決定的な場面で仲間にすべてを任せた。「仲間を信じるとは、どういうことか」と考えずにいられなくなります。

このように、自分の経験や社会のイベントと照らし合わせながら読むことで、「普通、こうはならないよな」「やっぱり、こういうことが重要だよな」と、比較分析のようなことができる。これこそが『ドラゴンボール』や『スラムダンク』の魅力だと感じています。
(後編へ続く)

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