戦死したイスラム系米兵の両親が、トランプに突きつけた「アメリカの本質」

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2016年08月01日 15:01  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<イラク戦争で息子を失くしたイスラム系アメリカ人夫妻の、民主党大会で語ったスピーチが話題となっている。アメリカの憲法の精神をわかっているのか、とトランプに問いかけた>(戦死した息子の遺影の前で米憲法の冊子を掲げるカーン夫妻)


 二大政党の党大会で話題になるのは、指名候補や将来有望な政治家のスピーチ、候補を支持するスターの顔ぶれだ。しかしときには、無名の人々のスピーチが、著名な人々以上にパワフルなメッセージを伝えることがある。


 先週、ヒラリーに招かれて民主党大会の壇上に立ったキズル・カーンは、パキスタン系のイスラム教徒の移民で、アメリカ国籍を持つ弁護士だ。息子フマユン・カーン大尉は、2004年にイラク戦争で自爆テロに遭い戦死した。


「ドナルド・トランプ。あなたは、アメリカの未来を預けてくれと言う。だが、その前に質問させてもらいたい。憲法を読んだことがあるのか? ないなら、私が持っている冊子を喜んで貸してやろう」


 トランプはこれまで、「イスラム教徒のアメリカ入国を禁止する」「イスラム教テロリストの家族を皆殺し(take out)にするべき」「アメリカのイスラム教徒はテロリストを警察から隠している」などといった発言や示唆を繰り返してきた。トランプの発言の数々は、第二次世界大戦で日系アメリカ人が強制収容所に入れられた暗い歴史の復活を思わせる。現在、排斥のターゲットになっているのがイスラム教徒だ。


【参考記事】トランプはプーチンの操り人形?


 それとは対称的に、民主党大会で何度も繰り返されたのは「人種や宗教にかかわらず、われわれ全員がアメリカ人だ。国民同士が背を向け合ってはならない。手をつなぎあうことで強くなろう」というメッセージだ。


 アメリカのために闘い、アメリカ人の戦友を守って亡くなったカーン夫妻の息子はイスラム教徒だが、その前に「アメリカ人」だ。


 悲しみを抑えて強い口調で呼びかけたカーンの言葉は、それまでのスピーチに抗議のブーイングをしていた人々を黙らせ、出席者全員の心を掴んだ。


 最近続いているテロ事件で、欧州でも移民問題が注目されている。だが、欧州とアメリカのどちらにも住んだことがあるアメリカ人がよく語るのは、「欧州とアメリカでは移民の立場が違う」ということだ。イギリスとスイスで暮らした経験がある筆者も同様の意見だ。欧州では、元からの住民と移民がなかなか同等になれない。移民1世は最初からそれを承知で溶けこむ努力をするが、2世は努力しても「二流市民」にしかなれないことに絶望し、憤りを抱きがちだ。


 一方、アメリカはもともと移民の国だ。アメリカではまだ白人のキリスト教徒がマジョリティだが、それが「アメリカ」ではない。憲法が宗教や人種による差別を禁じ、国民全員の平等を約束している。その根本的な原則で繋がっているのが「アメリカ」なのだ。


 むろん、人種差別はまだ存在するし、数々の人権問題もかかえている。だが、アメリカは進歩もしてきた。だから、絶望するのではなく、より良い未来に向けて改善することに力をそそぐべきだ。それが今回の党大会で民主党とヒラリーが示した立場だ。


 トランプは、「移民」「イスラム教徒」「黒人」といった括り方でそれ以外の国民の恐怖心をかきたてて対立させようとしている。票の獲得には、この戦略が有効だからだ。


 トランプに対するカーンの問いかけでは、トランプを変えることはできない。それはカーンも承知しているはずだ。カーンが語りかけている相手はトランプではなく、トランプに惹かれているアメリカ国民なのだ。


「アーリントン国立墓地に行ったことがあるのか? 行って、アメリカ合衆国を守って死んだ勇敢な愛国者の墓碑を見るといい。彼らがあらゆる宗教、性別、人種だとわかるだろう。あなたは、何も犠牲にしていないし、(大切な人を)誰も犠牲にしていない」


【参考記事】ヒラリー勝利のキーマンになるのは誰だ


 これに対抗してトランプは、直後のABCニュースのインタビューで、「(自分も)沢山のものを犠牲にしてきた。熱心に働き、多くの雇用を創出し、偉大な建物を建ててきた。自分は途方もない成功を収め、多くのことを成し遂げた」と反論した。しかしこの的外れの反論は、ネット上で多くの人々から批判を受けている。


 カーンは、「不満や不安」を選ぶアメリカ人を恥じさせ、「アメリカの良心とプライド」を思い出させた。短いスピーチだったが、ある意味オバマ大統領の感動的なスピーチよりもパワフルだった。


<ニューストピックス:【2016米大統領選】最新現地リポート>


≪筆者・渡辺由佳里氏の連載コラム「ベストセラーからアメリカを読む」≫



渡辺由佳里(エッセイスト)


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