勝負の世界に生きた人間だけが知る、運を味方につける方法

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2016年08月11日 18:02  新刊JP

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勝負の世界に生きた人間だけが知る、運を味方につける方法
ついに始まったリオ五輪。

「五輪には魔物が棲んでいる」とは、よく耳にする言葉だが、テニス男子ではノバク・ジョコビッチ選手、フェンシング男子では太田雄貴選手、卓球女子では石川佳純選手が初戦敗退する等、早くも数々の番狂わせが起きている。

彼らとて、油断したわけではないだろうし、準備は万端にしてきたはず。となると、やはり勝負事には運も大きくかかわってくることを、改めて思い知らされる。

■将棋は「どんなに勝ち続けた人でも最後には二勝一敗ペースを切る」世界

『不運のすすめ』(角川書店刊)の著者、米長邦雄氏は20歳から60歳までの40年間にわたり、将棋の棋士として勝負事の世界に身を投じた経験から、運に関する考察を深めていった人物。

米長氏いわく、将棋は「どんなに勝ち続けた人でも最後には二勝一敗ペースを切る」。このような世界を生き抜くなかで、彼は「運・不運」をめぐって以下のように考えるようになったという。

人生を仮に六十年とすると、六十年間すべて幸せという人も、逆に六十年間まったく鳴かず飛ばずという人もいない。たいていは、幸せな時が二十年、不遇の時が二十年、そしてどちらにも転ぶ可能性がある二十年がある。この二十年を幸せのほうに引き寄せて、幸福な四十年と厳しい二十年、という割合で生涯を終えることが望ましい
(『不運のすすめ』P71 より引用)

では、運・不運どちらにも転ぶ可能性のある時期を幸福なものにしたり、不運による「傷」を最小限に抑えるために、米長氏はどのような知恵を発揮していったのだろうか。

■苦境に立たされたときに必要なのは「不利の勢い」

不運に見舞われ、明らかに劣勢な状況に置かれたとき、うろたえて不用意な動きをしてしまい、かえって状況を悪化させてしまうことがある。

米長氏の言葉を借りれば、不利な時というのは、相手が刀を振り回しているのを必死にかいくぐっているようなもので、ムキになって反撃したり、怖じ気づいて背中を見せたりすれば、バッサリ斬られて終わりだという。

では、こんなときどうすべきなのか。米長氏は棋士としての経験から、「不利の勢い」の大切さを説く。

「今、自分は不利だが、相手はどこかで絶対に間違える」。この気持ちを切らさずに、じっと粘っていれば、いずれ勝機は芽生えるし、相手が、「間違わないように」と必要以上に慎重になって自滅することだってある。

その状態が長く続くことで相手は徐々に疲れていき、最終的には疲れ果て、本当に「おかしな手」を指してしまうことが少なくない。米長氏はこの一連の状況変化を「不利の勢い」と呼んでいるわけだ。

■キャリア二十年にして若手に教えを乞う

米長氏は40代半ばの頃、20代の若い棋士になかなか勝てずにいた。いわゆるスランプである。こうした不遇の時代を彼はどのようにして乗り切ったか。

結論からいえば、米長氏は若手と積極的に交流を図ることで局面を打開した。

きっかけは、若手棋士との会話だった。
ある若い棋士から、「過去の対局を調べれば、あなたの得意技はすべて分かる」「自分の得意技を捨てたほうがいい」と言われたのだ。

米長氏は当時の自身の頭の中を「ガレージ」になぞらえて、こう述べる。「そのときの自分は、ガレージの中が中古車でいっぱいになっていた。それらをどんどん捨て、新車を入れていかなければと思った」と。

つまり、そのとき彼は自分の持ち技を「更新」する必要があると感じた。そこで毎週土曜日に「米長道場」なる研究会を開くことを決め、当時、まだ十七歳だった羽生善治氏を含め、総勢四十名ほどの若手を集めたのだ。

この研究会を通じて若手から多くの刺激をもらった米長氏は、4年間タイトルに見放される不運から脱し、五十歳を目前にして、6期ぶりに王将位に返り咲いた。

勝負事の節々に関わってくる「運」は、自分ではどうにもならないことだと考えがちだが、実はそんなことはない。少なくとも、運について考えに考えてきた米長氏はそう考えてはいないだろう。

思い通りにならない運をいかに自分に引き寄せるか。行き詰まりを感じている人ほど、氏の言葉から気づくことは多いのではないだろうか。
(新刊JP編集部)

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