近年最悪の緊張状態にあるカシミール紛争

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2016年10月13日 16:51  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<インドとパキスタンが領有権をめぐって衝突するカシミール紛争は現在、近年でも最悪の緊張状態にあるが、世界は関心を払っていない>(写真は今年8月6日、反インドのデモを行うスリナガル市民たち)


 今、カシミールのイスラム系住民の怒りが再燃している。


 先月18日、パキスタンからの支援を得ているとされるイスラム過激派組織ジャイシュ・エ・ムハンマド(JeM)が、カシミール地方に駐留するインド兵の基地を襲って兵士18人を殺害した。するとその報復として、インド政府は先月29日に過激派組織の拠点などにピンポイント攻撃を行い、多数の過激派や関係者を殺害した。


 この戦闘以降、パキスタン軍とインド軍は、国境を挟んで軍事的な小競り合いを続けている。ただ、パキスタン側は過激派メンバーを使ったインドとの戦闘だけでなく、インドから攻撃を受けた事実すら否定している。


 1947年から現在まで70年近くにわたって、4万7000人以上(現地で話を聞くと、実際には1989年から10万人以上が死亡したとされる)の死亡者を出しているカシミール紛争。インドとパキスタンが領有権を争う、インド北部カシミールで続いている紛争だが、テロの応酬や激しい戦闘があっても、日本のみならず、世界的にもシリアのような大ニュースにはならない。しかし現在、印パ両国の緊張は高まっており、カシミール紛争は近年で最も情勢が悪化している。


【参考記事】ダッカ人質テロの背後にちらつくパキスタン情報機関の影


 そもそも今回の戦闘は、今年6月8日に、インド側のカシミールを拠点にしていたカシミールで最大のイスラム武装勢力ヒズボル・ムジャヒディンの司令官が、インド治安部隊に殺害されたことに端を発する。同組織は、インドからの分離独立を狙って活動してきたため、カシミールの住民は一斉に反インドのデモや抗議活動を繰り広げた。インドからの独立は、自決権を求めるカシミール住民の総意でもあるからだ。


 司令官殺害から、両国の小競り合いは継続し、カシミール渓谷では暴力的なデモが起き、インド政府はカシミールの大部分で外出禁止令を出した。また電話サービスも一部で停止され、インターネットもカシミール全域で使えなくなった。さらに今月2日には、新聞社まで封鎖された。現地カメラマンのヤワル・カブリは、これまでとくらべても「状況はかなり悪い」と語っている。


 こうした混乱のなか、カシミールでは7月以降、少なくとも93人以上が死亡し、1万4000人以上が負傷、さらに7000人以上がインド治安部隊に拘束されている。だが世界的には大きなニュースにはなっていない。長く続くカシミール紛争では、印パの散発的な衝突が繰り広げられ、カシミール地方、とりわけ夏季の州都であるスリナガルなどで起きる市民とインド治安部隊の激しい衝突なども頻発しているため、状況の変化がわかりにくい。そしてそれこそが、美しい景観を誇るカシミールにおける紛争が「忘れられたパラダイス」「忘れられた紛争」などと呼ばれるゆえんだ。


(今年8月31日、外出禁止令が解除されてすぐに衝突するスリナガルのデモ参加者らとインド治安部隊 Photo by Yawar Nazir)


 そもそもカシミール紛争とは何か? たびたび現地に赴き、長期に渡って取材を重ねてきた筆者が、ここで簡単に説明したい。


 インドとパキスタンの北部に広がるヒマラヤ山脈に近いカシミール地方は、1947年の印パ独立の際に、インド側カシミール(インドのジャム・カシミール州)とパキスタン側カシミール(パキスタンのアザド・カシミール准州)に分断された。イスラム教徒が大多数を占めるインド側のカシミールは、ヒンドゥー教徒の多いインドからの分離独立を目指している。イスラム教徒が多いインド側カシミールを取り戻したいイスラム教国のパキスタンは、過激派を政府として支援・動員して、インド側カシミールに駐留するインド兵や治安部隊への攻撃を行ってきた。反対にインド兵などは、カシミールのイスラム教徒を厳しく弾圧し、殺人や暴行など酷い扱いも繰り返してきた。これが今日まで続くカシミール紛争だ。


 ちなみにインドでは「軍事特別法」と呼ばれる法律が1990年から施行されている。この法律は、カシミールに駐留する軍や治安部隊の権限を大幅に拡大するものだ。必要があれば、殺害、捜索、逮捕を、法的な手続きがなくても行なえるようになっており、これがインド治安部隊による弾圧につながっているとスリナガル市民は声を揃えて指摘する。


【参考記事】インドはなぜ五輪で勝てない?


 もうひとつ特筆すべきは、独立から4度の戦火を交え、ずっとライバル関係にあるインドとパキスタンは、どちらも核保有国である点だ。印パが本気で戦争することは避けなければならない。その一方で、両国が核保有国であることが、戦争には突入しない抑止力になっているとの指摘もある。英フィナンシャルタイムズ紙は、匿名の欧米政府関係者による「(印パは)戦争に突入する前に10回は考え直すだろうと考えられる」という言葉を引用している。


 実は、インドで新政権が誕生し、印パがカシミール問題などで多少でも歩み寄りを見せると、パキスタン軍が反発に動くということを繰り返してきた歴史がある。2007年にはパキスタンのパルベス・ムシャラフ大統領(当時)とインドのマンモハン・シン首相(当時)が極秘の交渉を続け、カシミール問題が解決に過去最も近づいた。だがパキスタンで権力を誇る軍部がその取り組みを嫌い、2008年にパキスタン軍が支配する過激派組織ラシュカレ・トイバを利用してムンバイ同時多発テロを起こし、交渉を頓挫させた。パキスタン軍部はインドとの緊張関係を維持することで権力を維持しているとも批判されている。


 最近も、2014年にインドの首相に就任したナレンドラ・モディ首相が、就任式にパキスタンのナワズ・シャリフ首相を招待するなど、カシミール問題をめぐる雪解けが期待された。だがパキスタン軍は国境沿いで攻撃を行うなど小競り合いを続けてこれに反発した。


 現在の情勢の悪化について、パキスタンのシャリフは先月21日に国連で演説して、インド兵に殺害されたヒズボル・ムジャヒディンの司令官を英雄視する発言をした。するとインドのモディ首相は「パキスタンを孤立させる」と厳しい姿勢を見せている。両国の関係は再び緊張の度合を高めている。


 すぐに戦争、ということにはならないが、両国の苛立ちがますます高まっていることは明らかで、今後の展開は予測できない状況だ。過激派組織ジャイシュ・エ・ムハンマドが、インド国内でのテロ攻撃を計画しているとも報じられている。さらにその余波はエンターテインメントにも波及しており、インド映画のボリウッドでは、今の状況が落ち着くまでパキスタン人俳優の出演を禁止し、パキスタン側もインド人クリケット選手を取り上げた映画の公開を中止した。


 カシミール紛争は、世界が余り関心を払わない中で、過去最悪の危機を迎えている。


(今年7月15日、スリナガルで外出禁止令の中を、インド部隊の命令に反して外出する女性 Photo by Yawar Nazir)


(今年7月17日、厳しい外出禁止令にあるスリナガル市街をパトロールするインド治安部隊。カシミールには常時50万人のインド治安部隊が配備されている Photo by Yawar Nazir)


(今年7月23日、スリナガルでの反インドのデモ。デモなどによって長期にわたる外出禁止令が出された Photo by Yawar Nazir)


(今年8月18日、スリナガルの病院では負傷者が溢れかえっている Photo by Yawar Nazir)


(今年8月30日、デモ隊を追い払うために動員されたインド治安部隊のメンバー。インド政府はこの時期までに2000人の追加部隊員をカシミールに派遣した Photo by Yawar Nazir)


【記事:山田敏弘】


ジャーナリスト。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版などで勤務後、米マサチューセッツ工科大学(MIT)で国際情勢の研究・取材活動に従事。訳書に『黒いワールドカップ』(講談社)など、著書に『モンスター 暗躍する次のアルカイダ』(中央公論新社)、『ハリウッド検視ファイル トーマス野口の遺言』(新潮社)。現在、クーリエ・ジャポンやITメディア・ビジネスオンラインなどで国際情勢の連載をもち、月刊誌や週刊誌などでも取材・執筆活動を行っている


【写真:Yawar Kabli(ヤワル・カブリ)】


カシミール在住のカメラマン。1982年、スリナガル生まれ。ロイター通信やガンマなどのカメラマンを経て、現在は Getty Images にフリーランスとして所属し、カシミール発のニュースなどをカバーしている



山田敏弘(ジャーナリスト)


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