【『HUNTER×HUNTER』が「少年漫画」で成し遂げたこと 非論理の先を描くの画像・動画をすべて見る】
遅ればせながら自己紹介をしておくと、以前にこんな記事を書かせていただいた者です。
今回の記事のコンセプトとしては、休載に悲観していてもしょうがないので、愛読者の皆様も案外気付いてないんじゃないかな? という点について書かせていただきたいと思います。
まずは前提の確認から。
登場キャラクターである「ジン」「カイト」「コルト」という名前、また奥さんである武内直子先生の宝石趣味を鑑みると、ジンカイトというトルコ石が「転生」を意味し、カイトの運命を示唆していた、というのは有名な話ですね。
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執筆:亮祐 編集:米村智水 グラフィック:bpm
キメラアントのような作家
評論家の宇野常寛さんは、冨樫先生を「キメラアントのような作家だ」と評しました。念能力が『ジョジョの奇妙な冒険』のスタンド能力そのまんまだったり、グリードアイランド編がMMORPG的世界観だったり、自民党から民主党へ政権交代した後に選挙編を描かれたり、劇画風・少女漫画風・筆での作画と、場面によって絵柄が変わりまくったり、例を挙げるとキリがありませんが、要は面白いと思ったものを見境なくジャンジャン取り入れていく作家ということです。
……そして、1話から蟻編ラストまでを想定したとき、『HUNTER×HUNTER』には、決定的に下地にしているであろう作品が存在します。
それは、ジャンプ史上最大の代表作と目される『ドラゴンボール』です。
『ドラゴンボール』との数ある類似点
……同じ雑誌だし少年漫画なんだから、そりゃ類似点はあるだろ、と思われる方が多いかもしれませんが、実際に見ていただくのが早いと思われます。
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強くなるための大会。
など、まあここらへんは少年漫画ならではのシーンといえますが、蟻編からが本番です。
食えば食うほど強くなるというラスボスの存在。
主人公覚醒のきっかけ。
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願いを叶える者。
そして『ドラゴンボール』の最後を飾る、転生。
ざっくり挙げるとこんなところです。
論理的に描ききることで、非論理の先を描く
これらの類似点を偶然や深読み、といった言葉で片付けるのは容易いですが、ここからもう一段階掘り下げて考えてみたいと思います。
『HUNTER×HUNTER』は、『ドラゴンボール』世界における非論理性を徹底的に排除した世界である、と。
無粋なのであえて指摘しませんが、『ドラゴンボール』には矛盾や後付けがアホほど多いです。
それらを、『HUNTER×HUNTER』は完全にクリアしています。
例えば、主人公の覚醒の理由。
願いに伴う「呪い」。
もっと言うならば、少年漫画における非論理性を、論理的に描いたときに、何が起こるのか、と言い換えることもできます。
一番顕著なのは、やはり蟻の王・メルエムでしょう。
「NGLとキメラアント」という、最強の生物が生まれるための環境からして徹底していますが、彼と魔人ブウを対比したときに、重要な違いを見出すことができます。
「魔人ブウは自らのエゴと分裂したが、エルメムはそれを受け入れた」ということです。
魔人ブウは己の悪と決裂できましたが、僕ら人間はそんな便利なことできないんです。
メルエムは、蟻(魔人ブウのような人間以外)じゃなくて、最後は人間だったんですよ。こっちに揺れたんです。エゴを乗り越えて、コムギと人間として生きようとしたんです。毒で死んでしまったことも含めて、人間なんです。
それらを踏まえて、皆様に再読していただきたいシーンがあります。
『HUNTER×HUNTER』30巻52ページより
ここで、何が起きてるのか、分かりますか?
この日のために生まれた、とまで言ったコムギが「………」と返答しかねてるのが何故か、分かりますか?
コムギは、王の手を握るこの瞬間まで、王のことを人間だと思っていたんですよ。
コムギもまた、乗り越えたんです。
王とのこれまでのやりとり、キルアとのやりとり…。この「………」の間に、彼女の脳裏には様々なことがよぎったはずです。
コムギの目が見えていれば、おそらく王は人間にはならなかったでしょう。この出会いは、それくらい奇跡だったんです。
そしてこの盲目の少女との出会いも、やはり『ドラゴンボール』とリンクします。
自分と異なるものと仲良くなるということ。
メルエムとコムギの物語は異類婚姻譚であり、論理を追求することは、冨樫義博先生にとって、論理を超えた神話的・人類文化学的な世界を描くことの最低条件だったのかなぁという気がします。
蟻編のあとじゃないと、論理を超越したアルカの存在なんて許されないわけです。
……話が脱線しそうなのでシンプルにまとめると、「人を見た目で判断するな」を物語に理想的に転化させると、こんな物語になるのでしょうね。
以上の様々な要素から、『HUNTER×HUNTER』は蟻編ラストを想定して連載開始しており、また、『HUNTER×HUNTER』は冨樫義博版ドラゴンボールである、と考えます。
いかがだったでしょうか?
最後に、一応書いておきます。
上に載せたコムギと王のシーンは、あくまで可能性の一つです。王が「“このまま”手を握って“いて”くれるか?」 と問いかけているところから、既に握った状態であの会話はなされており、王が死ぬという現実を受け入れるための「……」という間合いだった…と読み解くのが自然です。
その場合ですと、コムギが「わかりますた こうですね?」と言っているのは手を握りなおしただけ、「コムギ…いるか?」と何回も問いかけたのは、手は握られているけどコムギがここにいるか分からないというほど不安だった、このまま一緒にいてくれるかどうか不安だった、もしくは、もはやほとんど耳と声にしか意識がいっていなかった…ということなのでしょう。
ですので繰り返しますが、「こういう可能性もあるんじゃないかなぁ」という一つの解釈としてお読み下さい。
信者の深読みと妄想、だなんて言葉で片付けられたら悲しいですが、休載中の楽しみの一助となれたなら、僕としてはこれ以上の喜びはありません。
それでは、読んでいただき、ありがとうございました。