飛んでいる虫は、なぜ、墜落しないのか?
その謎を世界で初めて解明した劉浩氏は、「生物規範工学」の第一人者として、生物の羽ばたきの仕組みを製品開発やビジネスに役立てる研究を行っている。
全2回にて昆虫の飛行原理やその応用についてお話をお伺いするインタビュー後編では、劉氏の人となりも交えながら、自然界の生物が秘める「ビジネスや人間社会までも変えるポテンシャル」についてお伝えする。
“コスト最小”という自然界の摂理が人類に与えるインパクト
――昆虫の羽の研究が、国家レベルで推進すべき重要なテーマになっているとは、正直驚きました。
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一般的に、工業製品を開発する際は、効率が最大になるように設計します。しかし、私たちの最新の研究では、「魚の遊泳や生物飛行などは、コストが最小になるように設計されている」ということがわかりました。
自然界で何億年もの間に進化した結果、“効率最大”ではなくて、“コスト最小”という形を実現しているわけです。
――ある意味、人類は自然界と逆のベクトルに進んでいるんですね
生物を研究していると、自然界の普遍的な原理がわかってきます。その原理を人間社会に適応すれば、さまざまな意味において省エネにつながるだけでなく、単なる1 つの工業製品にとどまらず、社会全体、そして人類全体に与えるインパクトは将来的にかなり大きくなるはずです。
特に、私たち人類が直面しているエネルギー問題について、現状のままでは破滅に向かうという危険性も回避できると思います。
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――自然に回帰することが、人類の生き残りのために必要ということですね。
そうです。人類は、何億年もの時間をかけて進化した自然界の現象から学ばなければいけない。それが、私が生物規範工学やバイオミメティクスを提唱する大きな理由ですね。
逆に、生物学的観点では、生物規範工学に基づいてつくったロボットから、生物の適応性や多様性の進化なども解明できるかもしれません。そして、そこからまた新たなテクノロジーが生まれる可能性もあります。
――生物規範工学の応用の範囲というのは、とてつもなく広がっていきそうですね。
まず、効率最大ではなくてコスト最小というコンセプトを使って、どのように人間社会を築いていくかということが重要な時代になっていくでしょう。
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さらに、羽に関する概念だけでなく、自然界の生物の行動や進化における、ある種の「フィロソフィー」ともいえる部分からも、これから人間は多くを学び、活かしていく必要があると思います。
東日本大震災で変わった科学者としての考え
――劉先生が、科学者として心がけていることは何ですか?
自分自身が興味を持っている「基礎研究」と、世の中の役に立つ「応用研究」を同時に行うように、いつも自分に言い聞かせています。
そう考えるようになった最大のきっかけは、2011年の東日本大震災でした。災害の影響の甚大さに大きな衝撃を受けて、自分の趣味で研究するのではなく、世の中のために役に立つものもつくろうと考え始めたのです。
現在は、基礎研究で新しい原理を解明して、必ず応用できるレベルにまでもっていくことを目標に、基礎と応用を両輪として研究を進めています。
――それ以前は、どのようなお考えで研究していらっしゃったのですか?
若い頃から、「現象の原理がどこにあるか」ということを解明したいという気持ちが強くて、面白い研究をやりたいと考えていました。
小学校1年生のときには「将来は大学の先生になる」という夢を持っていて、何かに対して興味を持つと、一生懸命にいろいろ追求していこうというタイプだったんです。音楽も好きで、一時は音大を目指したこともありました。でも、やっぱり研究が好きで、諦めましたが(笑)。
生物規範工学の面白さと重要性
――ちなみに、小さな頃から、虫が好きだったのですか?
いや、そうではないです。蚊などの虫は、人を刺しますから(笑)。どちらかというと、鳥のほうが美しくて、かつ、羽の形状がかなり複雑で、興味がありました。
私は研究者としてのキャリアを船舶の研究から始めましたが、子どもの頃から「飛ぶ」ということには憧れのようなものを感じていましたね。
――そもそも、機械が好きだったのですか?
機械というよりも、力学や工学に近いもので、数学を使って「AがあってBになる。故に、Cになる」といった理路整然とした流れのもののほうが好きでした。
――かたや、現在は、「A〜B〜C」の流れでは解明できない、生物の神秘ともいえるものを研究していらっしゃいますね。
「A〜B〜C」という考え方が自分のベースにありながら、これまでの原理や常識が通用しない部分に自分の発想も活かせる。だから、私自身にとって生物規範工学は面白いのだと思います。
工学系分野、特に機械工学分野においては、いわゆる従来の研究領域が殆ど研究し尽くされています。ですから、「自然界からさまざまな新しい研究テーマを取り入れて、新しい現象を解明して、それで新しい原理が出てくる。そして、それを実際の機械の開発に使う」という生物規範工学は、今後さらに奥深さや重要性が増していくでしょう。
人体のあらゆるレベルで起きる現象も分析可能
――現在、大学研究室では、人体に関する研究も進められているとお聞きしました
生物規範工学に機械工学や電子工学を融合して、医療機器の開発や予測医学を目指す“バイオメディカルエンジニアリング”を行っています。
たとえば人体の血流の力学や肺の中の空気の流れを解明する“生体力学シミュレーション研究”では、人体のあらゆるレベルで起きている現象を、遺伝子レベルからミクロの分子、細胞からマクロの組織、器官と最終的に全身の状況までマルチスケール的に分析しています。
自然界から学ぶ“Win-Win”な製品やビジネス
――そちらの研究も人類の未来に大きく役立つものですが、劉先生にとって、テクノロジーとビジネスのハッピーな関係とはどのようなものだとお考えですか?
生物を研究していて、1つの普遍的なことがわかりました。それは、「生物は常に周りの環境に合わせて適応しながら進化している」ということです。常に、Win-Winの状態なんですね。そうでないと、生存できないので。人間には、そういう所が欠けていると思います。
製品の開発、あるいはビジネスモデルをつくるときに、必ず相手の立場に立って、お互いがハッピーになるようなモノをつくっていかなければ、長続きはしません。そのような製品やビジネスが生まれるようなテクノロジーを、私は研究開発していきたいと考えています。
――科学者として、特定の“勝ち組”だけでなく、誰もがハッピーになれる技術を生み出したい?
そうです。学生たちには、常に「科学者になるには、まず、良い人間にならなければいけない」と言っています。科学というものは、結局、本当に心を込めて追求しないと、あるいは得られた結果に対して心を込めて解明しないと、“真のモノ”は出てこないんですね。
――そして、他人の立場も理解できる「良い人間」でもある必要があるということですね。
そのような姿勢があってこそ、当事者双方、そして人類全体にとって永続的にメリットがあるテクノロジーやビジネスが生まれてくるのだと考えています。
そういう意味では、長い進化の過程でWin-Winの関係を築いてきた自然界の生物たちは、「どちらか一方にとってマイナスになる」というアンバランスをうまく解消しているともいえます。
エネルギー問題を抜本的に解決する研究も進行中
――だからこそ、自然界に学ぶことが大切なのですね。
そうですね。自然界の普遍的な原理を人間社会に役立つものにするために、生物規範工学が一つのアウトプットになると思います。
まだ詳しくはお話しできませんが、回転型流体機械を用いて電力消費を抑えるだけでなく、電力を生み出す研究も進めています。これらの成果が形になれば、生物規範のテクノロジーが人々の暮らしを変え、地球の環境問題を解決する日が訪れるのも、それほど遠い未来ではないかもしれません。(了)
ドローン開発からエネルギー問題まで 虫の「羽ばたき」が果たす、その秘密【前編】
【取材協力】
劉浩●千葉大学大学院工学研究科教授。千葉大学・上海交通大学国際共同研究センター・センター長。工学博士。1992年、横浜国立大学博士課程修了。92年に運輸省船舶技術研究所に入所し、93年、科学技術振興事業団・創造科学研究推進事業研究員として生物運動機構の研究に着手。名古屋工業大学、理化学研究所などを経て、2003年から現職。専門は、計算力学、バイオメカニクス、生物飛行・遊泳、バイオミメティクスなど。