日本人の無自覚な沖縄差別

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2016年11月04日 19:22  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<機動隊員の「土人」発言も、沖縄の米軍基地・撤退問題が聞き入れられないのも根は同じ。沖縄蔑視だ> (写真は、高江に配備された機動隊)


 少なくとも米軍ヘリパッド建設が進められる高江(沖縄県東村)で反対運動に参加している市民にとって、機動隊員の「土人」「シナ人」発言に唐突感はなかった。機動隊員の暴言はいまにはじまったことではない。


「バカ」「気持ち悪い」「犯罪者」「ババア」──。こうした言葉が日常的に飛び交っていた。


「暴言の類は珍しくない。我々は最初から敵として扱われている」


 そう話すのは高江でヘリパッド建設反対運動を続けている沖縄平和運動センターの大城悟事務局長だ。


 地元(東村)村議の伊佐真次氏も「高江に常駐する機動隊には市民運動を敵視する体質がある。けっして機動隊個人の資質の問題ではない」と指摘する。


「土人」発言に多くの沖縄県民が憤っているのは、そこに沖縄への蔑視と偏見を見るからだ。


 一部には反対派市民の罵声を取り上げ「どっちもどっち」と論ずる向きもある。確かに機動隊員個人の人格を貶めるような罵声は慎むべきだろう。だが、圧倒的な公権力を持った側と対等に並べることじたいがおかしい。ましてや差別発言解消の責務を負った公務員の発言であればこそ許されるものではない。


県民に対する侮辱


 10月28日、沖縄県議会は「県民に対する侮辱」だとする抗議・意見書を可決した。意見書は次のように訴えている。


<「土人」という言葉は「未開・非文明」といった意味の侮蔑的な差別用語であり、「シナ」とは戦前の中国に対する侵略に結びついて使われてきた蔑称である。この発言は、沖縄県民の誇りと尊厳を踏みにじり、県民の心に癒やしがたい深い傷を与えた。沖縄戦では本土防衛の捨て石にされ、戦後27年間は本土から切り離され米軍占領下に置かれ、そして今なお全国の米軍専用施設面積の74%が集中しているもとで沖縄県民は基地あるがゆえの事件事故に苦しめられ続けてきた。今回の発言は、沖縄県民の苦難の歴史を否定し、平和な沖縄を願って歩んできた県民の思いを一瞬のうちに打ち砕いたものと言わざるを得ない>


 また、翁長雄志知事も会見で、他都府県警から派遣の機動隊員について「引き取ってもらいたいという気持ちはある」と述べ、県外機動隊の撤収に初めて言及した。


          *****


 差別発言の"舞台"となった高江の米軍北部訓練場の正式名称は「ジャングル戦闘訓練センター」である。文字通り、ジャングルでの対ゲリラ戦に備えた訓練場だ。


 60年代、ここではベトナム戦を想定した訓練がおこなわれていた。敷地内にはベトナムの集落を模した「ベトナム村」がつくられ、高江の住民も"現地人"役を務めるために動員された。


 米軍出撃基地だったという事情も含め、沖縄にとってベトナム戦争は遠い場所の出来事ではない。


 そのベトナム戦争時、米兵は現地住民を「Gook」と呼んでいた。「土人」を意味するスラングである。占領期の沖縄でも使われていた時期があるという。


 そこには支配と服従の関係を強いる植民地的視点が内在している。有体に言えば、人間として「同格」であることを拒んだ言葉でもある。


 沖縄は、そうした視線にさらされてきた。米国からも、そして日本からも。


 かつて大阪や東京でアパートの大家が「琉球人お断り」の貼り紙をするのは珍しいことではなかった。就職差別もあった。ネット上にはいまでも沖縄を侮蔑、差別する言葉があふれている。歴史をさかのぼれば、琉球処分のころから、沖縄は蔑まされてきた。差別は連綿と続いている。


 沖縄出身で、大阪において「関西沖縄文庫」を主宰する金城馨氏は「土人発言も日本人の意識の問題ですよ。日本人がずっと持ってきた、沖縄へのまなざしが具体化されただけ」と突き放すように答えた。


「沖縄を下位に置くことで、本土の優越意識が保たれているんじゃないですか」


「土人」発言が問題となったとき、沖縄の新聞各紙が「人類館事件」を引き合いに、けっして風化されることのない沖縄差別を論じたのは当然だった。


人類館の「七種の土人」


 1903年、大阪で内国勧業博覧会(大阪万博)が開催された。当時、万博は近代国家を誇示するための重要なイベントだった。1851年にロンドンで初めての万博が開催されて以降、各国は競うように万博を開催した。19世紀は「万博の時代」でもあった。1867年のパリ万博には、日本からも幕府、薩摩藩、佐賀藩が初参加した。近代の波に乗り遅れるなと、日本で最初に万博が開催されたのは1877年。「万国」と銘打つほどには参加国を集める資力がなかったので、正確には内国勧業博覧会とした。その5回目の内国勧業博覧会が大阪で開催されたのである。会場となったのが現在の天王寺一帯だった。


 会場正門前、現在の通天閣近くの場所には、政府所管以外の民間パビリオンが並べられた。


 そのひとつが「人類館」である。


 当時の「人類館設立趣意書」には次のような記載がある。


<異種人即ち北海道アイヌ、台湾の生蕃、琉球、朝鮮、支那、印度、爪哇、等の七種の土人を傭聘し其の最も固有なる生息の階級、程度、人情、風俗、等を示すことを目的とし各国の異なる住居住の模型、装束、器具、動作、遊藝、人類、等を観覧せしむる所以なり>


 要するに──台湾先住民、アイヌ民族、沖縄人、朝鮮人、インド人、インドネシア人、中国人といった生身の人間を「七種の土人」として展示、見せ物にするという企画である。


内国勧業博覧会が開催された天王寺周辺。現在は天王寺公園、動物園になっている Koichi Yasuda


 当然ながら、この企画には多くの抗議が寄せられる。


 なかでも沖縄の新聞は「同胞に対する侮辱」であるとして、連日、大キャンペーンを張った。


 当時の沖縄紙は「沖縄人が憤慨に絶えざるの一事これあり候」「設立者の意図は野蛮風に見せるのが明らか」「虎や猿の見世物と変わらない」と怒りの筆致で埋められた。


 一方、沖縄知識人の一部は「日本への同化」を急ぐあまりにも、この事件を"利用"した。


 これら知識人は"展示"された琉球人が娼妓であったことから、「よりによって賤業婦とは」と、露骨な女性差別、職業差別を繰り返した。さらに台湾先住民などに対しても「一緒にしないでほしい」といった論調も展開している。「日本人」として認められないことへの憤怒でもあったのだ。


下が下を蔑む日本の差別構造


 貶められた者が、さらに下位に位置付けたものを貶めるといった、差別の連鎖を表面化させた。日本の同化政策、多民族への差別意識といった様々な問題が見て取れる。


 そうした点からも、人類館事件は多くの問題を提起している。


 結局、沖縄側からの抗議によって「琉球人展示」は開催半ばで中止となったが、人類館は万博終了まで"見世物"を続けたのである。


 各国からの非難も相次ぎ、その後の万博において、人類館のようなパビリオンは登場していない。


 だが、生身の人間が"展示"されたという事実は消えない。


「土人」発言に沖縄の人々が怒りを抱くのは、こうした忌まわしい歴史を思い出すからでもある。


大阪市立中央図書館所蔵「第五回内国勧業博覧会写真帳」より。この写真の右手に「人類館」があった


    


              *****


 そもそも、米軍専用施設の7割以上が、国土の0・6%しかない沖縄に集中していることじたいが、不均衡・不平等である。


 沖縄の多くの人たちが発しているのは常にシンプルな問いかけだ。


「沖縄に基地は多すぎませんか?」


 何十年間も、この問いかけを投げては無視されてきた。いや、それどころか「本土」は自らが抱えた米軍基地を沖縄に追いやってきたのではなかったか。


 富士や岐阜にあった米軍の海兵隊基地は住民の反対運動によって撤去された。しかし、日本から消え去ったわけではない。これらはすべて沖縄に移されただけなのである。そして、沖縄ではどれだけ基地反対運動を続けても、基地が動くことはない。


 これは差別ではないのか。


 第二次大戦で沖縄が戦場となったとき。日本軍が沖縄住民をスパイ視して虐殺した事例は、「本土」の人間は忘れても、沖縄ではいまでも語り継がれている。


 2011年にケビン・メア元米国務省日本部長が「沖縄はごまかしとゆすりの名人」と発言した際、「本土」は本気で怒っただろうか。


 ひとつの風景がよみがえる。


 13年1月、当時那覇市長だった翁長雄志現知事を先頭に、沖縄の首長や議会関係者らが「オスプレイ配備反対」のデモを東京・銀座でおこなった。


 その際、沿道に陣取った在特会員を中心とする差別者集団は、デモ隊に向けてあらん限りの罵声をぶつけた。


「売国奴」「国賊」「中国のスパイ」「非国民」──。


 しかしどれだけ沖縄県民が罵られようと、銀座を行きかう人々は、そこから目をそらしていた。いつもと同じように買い物を楽しみ、談笑し、茶を飲み、食事をしていた。これを報じたメディアも沖縄の新聞だけだった。


 日本社会の視界から、沖縄は常に外されてしまうのである。


「人類館はまだ終わっていませんよ。人々の意識の中から」と前出の金城氏は言う。


 差別された側の苦痛は消えない。傷は風化することなく生き続ける。そして新たな差別が露呈するたび、瘡蓋が無理やり剥がされたように、傷口から血があふれ出す。


「土人」発言の主である若い機動隊員が人類館を知っていたかどうかは問題ではない。日本社会の一部で連綿と沖縄への差別と蔑視が続いていることが、そこに無自覚であることが、いま、問われているのである。


[執筆者]


安田浩一(ジャーナリスト)


1964年静岡県生まれ。『週刊宝石』(光文社)、『サンデー毎日』(毎日新聞社)記者などを経て2001年よりフリーに。著書に『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書 2010)、『ネット私刑』(扶桑社2015)など多数。 2012年『ネットと愛国』(講談社)で日本ジャーナリスト会議賞、講談社ノンフィクション賞を受賞。2015年『G2』(講談社)掲載記事の『外国人隷属労働者』で大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)受賞。6月末に「沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』(朝日新聞出版)を刊行




安田浩一(ジャーナリスト)


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