志磨遼平×山戸結希「皆さんご存知のようにこの世界は素晴らしいけれども…」

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2016年11月04日 19:30  ソーシャルトレンドニュース

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"志磨遼平×山戸結希「皆さんご存知のようにこの世界は素晴らしいけれども…」"

2004年から2013年まで、9年の時をかけて紡がれた、ジョージ朝倉の伝説的少女コミック『溺れるナイフ』。熱烈なファンも多く、実写化を希望する声も、危惧する声も多かったこの作品が、監督・山戸結希、出演者に、小松菜奈(望月夏芽役)、菅田将暉(コウ役)、ジャニーズWESTの重岡大毅(大友役)、上白石萌音(カナ役)という、2016年における最高の布陣で映画化。

そしてそこに、夏芽の運命を翻弄する大人・カメラマンの広能役で出演し、主題歌として自身のこれまた伝説的な楽曲『コミック・ジェネレイション』を提供したのが、志磨遼平(ドレスコーズ)。志磨にとっては、これが映画初出演でもある。

“永遠のオトナ童貞のための文化系マガジン・チェリー”では、映画公開にあわせて2人の対談を企画。撮影のエピソードはもちろん、これまでの作品でも、主人公のモノローグの詩としての完成度の高かった山戸監督と、歌詞はもちろんのこと、コラムなども執筆、高校の先生をして「自分の言葉で喋ろうとする子だった」と言わしめる“言葉の人”である志磨遼平に、言葉について話してもらうことも試みた。


志磨遼平:毛皮のマリーズとしてデビューし、2011年に解散後、2012年にドレスコーズを結成。その後、ドレスコーズは志磨のソロプロジェクトに。最新シングル『人間ビデオ』は、3DCG映画『GANTZ:O』主題歌に。
同シングルには、映画『溺れるナイフ』の主題歌であり、毛皮のマリーズ時代の楽曲をあらためてレコーディングした『コミック・ジェネレイション』も収録されている。


山戸結希:上智大学在学中に処女作『あの娘が海辺で踊ってる』で注目を集める。その後『おとぎ話みたい』『5つ数えれば君の夢』と作品を発表し、渋谷シネマライズで上映された監督の最年少記録や、テアトル新宿での実写・レイトショー作品の初週動員記録を更新する。雑誌『Maybe!』などにも寄稿している。

 


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音楽として流れるように生きる感じ、が気になった


――まずは、撮影に入る前の段階で、お互いに抱いていた印象をお聞かせください。


山戸「志磨さんの歌はすごく好きで、何百回、何千回と聞いたものもあります。もし、それだけだったら、エンディングに歌をお借りしたり、音楽家さんとしてだけ映画に関わっていただいたと思うんです。でも、それだけじゃなくて、志磨さんが生きてる感じがすごく気になって。生きてる感じが、もう音楽として流れているような、感じで……。なので、志磨さんの俳優童貞をいただくことになりました


――サイトにあわせていただいてありがとうございます(笑)。

日常生活のほうが演技、という不思議な構造


志磨「今、すごいうまいこと言われちゃいましたね……。山戸監督の作品は、これまでのものも、主役として女性が多いではないですか。で、そのヒロインたちをどのような目線で見ているか、というのがすごく知りたかったんです」


――ヒロインたちへの目線というと、どういうところでしょうか?


志磨「映画の構造としては当たり前かもしれませんが、監督の脚本が喋らせようとしているものがあるから、ヒロインたちはそれを喋るように生きてますよね。でも、山戸監督の作品は、演じてる女の子の“他人事じゃなさそう感”が半端ないように思えて。普段も言わないくらいの本音を台詞として言っているとしたら、それは、えらい状態じゃないですか。それって、むしろ、日常生活のほうが演技ってことになるから。だから、それがすごく不思議な構造だな、と思ったんです」



山戸「志磨さんのその解釈、すごく面白いです」

現実の未来のほうが面白いように


――では、志磨さんは、そんな不思議を感じていた山戸監督の現場を実際に体験されていかがでしたか?


志磨「その謎はね、撮影現場に一緒にいても解けなかったんですよ。でも面白かったのは、言い方は変ですけど、山戸監督が、他人任せなんですよ。例えば『夏芽はきっとこうなんでしょうね』みたいな言い方をするんです。監督すら夏芽を把握はしていないというか……」


山戸「そう言ってもらえてすごく嬉しいです。スクリーンは無限に大きいから、私ひとりなんかの頭で把握できちゃうことじゃなくて、もっとなんだか未来みたいなものが映って欲しくて。夏芽に対して、つまらない予言や占いをしちゃだめだな、って。もっと現実の未来のほうが面白いように、小松菜奈ちゃんに夏芽をやって欲しい、とずっと思っていたから。菜奈ちゃんと私のあいだのいちばん近くにいたのは志磨さんで、その志磨さんにこう言っていただけて嬉しいです」


志磨「山戸監督は、夏芽ちゃんという女のコの運命に、小松さんをバーっと放流するんですよね。出逢ってしまったら、それは始まってしまう。ひとりの女のコの運命という濁流みたいなものを、ただただ撮ってたんだ、という感じがしますね」


“仲良くなる人”と“気が合わない人”のあいだに


――山戸監督は実際、志磨さんを撮ってみてどうでしたか?


山戸「志磨さんのことは、撮っていて楽しくて楽しくて。芝居感がめちゃくちゃ良くて、言ったことが完全な形で反映されるんですよ。だから、撮る直前も、もちろんわかってはいたんですけど、撮ってみて、ずっと志磨さんのことが撮りたかったんだなって思いました。別に近づきたいとか仲良くなりたいとかじゃないけど、すごく惹かれる人がいたら、そういう人は撮るしかないんだな、ってすごく思いました」



志磨「“そういう人は撮るしかない”ですか……。そっか、すごくわかってきました。僕、人の関係って2つくらいだと思っていました。“仲良くなる人”か“全く気が合わない人”。でも、その真ん中があるんですね。撮りたい人。僕でいうと“一緒に演奏したい人”がそれに値するのかもしれません」

触ることのできない濁流を、フェンス越しに眺めて


――お二人の関係性がなんとなく見えてきたところで、映画の中身についても少し触れていきたいのですが、印象に残っているシーンなどはありますか?


志磨「学校の中を歩く夏芽と大友に、フェンス越しに僕が演じる広能が話かけるシーンですね。僕にとってのクランプアップになったシーンでもあります」


山戸「唯一、大友が夏芽の彼氏だったシーンですね」


志磨「さっきの濁流じゃないですけど、川の流れの中にいる2人を、自分がもう触ることはできず、見ることしかできなくて。広能は傍観者としてそこに立っている。すごく象徴的でもあるシーンなんですよね。広能は東京から来た人で、年齢も違う。そして、僕自身も映画に対してよそ者。でも、撮った和歌山は僕の超ホームタウンである、という」


山戸「和歌山のスター、って声かけられてましたもんね(笑)」


志磨「ロケ場所が学校だったせいか、余計に声をかけられましたね(笑)。学校のフェンス越しに男の子と女の子がいる、っていうのは、ほんと僕自身が、学生として見てきた風景と同じで。でも、濁流には入り込めない」



山戸「結局、大友も、夏芽とコウちゃんの濁流には入り込めなかったわけですもんね。あのシーンでの重岡くんの大友がすごく好きなんですよね」


志磨「いやあ、重岡くんの大友の演技は素晴らしかったですよね」

重岡大毅を見て決めた“吉幾三の使い方”


――そのシーンよりもあとになりますが、重岡さん演じる大友が『俺ら東京さ行ぐだ』を歌うシーンは素晴らしかったです。あんなに巧い吉幾三の使い方があるのか、と心震えました。


山戸「映画の中で使いたいと感じる曲は、頭の中にいつも何曲もあって、もともと吉幾三の歌を使いたいとは思っていたんです。でも、こんなに早いタイミングで使えるとは思っていませんでした。重岡くんを見て、決めましたね」


志磨「もともとご自身の中では、吉幾三が手前にあったんですね。それが、重岡くんを見たことで押し出されてきた、という」

志磨&重岡は「また撮りたい」


山戸「聴いたときに『この歌は、物語の中でしか受け止められないだろう』と感じる歌はあって、そういう歌はすごく映画の中で鳴らしたくなりますね。志磨さんも演技が初めてで、重岡くんも長尺の現代の映画に出るのは初めてで。2人のことは、いっぱいまだ撮りたくて、2人がすごい手練れになって、また再共演したり、撮らせてもらう日も来るかもしれないですね」


志磨「いやあ、出ますよ!あんまり自分から言うといやらしいと思って言ってなかったですけど、山戸監督の作品なら出ます」


山戸「長生きしてもらって、おじいちゃん役を撮ったりしたいですね」


志磨「ミッキー・カーチスさんくらいの雰囲気を出してね(笑)」

すべての言葉は映画のためにある


――さて、お二人はそれぞれ、言葉を音楽にのせたり、言葉を映画にのせたりされる方だと思うのですが、言葉単体だけでも、志磨さんはエッセイを書かれたり、山戸監督も詩を載せられたりしてらっしゃいますよね。そこでお二人に“言葉と映画”“言葉と音楽”というお話を伺えればと思います。山戸監督は、言葉と映画の関係はどう捉えられているのですか?



山戸「言葉の自分と映画の自分は、螺旋で繋がってひとり、なんですよね。いいセリフが書けると、美しいシーンにしようと思うし、美しいシーンになると、もっといい脚本を書こうって思いますし。
あとは、映画を撮ったあとに、こうしてインタビューをお受けしたり、エッセイや小説を書いたりしていても、これは全部映画になるための種だ、という感じ方をしてしまうんです。全部、映画に繋がるんだと思って、24時間言葉を出し続けちゃうんです。
そして、やっぱり、直面したときの衝撃は、映画のほうが大きくて。もともと、映画を撮るきっかけは、本当に外部的な感じで『言葉の世界から映画の世界に飛び出そう』みたいな感じではなかったんです。でも、飛び出してみると『全部の言葉は映画のためにある』と感じてしまうのが正直なところです。志磨さんはどうですか?」

言葉を信じ過ぎて、音楽の世界に踏み入っている感覚がある


志磨「ちょっとね、信じ過ぎなんです、言葉を。僕は、音楽の世界に踏み入ってる感覚が、すごいあるかもしれない。分析癖があって、音楽のすごい人を見ると、すぐ褒めるんですよ。『君のギターすごいよね。あれは◯◯じゃない?』みたいな感じで。でも、気持ち悪がられることも多くて(笑)。僕が過剰に愛してるみたいになって、そのリアクションを僕は言葉で求めるけれども、向こうは返す言葉を持ち合わせていないっていうのは、すごい切ないんですよ。
 
男女の恋愛だったら、いい雰囲気になったら黙るから、言葉のない関係も成立するかもしれないけど、男同士はそうはいかないんです(笑)。みんなはもっとシンプルに音楽をやっている。でも、僕は全部、何かに形を変えてしまう。例えば、バンドをひとつ解散させて、そこからバンドって一体何だろうと考えようとしてしまう。それを僕は感動的に思うんですけどね。でも、そんなこと考えるより、ミュージシャンはまずスタジオに入りますからね(笑)」


音楽は外に、言葉は中に


――もし、志磨さんが、言葉を信じすぎる“言葉の人”であると考えた場合に、文章や詩を書くだけ、というパターンもあったとは思うのですが、それでも、言葉を音楽にのせ続けるのはなぜなんでしょうか?


志磨「確かに…なんでなんですかね?めっちゃ面白いなあ……。まあ、自分で音楽を鳴らさずに、株式会社ロッキング・オンに入って音楽ルポライターをやればいいって話になるよね(笑)。それを答えるのは難しいけれど……言葉と音楽で補完しあっているのかもしれない。言葉だけでは通じにくいニュアンスを音楽でやっていたり、音楽だと誤解されそうなことを言葉にしたり……。
 
でも、方向性は違うのだと思います。音楽は全部外に向かって、言葉は全部中に向かっている。僕が言葉だけを使うときは、コラムやエッセイで批評というか、外から中を見るようなときなんです。それに、僕は詩や小説は書かないんです。音楽のリリックとしてでしかポエムを書かない。だから、自分の表現のときは、言葉を音楽にのせているんですね。バカみたいな言い方になっちゃうけど、やっぱり音楽はすごいので、自分の言いにくいことを言うときも音楽があると助かるんですよね」


山戸「なんだか、2人いる感じなんですね」


志磨「2人いる感じですね。山戸監督はそういう2人いる感覚はないですか?」

音楽の自分は、本当は2人いる


山戸「私は、よいセリフを書こうとする自分も、美しいシーンにしようとする自分も、両輪でずっとひとりなんです。やっぱり、表舞台に立つかどうかというのは大きいと思っていて。私はどこまでも裏方なので、基本的にずっとひとりなんですよね」



志磨「それでいうと、今、言葉だけの僕でひとり、言葉を音楽にのせている僕でひとり、という話をしたけど、言葉を音楽にのせている僕は、本当は2人いるんです。自分で監督して、自分で主演をしていることになるので。演出業と俳優業を実は兼ねている。これは、自分だけが知っている感じで、2人いるなと悟られちゃったら負けなんですけどね」


山戸「本当は3人いるんだけど、せめて2人に見せなければいけない。なかなか難しいですね」

作品にいきる“お持ち帰りグセ”


――こうしてお話を伺っていて、お二人が自らの言葉によって世界を捉えていっている過程が垣間見えて、とても心動かされています。一方で、言葉を持ちすぎていることで、世界の悲しみの輪郭を明確に捉えすぎてしまうようなことはないのですか?


山戸「言葉を持ってしまう苦しみというのは確実にあるとは思います。あとは怒りや悲しみを言葉で正確に伝えるかどうか、という話で……志磨さんはどうですか?」


志磨「僕は、家に帰ってから怒るタイプです(笑)。ヤンキーのお兄ちゃんみたいに『なんやコラ、ワレ!』みたいなリアクションがすぐに出ない。時差があるというか、夜、家に帰って、昼のことを思い出して怒りが湧いてくるんです」


――その時差が作品になっていくのでしょうか?


志磨「そうですね!それは絶対にそうだ」



山戸「いいお持ち帰りグセですね(笑)」


志磨「お持ち帰りグセがあってよかったかもしれない。でも、実は20代後半を過ぎた頃から、感覚が麻痺してきて、あまり悲しみは感じなくなってきてるんですよ。だから、最近の僕って悲しいことが何もないんです」

「世界は汚れてるぞ!」とは思わない


――それって、麻痺しちゃうと作品ができにくいということにはならないのでしょうか?


志磨「確かにね……でも、割と、もともとポジティブというか、楽天的なんですよ。これは実は山戸監督の言葉にも感じますけど、世界っていうものを肯定しようとする。『おい、お前ら目を覚ませ!世界は汚れてるぞ!』みたいなことは1mmも思わない。世界を暴こうとは思っていないんです。『みなさん、ご存知のように、この世界は素晴らしいけれども……』っていうところから始まるんです」


山戸「わかります、すごく。リアリストが行き過ぎると、超ロマンチストになるんですね。志磨さんは、いちばんのリアリストでもありながら、いちばんのロマンチストなのなのかもしれませんね」


志磨「なるほどね!いやあ、撮影現場にいても解けなかった謎が、今日こうして話していて、解けてきた気がします。納得しかしないというか、山戸監督とは同じ感覚で世の中を見ていて、生きているんだなあ、と感じました」


「映画のために言葉を出し続ける」という山戸結希監督と、ミュージシャンでありながら「音楽の世界に踏み込んでいる感覚」と吐露してくれた、“言葉の人”である志磨遼平。言葉を持ってしまう苦しみを抱えながらも、言葉で世界を肯定しようとするふたり。ふたりの言葉の海に、心地よく溺れていきそうな対談だった。

(取材・文:霜田明寛 写真:浅野まき)



★ストーリー★
あの頃、君が世界の全てで、私たちは永遠だと信じていた―。
15歳の夏。東京から遠く離れた浮雲町に越してきた、人気モデルの望月夏芽(小松菜奈)。退屈でウンザリするようなこの町で、夏芽は体を貫くような‘閃光’と出会ってしまう。それは、コウと呼ばれる少年・長谷川航一朗(菅田将輝)だった。傲慢なほどに激しく自由なコウに、反発しながらも、どうしようもなく惹かれてゆく夏芽。コウもまた、夏芽の美しさに対等な力を感じ、やがてふたりは付き合いはじめる。「一緒にいれば無敵!」という予感に満たされるふたり。しかし浮雲の夏祭りの夜、全てを変える事件が起きるのだった―。失われた全能感、途切れてしまった絆。傷ついたふたりは、再び輝きを取り戻すことができるのか。未来への一歩を踏み出すために、いま、ふたりがくだす決断とは― 。映画『溺れるナイフ』公式サイトgaga.ne.jp/oboreruknife/
【cast】
小松菜奈 菅田将暉
重岡大毅(ジャニーズWEST) 上白石萌音 志磨遼平(ドレスコーズ)
原作 ジョージ朝倉「溺れるナイフ」(講談社「別フレKC」刊)
主題歌:「コミック・ジェネレイション」ドレスコーズ(キングレコード)
脚本:井土紀州 山戸結希 音楽:坂本秀一
製作:「溺れるナイフ」製作委員会(ギャガ/カルチュア・エンタテインメント)
監督 山戸結希
(c)ジョージ朝倉/講談社 (c)2016「溺れるナイフ」製作委員会原作:ジョージ朝倉『溺れるナイフ』(講談社「別フレKC」刊)
(c)ジョージ朝倉/講談社

【CD情報】



ドレスコーズ
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【R.I.P.デラックス盤】
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1. 人間ビデオ(フル3DCGアニメーション映画「GANTZ:O」主題歌)
2. コミック・ジェネレイション(映画「溺れるナイフ」主題歌)
3. 人間ビデオ(off vocal ver.)
4. コミック・ジェネレイション(off vocal ver.)
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R.I.P. TOUR FINAL 横浜 Bay Hall 公演

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定価:¥1,000+税
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1. 人間ビデオ(フル3DCGアニメーション映画「GANTZ:O」主題歌)
2. コミック・ジェネレイション(映画「溺れるナイフ」主題歌)
3. 人間ビデオ(off vocal ver.)
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