きょう一周忌、野坂昭如が死の当日まで日記に綴っていた安倍政権への怒り 「戦前がひたひたと迫っている」

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2016年12月09日 11:31  リテラ

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野坂昭如『絶筆』(新潮社)

 本日2016年12月9日で作家の野坂昭如氏が亡くなってから1年が経った。



 野坂氏といえば、大島渚・小山明子夫妻の結婚30周年を祝うパーティーで大島渚と大乱闘を繰り広げたり、ブルーフィルム製作を営む青年たちを主人公にした小説『エロ事師たち』を出版したり、編集長を務めていた月刊誌「面白半分」に永井荷風『四畳半襖の下張』を全文掲載してわいせつ文書販売の罪で起訴されたりと、無頼な姿勢を貫き通した作家だった。



 その一方、高畑勲監督によってアニメ映画化もされた『火垂るの墓』に代表されるように、野坂氏は自身の戦争体験を語りながら、生涯にわたり「平和」の大切さを伝え続けた作家でもある。



 だからこそ最晩年の彼は、昨今の日本を覆う「戦争に向かいつつある空気」には忸怩たる思いを抱いていた。今年1月に出版された『絶筆』(新潮社)には、04年から亡くなる日まで野坂氏が書き続けていた公開日記が掲載されているのだが、その死の当日である12月9日の日記はこんな言葉で結ばれていた。



〈この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう〉



 死の直前まで野坂氏はこの国がつき進もうとしている方向に危惧を抱き続けていた。それは、70年以上前、彼が見聞きしてきた、この国が「かつて来た道」とそっくりだったからである。



 晩年の野坂氏は車椅子での生活を余儀なくされ、原稿も暘子夫人の手を借りて口述筆記で書かれていた。日記を読んでいくと、大好きだった酒はもちろん、食事を飲み込むのも難しくなっていたことが伺える。



 しかし、日記を読み込んでいくと、そんななかでもひときわ目を引くのが、戦後日本が守り続けてきた平和を壊そうとする安倍政権への怒りである。昨年の2月には、平和憲法を打ち捨てようとする安倍政権、そして、その野望を国民の目から隠すことに協力するマスコミに対し、このように書いている。



〈日本は戦後、アメリカに三歩下がってご機嫌をうかがい、一方で平和国家を唱えながら、とにもかくにも70年、戦争はしてこなかった。それが今、一足飛びに戦争へ突き進もうとしている。鼻息荒く、憲法改正に向かっている。

 世間は、対イスラム国の前に、自国のお上の下心を疑い、矛盾を追及した方がいい。想定も曖昧、議論もないまま。安倍首相の空想は、戦前の愚鈍なリーダーそっくり。お上の動きに、もっと関心を寄せるべき。上からのお達しか、大マスコミも何となく及び腰。

 正しいテロなどない。

 正しい戦争もない〉



 また、その2カ月後には、70年前に沖縄へ米軍が上陸した4月1日を思い、このように綴っていた。



〈70年前の4月1日、米軍が沖縄に上陸。沖縄の地上戦がはじまった。死者20万人以上。沖縄の一木一草まで焼き払われた。沖縄県民は、本土防衛のため、捨て石とされたわけだが、この惨たる過去について、お上に反省はないのか。反省あれば沖縄県民の痛みが少しは判るはず。

 辺野古移設反対の意思が、沖縄の民意。聞き入れられて当然。無視され続けている。辺野古反対のデモ、大規模なのにマスコミの扱いわずか〉



 この後、6月には自民党の「文化芸術懇話会」で作家の百田尚樹が発した「沖縄の2紙はつぶさなあかん」発言があるわけだが、これについても野坂氏は怒りを書き綴っている。



〈与党の勉強会で、沖縄の二つの新聞社を取り上げ、頭にくる。つぶさなければとの発言。その意図がどうであれ、沖縄にある二つの県紙は、少なくとも県民にとって切実な内容を取り上げ、大新聞にありがちな、記者クラブの、なあなあとか、官房長官発表の引きうつしに終始していない。基地がらみの事故、不発弾発見、こんなのしょっちゅうのこと。大新聞に載らないだけ。本土の人間は知らんぷり。くだらない勉強会でのやりとりが話題となるうちに安保法制からそれている〉



 ご存知の通り、この後、横暴な政権運営にはより拍車がかかり、夏には国民からの反対の意見を聞く耳すらもとうとしないまま、安倍政権は安保法制を強行採決していく。このときの日記にはこんな言葉が並んでいる。



〈安保法制について、何故そんなに急ぐのか世間の多数が説明不足と主張しているが、お上には、はじめから丁寧な説明をするつもりはない。欠陥、矛盾だらけで出来るはずがない。曖昧で判りにくい答弁ばかりが続く。まるで独裁国の如し〉

〈平和があたり前の世の中。安保法制が衆院通過。アメリカに迫られ、首相が約束してきた。だから通す。もはや法治国家じゃない。自民独裁国家〉



 そして野坂氏は、いま目の前で起こっていることと、戦前や戦中の日本で起こっていたことを重ね合わせずにはいられないのであった。



〈安保法成立。ぼくは一片のお触れがあっという間に町の風景を変え、また世間のそれに慣れてしまうことの早さを知っている〉



 昨年は4月に愛川欽也、11月には水木しげる、そして今年は7月に永六輔と大橋巨泉が相次いで亡くなった。実際に戦争を体験し、それがどれほど恐ろしいものかを知っているがゆえに、「平和」へのメッセージを送り続けてきた反骨の文化人たちが次々と鬼籍に入っている。



 そのなかでも、大橋巨泉は死の直前に書かれた連載エッセイの最終回にこんなメッセージを我々に送っていた。



〈最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです〉(「週刊現代」16年7月9日号/講談社)



 周知の通り、マスコミは政権に対する批判を封じ、与党はやりたい放題の限りを尽くしている。野坂氏の言う「自民独裁国家」は、あれから1年でより進んでしまった。このままでは、憲法9条が打ち捨てられるという最悪のシナリオも、もはや絵空事ではなくなりつつある。だからこそ、我々は野坂氏が最期に残した言葉をもう一度深く胸に刻み込む必要がある。



〈戦争で多くの命を失った。飢えに泣いた。大きな犠牲の上に、今の日本がある。二度と日本が戦争をしないよう、そのためにどう生きていくかを問題とする。これこそが死者に対しての礼儀だろう。そして、戦後に生まれ、今を生きる者にも責任はある。繁栄の世を築いたのは戦後がむしゃらに働いた先人たちである。その恩恵を享受した自分たちは後世に何をのこすのか〉

〈どんな戦争も自衛のため、といって始まる。そして苦しむのは、世間一般の人々なのだ。騙されるな。このままでは70年間の犠牲者たちへ、顔向け出来ない〉(「サンデー毎日」15年8月23日号/毎日新聞出版)

(新田 樹)


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  • 頭からケツまで「理想論」のオンパレード。「日本がずっと平和だった」とか、「日本がいつか来た道を辿っている」とか、現実を見ていればまず出ない。
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