働いている母親(ワーキングマザー)のことを略して「ワーママ」と呼ぶのがいつの間にか定着したようである。その中でもバリバリに仕事をこなす人のことは「凄母(すごはは)」と呼ばれたりする。
雑誌やネット記事でしばしばお見かけする「凄母」。
「凄母ばっかり取り上げられても参考にならない」
「普通のWMで成功している事例が見たい」
スーパー・ワーキングマザーが誌面に登場するたびにネットはやや荒れる。
それは、自分と比べるからだろうか?
手を伸ばしても背伸びしても手が届かないキラキラばっかり見せられて、自分がひどくみじめな気分になるからだろうか。
■転職を繰り返す、ライク・ア・ローリング・ストーン
服飾の専門学校を2年で中退し、ほぼニートに近いインディーズブランドでの活動を経て、音楽配信系の会社では2年半バイトした。WEBデザイン要員だったが、ニュース記事やレビュー記事、サービス企画にも混ぜてもらい、今の私の礎となっている。
そして人生2社目はマスコミ系の会社。
あまりに世の中のことを知らなさすぎた筆者が、後輩の育て方、プレゼン、企画書の書き方、予算のつけ方、クライアントとの付き合い方、上場とは何か、社内政治とは……など、ありとあらゆるスキルを手に入れたといっても過言ではない。
しかし、仕事に熱中しすぎて、お金と引き換えに私はあるものを失っていた。
“プライベート”である。
若く、体力もあり、仕事は楽しかった。
しかし、連日深夜残業は続き、給与明細の金額はどんどん大きな数字になった。
ある年末、徹夜明けで自宅のあった新宿駅南口に降り立つと、聖書の文面を拡声器で読み上げる声が何ヵ所からも流れてきて、それらは脳内で反響してふらつきそうになった。
ふと、誰かがささやく。
「……もう、いいんじゃない?」
2ヵ月後、私は新たな職場に着任した。
しかし、業種的には変わらないので、ここでも私は同じミスを犯す。仕事をしすぎて婚期が遅れたのは間違いなかった。
漫画『働きマン』に自分を重ねていた。私も、仕事した!って思いながら死にたかった。
でも、女として、やれるのにやってないこと、あるよな……?
筆者は唐突に子どもが欲しいという理由で婚活宣言をする。
そんなさまを「あーあー……」と思いながら生ぬるい目で見ていたはずの友人が、現在の夫である。
■働きマン、急に母にはなれない
そして母になった筆者であるが、妊娠中、仕事を軽減してもらったとはいえ、深夜残業もこなし、法定のギリギリまで働いて産休に入った。そして、産んだらすぐにもとの職場に戻れる気でいたのだ。
出産を甘く見積もっていたせいだが、産後あんなに自分が動けなくなるとは思っていなかった。それに、妊娠を理由に派遣元から雇い止めされるとは……。
仕事をしていないとアイデンティティを見失いそうだったので、無理やりにでも安価な在宅仕事を詰め込んだ。
正直なところ、私には家事の才能が欠落している。
仕事ではできるほうだという自負もあった。しかし、家に入った後の私はポンコツ過ぎた。家事も育児も。今までの人生でこんなに“何かかができなかった”ためしがなく、それが耐えられなかった。
不満解消のため、夫婦間の関係を極力イーブンにしたいと思っていた。
「私、育児は“日勤”なんだから、“夜勤”はやってよ?」
そう言いながら、仕事から帰宅した夫に私は哺乳瓶を差し出す。
そして子どもを寝かしつけた24時ごろから明け方まで仕事をするのだ。
≪……あれ、私、いつ寝る?≫
■“父親の育児参加”過渡期の保育園生活
幸いにして近所の認可保育園に決まり、無事に4月から就業した筆者であったが、19時半までに迎えに行く必要があるのに、定時が19時だった。
実母にお願いして週3回だけお迎えと家事を依頼したが、「なんで私だけが定時ダッシュしているのだ。夫は?」と不満を持つようになった。
なお、もともとの希望は夜間保育が可能な園だった。1年後の4月、晴れて転園申請が通る。
新しい保育園での説明会、園長先生の第一声はこうだった。
「ご夫婦そろっていらっしゃるおうち、朝でも夜でもかまいません、どちらかは、お父さんが来るようにしてください。」
それ以降の5年間、子どもの送りはイーブンな関係が保たれている。
子どもが1人の時代は、朝は夫婦どちらかが送り、夜は週3回実母がお迎え、残りの2日は筆者が行くか、夫婦が保育園で合流する。
やがて、筆者宅に2人目の子どもが誕生する。
2月末生まれだったので保育園探しは困難を極めたが、生後2ヵ月で遠い認可園にすべりこみ、フォーメーションチェンジが行われた。
長男担当(毎朝と週2回夜)=夫
長男担当(週3回夕方)=実母
次男担当(毎日朝晩)=筆者
……あれ、私の負担が多いような?
しかし、何年も待った末に訪れた“待望の第二子”は天使のようなかわいさで、私に納得させてしまった。
そう。“かわいい”は最強、“かわいい”の前では服従、全面降伏なのである。
翌4月、次男は近所の保育園に転園となるが、兄弟同園にはなれず、ここでまた体制見直しとなった。今回は少々ややこしい。
夫=長男の送りと週2回のお迎え(夫婦合流)
筆者=次男の送りと週4回迎え、週2回長男のお迎え(夫婦合流)
実父母=週3回長男のお迎え、週1回次男もお迎え
ここで問題が発生する。フォーメーションが複雑すぎて、お迎えの時間を先生に伝え間違えるのだ。そして実家と我々夫婦での連携を密にする作業が増えた。
≪完全にこれ、仕事だ。チームマネジメントだ……≫
■実母の入院
その後兄弟同園となり、共働き家庭としては綱渡りでやってきた我が家だったが、実母が体調を崩し、長期離脱となった。3日で生活は破綻した……。
流し台は食洗機に誰もいれずに食器が放置され、がんばれる時に夫が回していた。
おもちゃは長男が片付けたそばから次男が出すので、まるで賽の河原である。
そして、極めつけは洗濯だ。毎晩21時スタートなので、干す前に力尽きて寝てしまう。翌日くさくなった洗濯物をもう一回洗うが、その間にも汚れ物は量産され、乾いても畳めない……。
ちなみに洗濯機は筆者が一人暮らしのときに使っていた5キロのもの。家族4人の洗濯物と互角に戦えていない。本音は、入れれば乾燥までばっちりのドラム式が欲しかったが、子どもが中に入って死亡する事故があったので手を出せなくなり、今に至る。
(つきましては各家電メーカーのみなさま、早急に“子どもが絶対に入れないドラム型洗濯乾燥機”の開発をお願いしたく)
■働く女
成人してからの20年、幾度かのフリーランスも企業5社での勤務も経験し、正社員での勤務経験はなし、業界が偏っているものの、“働く女生活15年生”である。
20〜40代の女性として会社組織に属してみて、独身のときも結婚しても出産しても、給与や待遇で、女性というだけで残念な思いをすることは多かった気がする。
むかし、バイトの正月シフトで、実家が都内の人は出勤、地方の人は休んでよし、というルールがあり、年末年始は時給が上がるからいいものの、ちょっとした不公平感を感じていたことを思い出す。
それと同じことが育児中の会社員に対して向けられているのかな、とも思うのだ。
たとえば、時短を取得している社員の給料がフルタイムのときより減らされていることは、当事者以外にあまり知られていない。そのほか、よかれと思って配慮したことが裏目に出ることは往々にしてあり、それが“マミートラック”なるものを産んでいるのかな、とも思う。
また、仕事に穴を開けるのは困るけど、穴が開かないように何重にも体制を整えていないのはマネジメントがポンコツだ、という認識を全員で共有するところから始めないと、すぐに破綻するだろう。
ちなみに筆者は夜の遅い部署に配置されて以降、仕事は楽しかったが、退社が21時ということが続き、早く帰る人の多い部署にコンバートされた。しかし、やりたかった仕事は減った。そして、できる範囲で改善策を提案するも、給与アップにつながることは難しい。なお大卒資格のない筆者は、今の会社では正社員になれない。
こういう未来が10代の時に描けていたら、無理をしてでも大学にいったと思うが、後悔するとともに、自分の暮らしをよくするための試行錯誤を忘れないようにしたいし、自分の子など、“これからの人たち”に向けて、学歴が給与に比例しない世の中を構築できないか、働く女人生の後半戦はそういう制度改定のために動くのも面白いかもな、と思っているのだ。
なお、2017年1月から改正育児・介護休業法の施行により、非正規雇用者の育休が取りやすくなる。もう筆者のように産後すぐ無理をする必要がなくなることを心から祈りたい。
ワシノ ミカ1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在はWEBディレクター職。