部下を潰しながら出世する「クラッシャー上司」の実態

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2017年02月13日 20:53  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<「俺はね、五人潰して役員になったんだよ」――新書『クラッシャー上司』の著者は医学博士。ショッキングなエピソードを列挙し、その行動パターンや考え方、対処法を明かす>


『クラッシャー上司――平気で部下を追い詰める人たち 』(松崎一葉著、PHP新書)は、なにかと話題に上る機会も多い「クラッシャー上司」の実態を明かし、その行動パターンや考え方などを検証した新書。医学博士である著者は、インパクトのあるこの名称の名づけ親のひとりでもある。


ところでクラッシャー上司とは、どのような存在なのだろうか? 多くの人が感じているであろうこの問題については、「はじめに」に登場するエピソードを紹介するのがいちばん早いだろう。少し長いが、引用してみよう。


 今から十五年ほど前のこと。 さまざまな組織でメンタルヘルス不全の治療・予防システム構築に取り組んでいた私たちは、とある大手の広告代理店に招かれた。その会社の経営幹部が言うには、働きすぎで心を病む社員の問題に悩んでいるとのこと。そこで抜本的解決策を共に考えてもらいたいと、産業精神医学を専門とする私たちが呼ばれたのである。 ところが、対策チームを組んで同社に赴くと、ちっとも歓迎されている感じがしない。声をかけてくれた経営幹部以外の、お偉いさん方の顔つきが険しいのだ。話がまったく生産的な方へ向かわず、それどころか常務からこんなことを言われてしまった。「メンタルなんてやめてくれよ」 にわかに意味が取れないでいると、常務は続けてこう言った。「俺はね、五人潰して役員になったんだよ」 そして、私たちはこう告げられた。「先生方にメンタルヘルスがどうの、ワークライフバランスがどうのなんてやられると、うちの競争力が落ちるんだ。会社のためにならない。帰ってくれ」 あまりにもはっきり拒まれて、あ然とするばかりだったが、考えてみればずいぶんな扱いを受けたものだ。「ああいう会社は長続きしないね」とこぼしながら帰った。 私の中で「クラッシャー」の概念が生まれたのは、あの出来事からだった。(3〜4ページ「はじめに」より)


非常にわかりやすい......というよりもショッキングなエピソードではないだろうか? なお著者によれば「クラッシャー上司」は、「部下を精神的に潰しながら、どんどん出世していく人」と定義づけることができるのだそうだ。


部下は心を病んで脱落していくのに、「クラッシャー上司」自身の業績は社内でもトップクラスであることがほとんど。だから会社は、問題性に気づいたとしても処分できず、結果的にクラッシャーは次々と部下を潰しながらどんどん出世してしまうというのである。


しかも著者は、多くの会社や組織のメンタルヘルスを見てきた経験値として、一部上場企業の役員のうち数人に「クラッシャー上司」がいると感じているのだそうだ。


 クラッシャー上司は、自分の部下を潰して出世していく。 そういう働き方、生き方に疑問を持たないどころか、自分のやっていることは善であるという確信すら抱いている者たちである。 そして、潰れていく部下に対する罪悪感がない。精神的に参っている相手の気持ちがわからない。他人に共感することができない。 自分は善であるという確信。 他人への共感性の欠如。 この二つのポイントは、どんなクラッシャー上司にも見て取れる特徴だ。(20ページより)


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とはいっても、それらの程度には濃淡があり、当然ながら部下の潰し方もそれぞれ異なる。そして、その事例として本書ではいくつかのタイプのクラッシャーを挙げている。まず紹介される「クラッシャーA」は、まったく悪意はないものの、共感性(部下がどれだけ辛い思いをしているかを認識する能力)の低い上司。基本的に悪人ではないものの、配慮に欠けるということだ。


次に登場するのは、他者への共感性がないに等しい「クラッシャーB」。仕事に完璧主義という以上のこだわりがあり、それを善だと信じて疑わないタイプ。よって自分と同じ能力を部下にも強要したりする。しかも感情を一切出すことなく、長時間にわたってねちねちと雪隠詰めにするため、部下をメンタル不全に追いやってしまうというのである。このタイプに決定的に欠けているのは、部下のがんばりや成果を認め、評価して「褒める」力だと著者は分析する。


なお、自分の行いは善であると確信しつつも共感性が欠如したクラッシャーAおよびクラッシャーBとは異なるのが「クラッシャーC」。このタイプは善という確信こそ持っているものの、その度合いは低く、他者への共感性が決定的に足りないというのだ。だから、悪意が感じられるのだという。要は"薄っぺらな悪いやつ"だが、仕事の要領はよく、立ち回りがうまい。だからスルスルと出世し、手にした権力でまた薄っぺらな悪事を働くというわけである。


第二章では彼らの生い立ちを振り返りながら、その精神構造がどうやってつくられていったのかが検証されている。もちろん、クラッシャー上司にはこの3パターンしかないというわけでもないだろう。しかし、その傾向をつかむためにはとても役に立つのではないかと感じる。


また、さらに注目すべきは、クラッシャーを生む企業社会の側に、「滅私奉公することが善である」という旧来的な価値観が残っているという視点だ。会社のため、仕事のため、といったお題目のもとに過重労働を続けた結果、バランスが崩れて家庭が崩壊してしまうというのだ。


その好例が、モーレツ社員として、部下に共感することなく、パワハラをしながら強引に働いてきた結果、妻と子どもから見放されて「うつ」になってしまった人(「クラッシャーD」として紹介されている)のケースだ。彼の事例を知ったとき、著者は山田太一脚本の名作ドラマ『岸辺のアルバム』を連想したという。


 クラッシャーDの事例で私が『岸辺のアルバム』を連想したのは、杉浦直樹演ずる田島謙作の鈍感さが相当なものだったからだ。 会社のため、仕事のため、都内に購入した一軒家のローン返済と子供の教育費のため、という「お題目」で、家族一人ひとりの中で起きている危機にまったく気づかない。妻の不倫についても、息子の繁から言われて晴天の霹靂といった状態だ。 そして結局、その鈍感さが謙作からすべてを奪う。天罰のように、それまでの生き方が否定されていく。(143ページより)


『岸辺のアルバム』はいまから40年も前のドラマだが、会社のため、仕事のために家庭を顧みない夫はいまでも多いと著者は指摘する。物理的に崩壊していなくても、世間に見せている平和な家庭像は偽りで、子どもが不登校や非行、妻がうつ病やアルコール依存症などになっていることも多いということだ。


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つまり、クラッシャー上司の家庭は実質的に崩壊していることが多く、『岸辺のアルバム』はいち早く、そんなクラッシャーの家庭の病理を先取りしていたというのだ。


ところで現実的に、クラッシャーを上司に持ってしまった人はどうすればよいのか? 誰しも気になるはずであるこの点については、第四章であらゆる策が講じられる。


個人的には、「有意味感(情緒的余裕)」「全体把握感(認知の柔軟性)」「経験的処理可能感(情緒的共感処理)」という3つの感覚で構成されるSOC(Sense of Coherence)が重要なキードードになるという項目にもっとも共感した。


簡単にいえば、どんなことにもなんらかの意味を見出し、時系列(プロセス)を見通せる感覚を持ち、過去の成功体験に基づいて「ここまではできるはず」と確信できるようになるということ。それらを備えていれば、クラッシャー上司の理不尽なやり口にも対応できるという。


また、「クラッシャー上司を理解する」「自分の弱い面をさらす」「マニュアル作りをする」「マイナスの感情を見せてはならない」など細かなメソッドも紹介されているだけに、クラッシャー上司と対峙している人にとって、本書は実用的な価値も持つことになるだろう。


蛇足ながら、帯に書かれている「『自分は正しい』と確信し、心を攻撃する人の精神構造」というフレーズには、少しだけ足りないものがあるようにも感じた。わざわざ確信するまでもなく、「自分が正しい」ことは当然のことであると信じて疑わない(だから確信する必要もない)。それこそがクラッシャー上司の本質ではないかと感じるのだ。思い当たる人は、どこのオフィスにもいるのではないだろうか?


いずれにしても、クラッシャー上司の存在は組織内の問題というだけでなく、社会全体として考えていかなくてはならないことでもあるはずだ。そういう意味でも、本書を通じて「なにを、どうしたらいいのか」を個々が考えていくべきだろう。


『クラッシャー上司――平気で部下を追い詰める人たち』


 松崎一葉 著


 PHP新書


[筆者]


印南敦史


1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。2月26日に新刊『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)を上梓。




印南敦史(作家、書評家)


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