日本語ラップの先駆者・ECDが進行がんから生還! 妻が著書で明かした夫の闘病と家族が再生したきっかけ

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2017年03月28日 13:12  リテラ

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リテラ

16年3月本サイトインタビューに答えるECD

1980年代後半の日本語ラップ黎明期から活動し続けるヒップホップのミュージシャンで、「サウンドデモ」や「原発やめろデモ」をはじめとする数々の社会活動への参加でも知られるECD。「言うこと聞かせる番だ 俺たちが」というフレーズの生みの親として、SEALDsの国会前抗議デモでゲストコーラーとしてシュプレヒコールの先頭に立っていたのも記憶に新しい。

昨年3月には当サイトのインタビューにも登場し、「音楽」と「デモ」のつながりについて語ってもらったが、そんな彼が昨年9月8日に投稿したツイートは多くの人々に衝撃を与えた。



〈先程主治医から説明を受けました。上行結腸と食道に進行癌とのことです。延命治療がんばります!〉



 それから彼は入退院と手術を繰り返し、多くの友人、妻、2人の娘に助けられながら闘病の日々を送ることとなった。そんな病気との闘いの日々を、妻である写真家の植本一子が赤裸々に綴った手記『家族最後の日』(太田出版)が出版された。



 彼女の前著『かなわない』(タバブックス)で詳しく明かされているが、ECDが病に冒される前、彼女は育児に対して大きな悩みを抱えており、また、夫とは別に「好きな人」をつくってしまったことから、夫に対し離婚を申し込んだことすらあったという経緯がある。



 しかし、ECDの病気はそんな彼女に新しい家族観を与えることになる。『家族最後の日』のなかで彼女は、病気によって家族の関係が一変したと、このように綴っている。



〈私はこれまで、石田さん(引用者注:ECDのこと)と向き合うことを避けてきたように思います。それは自分と向き合わない日々でもありました。家族として石田さんの癌から逃げている場合ではなくなり、日記を書くことでいろいろなことに向き合う日々が始まりました。いまでは家が一番落ち着き、そんな自分にホッとしています。だから私にとって癌が発覚した日は、私たちの家族が新しく始まった日でもあるのです〉

〈私はいま、自分の家族を見つけることができたのだと思っています。それでも、自分自身が日々変化するように、私の考える家族の形はこれからも変わっていくはずです。変わることを受け入れること。それは何よりも自由で、大切なことだと思うのです〉



 病気の進行状況について、医者からは「何もしないで放っておけば、早くて二、三ヶ月、長くて七、八ヶ月、平均して半年で死にます」とまで言われるほど一時期はまずい状態だったのだが、本書を読んでいて印象的なのは、そんな状況になって、むしろ、より心を強くもち始める2人の姿だった。



〈来週の手術の日に、ギャラの高い仕事が入っていることを言うと、それはやったほうがいい、と。

「これからお金かかるし。いろいろすみませんね」

 そう言われて、気がついた。そうだ、もう私が働くしかないのだ。さっき石田さんは、仕事が続けられるかどうか聞いていたが、抗がん剤治療をしながら仕事を続けている人もたくさんいると言っていた。しかし石田さんのいまの仕事は難しそうだ。なによりさっきの説明で、なんとなく、長くはなさそうだということがわかってしまった。それは石田さんも同じだろう。

 よし、これをネタに稼ごう! 急に明るい気分になって私が言う。死ぬ前に一花咲かせよう! と笑い、石田さんもツイッターに癌告知されたと書くと言い出した。

「ツイッターに書いたらすぐに広まるから、仕事が増えるかもね」

「ベストアルバム作らないとな、あ、次来るときにこれまでのアルバム持ってきて」

(中略)

 一緒に一階まで降りて、もらった説明書のコピーをとると、「持っといて」とそれを渡された。これ見て原稿を書く参考にするわ、と笑う。石田さんも今日のことをどこかで書くだろう。こういうところが、私たちは似ているのかもしれない。今日ほどたくさん話したのはどれくらいぶりだろう。なんだかおかしな連帯感が生まれている〉



 もちろん、闘病の日々は苦しく、痛みや具合の悪さに苦悶するECDの姿や、子どもたちを抱えたまま夫がいなくなってしまうかもしれないことに不安を覚える彼女の姿も、本書にはおさめられている。



『家族最後の日』は、昨年10月18日までの手記をおさめて終わっているが、この後ECDは、再度手術を行い、今年2月23日、〈おかげさまで明日午前中の退院が決まりました!もう再発でもしない限り入院はありません〉とツイートし、病気が寛解した旨のメッセージを発信した。

 今月1日、〈ささやかなお見舞い返し〉として、SoundCloud上にアップされた新曲「甘く危険なお見舞い返し」でECDは、山下達郎「あまく危険な香り」をサンプリングしたトラックに乗せてこんな言葉をラップしていた。



〈遠慮なんかしてたらこの世にバイバイ/しなくちゃならなくなる事態/避けなきゃならないそれだけは絶対/だからアタマは使ったぜフルに/ちょっとした判断ミスが命取り/そうやって過ごして来た半年余り/帰って来たぜここにこの通り/取り返してやるぜ その時間を/時間ってスゲーなによりも今回/学んだことさどんな苦しさも/痛さも永遠には続かない〉



 昨年3月、当サイトがECDにインタビューした際、政治や社会に関するトピックを歌った楽曲が人気を得にくい日本において、そういった内容の楽曲を歌うにはどうすればいいかという話題になった際、彼はこのように答えてくれている。



「でも、日本には日本人のメンタリティに合った『政治』を歌う歌のかたちがあると思うんですよね。この間ふと考えたんですけど、60年代後半の日本のロックを聴くと、直接政治的なメッセージを出していない人たちのなかにも、同時代の学生運動の空気を反映しているバンドがたくさんあるんですね。例えば、ジャックスというバンドは、曲のなかに政治的メッセージはほとんどないけれど、でも当時、若松孝二の映画に音楽を提供していたりとか、そういう部分の活動ではすごいコミットしてるんです。運動や政治に関する言葉は歌詞に含まれてないし、抽象的なかたちでしか表現されてない歌なんだけど、そういう音楽を好きになって聞いていた影響で、いまデモに参加している自分がいます。たぶん、僕もこれからはそういうものを生んでいかなきゃいけないんじゃないかなと思うんです。直接政治について歌うわけではないけれども、たくさんの人がデモで政権に異議を訴えている、いまの時代の空気を反映させた歌を」



 がんは寛解したとはいえ、手術を経て食道と胃と大腸を切った身体に慣れず、〈深刻な事態ではない〉としながらも、入退院を繰り返す状況が続いている。



 いつの日かECDが普段通りの生活を取り戻し、音楽活動を完全に再開した後、このコンセプトが具現化されたラップを聴くことができるかもしれない。その中には、病気を経て深まった思索も反映されているはずだ。そんな新譜を聴くことができる日を楽しみにしたい。

(新田 樹)


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