【写真特集】ヤジディ虐殺の悲劇はなぜ起きたのか

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2017年04月05日 18:22  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<ISISの攻撃よりはるか前から中東ではヤジディ教徒への差別感情が根付いていた。ヤジディの悲劇は特殊な場所の特殊な状況が生んだものではない>


2014年8月、私は滞在中のトルコでテレビを見ていた。そこで繰り返し報じられていたのは、イラクから少数派ヤジディ教徒がトルコに逃れて来ているというニュースだった。


世界に60万〜100万人いるとされるヤジディ教徒のうち、多くが暮らしていたのがイラク北西部のシンジャール山と周辺の村々だ。当時イラクで勢力を拡大し、次々に都市を制圧していたテロ組織ISIS(自称イスラム国)は、シンジャールへも侵攻してきた。


熾烈な攻撃によって14年8月以降、ヤジディ教徒の子供や女性6000人以上が捕らえられて奴隷として売り飛ばされ、高齢者や男性など数千人が殺害されたとする報告もある。


被害を逃れた人々も、いまだ先が見えない状況が続いている。攻撃直後からシンジャール山で避難生活を送る人々はもちろん、トルコなど周辺国や遠くヨーロッパまで逃れた人たちも、多くが家族や友人を殺された悲しみを抱えながら不安の中で暮らす。


一方で、自分たちを守るために戦ったクルド人の女性兵士に感化され、武器を手に取るようになった少女たちもいる。


彼らはなぜ標的にされ、こうした悲劇的な運命をたどらなければならなかったのか。一般的には、土着の民族宗教で何世紀も独特の伝統や信仰を伝えてきたヤジディ教を、ISISが「邪教」だと断じたことが攻撃の理由とされる。


太陽崇拝や輪廻転生など多様な宗教の影響を受ける混合主義と見なされること、信仰の対象である孔雀天使タウス・マレクがイスラム教では悪魔の化身とされることなどが敵視されたようだ。


【参考記事】アマル・クルーニー、ISISの裁きを国連に訴え 「第二のルワンダにしないで」


長い歴史がある差別感情


だが、彼らの悲劇は単純な信仰の違いだけでもたらされたものなのか。その深層を知りたくて、私は15年2月から約2年間、イラクとドイツでヤジディ教徒たちの取材を行った。


そこで見えてきたのは、ISISの攻撃よりはるか以前からこの地域では彼らに対する差別感情が根付いており、長年にわたって迫害が行われてきたという事実だ。古くは1254年のイスラム王朝によるヤジディ教徒虐殺の歴史も伝えられている。


その後も彼らは、アラブ人やペルシャ人、オスマン帝国による迫害を受け続けてきた。1970年代には、イラクの副大統領だったサダム・フセインの政策で、強制的な移住が行われた。


さらに、ヤジディ教徒は悪魔を崇拝し、倫理観のない「野蛮」な民族だという誤った認識を持つ人は、一般的なイスラム教徒の中にも少なくない。私の友人にも「彼らは遅れた人々」「汚くて好戦的だという印象を子供の頃から持っている」といった偏見を語る人はいる。


近年は同じ職場で働き、一緒にピクニックに出掛け、結婚式に招待するなどうまく共存しているようにみえるが、心の底には決して縮まらない距離があったのかもしれない。トルコでテレビのニュースを見る私の隣で、トルコ人の友人が「ISISの行動は最低だが、ヤジディにもあまり同情できない」とつぶやいた言葉が忘れられない。


【参考記事】モスル西部奪回作戦、イラク軍は地獄の市街戦へ


ISIS戦闘員たちは、テロリストになる以前からヤジディ教徒に対する差別感情を抱いていたのだろう。それがISISで「聖戦」という大義を手にしたことで暴発し、虐殺につながったのではないか。


社会的弱者や少数派への差別感情は、どこにでも存在するものだ。ヤジディの悲劇は特殊な場所の特殊な状況が生んだものではなく、根底には私たちの社会にも存在する普遍的な問題があるのではないだろうか。


林典子(フォトジャーナリスト)


ISISの戦闘員が破壊したシンジャール山のマーウィア寺院


聖地ラリッシュの建物の壁にはヤジディ教の神聖なシンボルである孔雀像を描いた宗教画が


<ズィーナ(1997年生まれ)>14年8月にシンジャール山へ避難し、米軍やクルド人兵士からの救援物資で生き延びた。2カ月後に長男ビワを出産したが、数カ月後に夫がISIS戦闘員に銃殺される。今後も夫が眠るこの地から離れる気はない


ズィーナと夫の結婚式の記念写真


<ヤジディの女性兵士>シンジャール山でISISに応戦し自分たちを守ってくれたクルド労働者党(PKK)の女性兵士を見て、PKKの組織に入ったヤジディの女性は多い


訓練中のヤジディ女性兵士が暮らす部屋


ISISに破壊された家や村からシンジャール山頂へ続く道にはさまざまな物が置き去りにされている


置き去りにされたトラックのおもちゃ


<アイダ(1994年生まれ)>自宅から家族と逃げ出す途中でISIS戦闘員に見つかり、子供と共に戦闘員の家で生活することを強要された。だが、夫やその友人の助けを得て脱出に成功し、15年までイラクの都市ダフーク近郊の民家で避難生活を送っていた


<アイダ>夫と共に難民としてドイツに渡った。彼女はかつてヤジディ教徒の伝統的な芝居などをする劇団に所属していた


<アイダ>ドイツの支援プログラムで同国に渡り、政府から補助金を受けて他のヤジディの女性や子供と一緒に暮らす


<サラ(1999年生まれ)>ISISに捕まって数百人の若い女性たちと共に監禁された後、戦闘員に買われて「結婚」させられる。翌日に逃げ出すも検問で捕まり、鉄の棒で何度も殴られるなどの暴力を受けた。奴隷市場と呼ばれる場所で別の戦闘員に買われ、何人もの戦闘員に何度も性的暴力を受けたという。やがてヤジディ教徒の活動家の助けを借りて再び脱出し、ダフークの難民キャンプで両親と再会した


<サラ>監禁中には絶望の中で自ら腕に「お父さん、お母さん、愛している」の文字を彫った


<サラ>15年にドイツに渡って学校にも通うようになったというが、近くの川の岸辺でひとり考え事をすることもある


PHOTOGRAPHS AND TEXT BY NORIKO HAYASHI


撮影:林典子


1983年、神奈川県生まれ。国際政治学、紛争・平和構築学を専攻していた大学時代に西アフリカのガンビア共和国を訪れ、地元新聞社「The Point」紙で写真を撮り始める。「ニュースにならない人々の物語」を国内外で取材し、欧米や日本国内の媒体で発表している。著作に新刊写真集『ヤズディの祈り』(赤々舎)など


<本誌2017年2月28日号掲載>


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林典子(フォトジャーナリスト)


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