【「都心の路上はスケーターで溢れる」宮下公園閉鎖についてスケーターが語ったことの画像・動画をすべて見る】
夜な夜なダンスを練習する学生から、忙しい中予定を合わせてフットサルをする会社員まで、様々な人間が集まるこの公園。渋谷カルチャーにとってアイコニックな場所のひとつだったこともあり話題となった。
また、当日の「事前告知」で公共施設を一方的に封鎖したこと、宮下公園で生活していた多くの路上生活者を大量の警察官と警備員を導入して締め出したことで、特に市民団体から非難を浴びているが、これらの問題についてここでは言及しない。
僕がこの宮下公園の閉鎖から考えたかったのは「ストリートカルチャー」と「オリンピック」だ。
公園の閉鎖に伴って渋谷から姿を消したものの中のひとつに、公園内に設置されていたスケートボードパークがある。スケートスポットが少なく、練習場所を探すのにも苦労する都心にあって、渋谷のど真ん中で滑れる宮下公園は貴重な存在だった。
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なんとも救いようのない話に聞こえてしまうが、今回のことをスケーターはどのように考えているんだろうか。
ストリートをメインにフォーカスした作品を多数発表し、STAY BLACKやHORRIBLES Projectなどの国内ブランドからスポンサードを受ける一方、NYのデッキカンパニーNEW BREED NYCのインターナショナルスケーターとしても活躍するスケーター・藤井佑也さんに話を聞いた。
取材・文・撮影:和田拓也 編集:新見直
宮下公園閉鎖に噛み付いているスケーターは多くない
僕は、閉鎖される2日前に、たまたま宮下公園でスケートをしていた。フットサルコートの照明は消え、今思えば、「なんかいつもと雰囲気違うな」という感覚。
しかしスケートパークだけは平常運行。いつも通り、ハイレベルなスケーターたちの邪魔にならないようにすみっこで練習していた。それだけに、SNS上で閉鎖を知ったときは驚いた。
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Jesse Kojimaさん(@jessekojima)がシェアした投稿 - 2017 3月 27 4:33午前 PDT
「いつまでも あると思うな 親とスケートパーク」というツイートなど、今回の宮下閉鎖に対するスケーターたちの反応も多く見られたが、スケーターたちの受け止め方は比較的フラットなものだと藤井さんは話す。
藤井 「閉鎖については結構前から度々噂になって、昨年末も閉まるかもという話が一度ありました。継続して普通に営業してるし、なんなんだろう、みたいな。それでこの間、唐突に、っていう感じでした。でもそのことに対して噛み付くスケーターはあまりいなかったように感じます。
ローカルで滑ってるスケーターにとってはやっぱり思うところや多少の影響はあると思うんですけど、そいつらもなくなったらなくなったで別のスポットにいくだろうし、そもそもなかったものなんで。逆にあんな渋谷のど真ん中にできてびっくりという感じでした」
10年、20年と続くスポットであれば、ローカルに根付きカルチャーが生まれる。しかし宮下公園は約5年という短い歴史で幕を閉じたこともあり、そこまでには至らなかったのかもしれない。
スケーターたちの中にある、「諦め」の感情
さらに、藤井さんはこうしたリアクションの背景には、スケーターたちの中に、ある「諦め」の感情が存在するという。
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YAMADA HIROMUさん(@denimyarou)がシェアした投稿 - 2017 3月 27 3:10午前 PDT
藤井 「宮下って、すっごい不思議なパークだったんですよ。結局最後の最後までよくわからないパークだった。『なんだったんだろう』って感じてるローカルスケーターも多かったと思いますよ。
パークができる時って、もとはスケーターが勝手に滑っていて、それから署名運動のような、ローカルスケーターの努力によって自治体の認可を得てできるという流れが多い。スケーター自身が設計などに関わるなどして、誰かしら行政との間に入るんです。
でも宮下はそういうのが一切なかった。スケーターがほとんど関われなくて、行政との間に入るスケーターがいなかった。だから話し合うこともできないし、取り合ってももらえない」
藤井 「都会のど真ん中ならなおさらなんですけど、スケーターは滑る場所がなくなるという危機感は常に感じながらやっています。そして、自分たちの意見を聞いてもらえないっていう感覚も当たり前にある。
だから起こったことに対してどう対応していくかっていう受け身の姿勢というか、なかば諦めがちな体質になっているのはあると思います」
都心の路上は今以上にスケーターで溢れる
むしろ、宮下パークというスポットがなくなった“後”のことを藤井さんは危惧している。
藤井 「都内のあちこちのストリートで滑っていたスケーターが、苦情が出ていちいち警察に追い回されるくらいなら宮下で滑ろうよ、ということで一旦落ち着いていたと思うんです。
だけど今回のように法的に認可されているパブリックなパークがなくなることで、必然的にストリートにスケーターがもっと溢れると思います。結果、問題が増えて規制が厳しくなる」
compass_hamauraさん(@compass_hamaura)がシェアした投稿 - 2017 4月 5 8:19午後 PDT
藤井 「最終的にストリートとパークスケーターのバランスが悪くなって、僕みたいなストリートで滑ってるスケーターとしては、さらに滑りにくい環境になってしまうんです」
発端は、2020年の東京オリンピックだということを忘れてはならない
しかし、話はそれだけでは終わらない。冒頭に書いた通り、宮下公園のスケートボードパークは、2020年開催の東京オリンピックが発端となっている。
取材を行う中で見えてきたのは、そこには、今回のパーク閉鎖同様、行政とスケートカルチャーとの間には深い溝が横たわっているということだ。
後編では、「スケーターのいないオリンピック」について話をうかがった。
※記事本文とタイトルにおいて、藤井佑也氏の肩書きを訂正いたしました