『怪談』の小泉八雲が遺していた、生涯唯一の料理書

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2017年04月13日 11:33  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<米南部ニューオーリンズの伝統料理であるクレオール料理。その世界初の書物をいまから約130年前に書いた人物がいる。ラフカディオ・ハーン、のちの小泉八雲だ。ハーンにとって唯一の料理書ともなったこの貴重な本はいかにして生まれたのか>


アメリカ南部ルイジアナ州にあるニューオーリンズは、全米屈指の観光都市だ。ジャズ発祥の地であり、リオデジャネイロと並び称されるカーニバルの街でもある。


この街はもともとフランス人によって建設され、スペイン領になったり、フランスに返還されたりしたのちに、アメリカ合衆国の都市となった。


そんな歴史的背景から生まれたのが、他のアメリカの都市とは違う、異国の香りただようクレオール文化だ(「クレオール」とは、フランス・スペイン系の人々とアフリカから来た奴隷や先住民などとの混血を指す)。そしてこの街を語る上で欠かせないのが、クレオール料理である。


ニューオーリンズの伝統料理であるクレオール料理は、フランスとスペインの美食に、アメリカ、メキシコ、西インド諸島(カリブ海の島々)の味が加わり、さらにイタリア料理の影響も受けていると言われる。パエリヤのような「ジャンバラヤ」、とろみのあるスープをごはんにかけた「ゴンボ(ガンボ)」などは、日本でも食べたことのある人が多いのではないだろうか。


クレオールの食文化だけでなく、当時の暮らしも垣間見られる


そんなクレオール料理を紹介する1冊の本がある。いまから約130年前の1885年、『クレオール料理(La Cuisine Créole)』というタイトルのその本はアメリカで出版された。


著者は小泉八雲。新聞記者であり随筆家であり、小説家であり民俗学者。妻から聞いた日本の伝説や幽霊譚をもとに創作した文学短編集『怪談(Kwaidan)』など、日本に関する著作で国内外に広く知られる作家だ。


むろん当時はまだ日本に帰化していなかったので、著者名としてはラフカディオ・ハーンだが、ハーンが料理書を遺していたことはあまり知られていない。


ギリシャで生まれ、アイルランドで育ったハーンは、19歳で単身アメリカに渡った。苦労の末に新聞記者となり、27歳のときにニューオーリンズに移り住む。いくつもの文化が混ざり合った独特の風土や習慣をもつこの街に、彼は強く魅了された。


『クレオール料理』は、クレオール料理を紹介する世界初の書物であり、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲にとっては生涯唯一の料理書だ。クレオールの食文化を知るだけでなく、19世紀後半のニューオーリンズの人々がどのような生活を送っていたかも垣間見られ、興味深い史料として読むこともできる。


この本はまた、2017年のいま、おそらく日本で唯一のクレオール料理に関する本だ。『クレオール料理』の抄訳に、ハーンが同じころに出版したクレオールのことわざ集『ゴンボ・ゼブ』から料理に関係あることわざ、さらには当時執筆していた新聞のコラム、本人の手によるカット(版画)を抜粋して加え、1998年に『ラフカディオ・ハーンの料理読本』として出版。このたび、『復刻版 ラフカディオ・ハーンのクレオール料理読本』(河島弘美監修、鈴木あかね訳、CCCメディアハウス)が刊行された。


本書で紹介されている料理やレシピは、ハーンが友人たちの家庭でひとつひとつ教えてもらったものだという。つまり、一般家庭の味がそのまま紹介されているのだ。それと同時に、当時の家庭の台所と、そこで調理する女性たちの様子がうかがえる記述が随所に見られる。


例えば、クレオール名物ザリガニのビスク(スープ)を作るなら、「ザリガニは五〇匹ほどが適当である」。あるいは、「鳩を六羽用意し、翼を胴体に串あるいはひもで固定する」というレシピもある(鳩のパイ)。電化製品などなかった時代の家庭料理とは、かくも豪快だったのだ。


また、ところどころに料理のコツや、素材を選ぶ際のポイントなどが紹介されている点も面白い。きっとハーン自身が、「料理の先生」である主婦たちから教えてもらったのだろう。


 卵を選ぶときは一つ一つを明かりにかざして見ること。新鮮ならば白身が透き通って黄身がくっきり見えるはずだ。ぼんやりとしていたら古い卵である。(113ページより)


意外に参考になる項目や、「とてもおいしいオムレツ」の作り方


130年以上前の料理書だけあって、たしかに現代の一般読者には実用的でない部分もあるが(ザリガニや鳩の扱い方など)、なかには意外なほど参考になる項目もある。


たとえば「獣肉・鳥類・鹿肉料理のためのソース四五種」。ホワイトソースやブラウンソースからトマトソース、レモンソース、オーロラソース、ケイパー(ケッパー)のソース、白いキュウリのソースに、栗のソース......など、あらゆるソースが紹介されているのだ。


1冊の料理書に、これほどの種類のソースが羅列されることは、めったにない。こうした点こそ、クレオールの食文化そのものを伝えるために書かれた本書の特徴だろう。それがかえって実用的に読めるのも、この本の面白さと言えるのかもしれない。


ピクルスの章では、「ピクルスの心得」に始まり、全部で12のレシピが載っている。キュウリのピクルス(ウイスキー漬け)や卵のピクルス、牡蠣のピクルスなど、こちらも興味をそそられるラインナップで、試しに作ってみようかという気分になる(量は加減する必要があるが)。


このほかに、本書を読み進めていくと、思わず頬が緩んでしまうような記述によく出くわす。たとえば、先ほどの「鳩のパイ」には「絶品」と添えられていたり、「青トウモロコシのスープ」のあとに「なめらかでおいしい」というコメントがあったり。


料理名が「とてもおいしいオムレツ」となっているレシピや、「とても簡単でおいしいプディング」「お安く作れるワッフル」なんていうレシピもある。さらに、「おなかをこわしたときのためのラードやバターを使わない団子の生地」まで紹介されているのだ。


まさに、19世紀後半のニューオーリンズの主婦たちの知恵が盛り込まれた料理書であり、ハーンのクレオール文化への愛着を感じることのできる本と言えるだろう。


晩年を日本で過ごし、だれもが知る怪談を後世に残した功績


ラフカディオ・ハーンは、ニューオーリンズで充実した10年間を過ごしたのち、1890年に来日する。当初は、雑誌に記事を書くための取材旅行だった。しかし結局、1904年に亡くなるまでの14年間を彼は日本で暮らすことになる。


訳あって雑誌社と縁を切ったハーンは、日本にとどまるため、英語教師の職を探した。そして最初に赴任したのが、島根県松江の尋常中学校だった。このことについて、本書の監修をつとめた河島弘美氏(東洋学園大学教授。ハーンに関する著書もある)は、次のように記している。


決まった赴任先が松江の尋常中学校だったことは、結果的にみてハーンにとっても、また日本にとっても幸せだったと言えよう。ハーンがいかにこの静かな出雲の城下町を愛したかは、「神々の国の首都」をはじめとするすばらしい文章は言うまでもなく、後年、帰化にあたって出雲の古歌にちなむ「八雲」を日本名に選んだことにもあらわれている。(3ページより)


松江で日本人女性と結婚、1896年に日本国籍を取得して、ラフカディオ・ハーンは小泉八雲となった。


その後、熊本、神戸、東京で英語教師を続けながら執筆活動も精力的に行い、『知られざる日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan)』『心(Kokoro)』など、日本の風土と文化、そこに生きる日本人の姿を描写した著作の数々を発表。日本文化を欧米に伝えることに大きく貢献した。


代表作は何と言っても、「耳なし芳一」「ろくろ首」「雪女」などが収録された『怪談』だろう。これらの物語が、だれもが知っている"昔話"として現代でも語り継がれているのは、小泉八雲の大きな功績だ。


ハーンは、もともと英訳の『古事記』などを通して日本文化に興味をもっていたという。そして『クレオール料理』が出版される前年、ニューオーリンズで開催された万国博覧会で日本館を取材し、その思いは一層深まっていった。


日本とニューオーリンズ。まるで違っているように思えるが、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲というひとりの民俗学者が、どちらの文化にも強く惹かれたことを考えると、そこには目に見えない類似点があるのかもしれない。


【参考記事】アメリカ人に人気の味は「だし」 NYミシュラン和食屋の舞台裏


 河島弘美 監修


 鈴木あかね 訳


 CCCメディアハウス




ニューズウィーク日本版ウェブ編集部


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