桂歌丸が引退宣言!? 若手噺家にどうしても伝えたかった古典落語への思い、そして戦争反対の姿勢

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2017年04月16日 17:12  リテラ

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リテラ

『歌丸 極上人生』(祥伝社)

●桂歌丸が古舘伊知郎に「引退しようか悩んでいる」



 昨年5月に『笑点』(日本テレビ)を勇退した後も、前々から「落語家を辞めるわけではありません。まだまだ覚えたい噺も数多くあります」と宣言していた通り、高座に上がり続けている桂歌丸。そんな彼だが、3月18日放送『平成28年度の主役が大集結! 古舘伊知郎ショー〜THE・マッチメイカー〜』での古館伊知郎との対談のなかで「(引退について)いま悩んでいる」と発言し、大きな話題となっている。



 歌丸は昨年の暮れから今年の頭にかけて肺炎のため入院。現在では高座に上がる際、酸素吸入器が必要な状態になっているが、そんな体調を「息を吸うのが苦しい」、「息が吸えないというのは金がないより苦しいですね」と説明しつつ、古館に向かってこのように告白し始めたのであった。



「実はですね、ついこの間まで辞めようと思ったことはこれっぽっちもなかったんです。ものすごい苦しい時代もありました。でもね、本当に自分で好きで選んだ道ですからね、好きで選んだ道を自分で辞めちゃったら、自分自身の負けになると思ってね、歯をくいしばりました。ところがですね、いま言った通り、こんなような状態になっちゃって、これでやってっていいのかしらって、正直言っていま悩んでいるところなんです。お客様がたに失礼になるんじゃないか、あるいはみっともないんじゃないか。で、一番の問題は、まあこれは病気ばかりじゃない、年(のせい)もあると思うんですけど、噺の覚えが悪くなっちゃったんですよ。ですからね、本当にいま悩んでいる最中です」



 この告白に古館は思わず面食らっていたが、その対談のなかで歌丸は、もうひとつ大事な話をしていた。それは、後進の落語家たちに対しての「落語を壊さないでくれ」という嘆願である。



「いじっていい落語といじって悪い落語があると思うんです」

「できてる噺をそうやっていじり回さないでもらいたいですね」



 これは、古典落語の噺の尺を半分以下にまで切り落としたり、合間に元の噺にはないくすぐりを加えて演じたりする若手の落語家たちに対する警鐘なのだが、歌丸は古典落語に対して並々ならぬ思いを抱いていることでもよく知られている。特に、同じ古典でも、もう廃れてしまいどの噺家からも見向きもされなくなってしまったような噺を現代に甦らせる作業に尽力しており、その古典落語への深い造詣は、いまの落語界で右に出る者はいない。



 当の歌丸自身も、同じく古典落語の復興に力を注いだ人間国宝の桂米朝にこんなことを言われたと自著のなかで冗談混じりに振り返っている。



「みなさんがやってる噺ばっかりやってもつまらないし、誰もやってなければ、比べられることもありませんしね、いつだったか、(桂)米朝師匠(平成二十七年三月十九日没、享年八十九)にも言われたことがありましたよ。あんたは変わった噺ばっかりやってますねって」(『歌丸 極上人生』祥伝社)



●戦中、国家によって古典落語が壊された歴史が



 前述の古館との対談で歌丸が「落語を壊さないでくれ」としつつ語ったのは、不勉強なまま浅薄な考えで噺を改変する若手たちの落語に対する向き合い方を批判したものであるが、その裏には、もうひとつ伝えたいことがあったのではないだろうか?



 というのも、かつて落語は、国によって壊された歴史をもっているからだ。1940年9月、当時の落語界は、遊郭に関した噺、妾を扱った噺、色恋にまつわる噺など53の演目を、国のために質素倹約を奨励していた当時の時局にふさわしくないとして圧力をかけられ、半ば強制されるようなかたちで高座にかけるのを自粛した。その53の噺のなかには堅物の若旦那が遊び人により吉原へ連れられていくドタバタを描いた「明鳥」など、今でも盛んに高座に上げられる人気の噺も含まれていた。これを「禁演落語」と呼ぶのだが、その詳細は演芸評論家である柏木新による『はなし家たちの戦争─禁演落語と国策落語』(本の泉社)にまとめられている。



「禁演落語」が指定された後、高座にかけることを禁じられた噺たちを弔うため、浅草の本法寺には「はなし塚」という塚がつくられた。わざわざそんなものをつくったのは、当時の芸人たちによる洒落っ気のこもったささやかな反抗であったわけだが、当時の苦い経験を忘れないように、いまでも、落語芸術協会によって法要が続けられている。歌丸も落語芸術協会の会長に就任して以降は毎年参加しているという。



 ただ、当時の落語界は古典落語の名作を封印するだけにとどまらず、文学や絵画などの他の文化芸術と同じように、戦争協力の一端を担った「国策落語」を新作として次々と発表していくということまでしていた。それらの噺の内容は、軍隊賛美や貯蓄、債券購入、献金奨励などを入れ込んだ、まるでプロパガンダのような内容。歌丸はインタビューで国策落語について「つまんなかったでしょうね」、「お国のためになるような話ばっかりしなきゃなんないでしょ。落語だか修身だかわかんなくなっちゃう」(朝日新聞デジタル2015年10月19日)と語っているが、なかにはつまらないどころか、聴いている人を傷つけるようなグロテスクな噺まで登場した。



 当時のスローガン「産めよ殖やせよ」をテーマにつくられた「子宝部隊長」という落語では、子どもを産んでいない女性に向けられるこんなひどい台詞が登場する。



〈何が無理だ。産めよ殖やせよ、子宝部隊長だ。国策線に順応して、人的資源を確保する。それが吾れ吾れの急務だ。兵隊さんになる男の子を、一日でも早く生むことが、お国の為につくす一つの仕事だとしたら、子供を産まない女なんか、意義がないぞ。お前がどうしても男の子を産まないんなら、国策に違反するスパイ行動として、憲兵へ訴えるぞ〉



●安保法制問題に揺れた時期、歌丸が表明した戦争反対の姿勢



 歌丸は安保法制に関する議論が日本中で白熱していた一昨年前、インタビューでこのように発言したことがある。



「今、日本は色んなことでもめてるじゃないですか。戦争の『せ』の字もしてもらいたくないですよね。あんな思いなんか二度としたくないし、させたくない」

「テレビで戦争が見られる時代ですからね。あれを見て若い方がかっこいいと思ったら、えらいことになる」

「人間、人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいや」

「人間にとって一番肝心な笑いがないのが、戦争をしている所」(朝日新聞デジタル15年10月19日)



 古典落語の正しい継承を訴える歌丸の言葉の裏には、古典落語がもつ高い芸術性の保全という他に、戦中の落語界がたどった悲しい歴史に対する思いもあると見るのはうがち過ぎだろうか?



 ちなみに、本稿冒頭に引いた「引退」話には続きがある。『古舘伊知郎ショー』のなかで彼は、冗談めかしながらこんなふうにも語っていた。



「もう今年で81になりますからね、辞めようかどうしようかって迷っているうちにあっち行っちゃおうと思うんです(笑)」

「もうひとつね、欲の深い考えもってるんです。『桂歌丸引退興行』っていって生涯それで回って行こうかと。儲かると思いますよ(笑)」



 引退の真相がどうなのかは藪の中だが、いずれにせよ、歌丸が高座に上がる限り、我々は彼から学ぶべきことがたくさんあるだろう。

(新田 樹)


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