そんなことを思っていたら、ネットで、こんな記事を見つけました。
「就職でも進学でもない、高校卒業時の進路決定を認めた東京都立秋留台高校」
一方で、自分の所属先が未決定で宙ぶらりんというのは、不安定で不安なものでしょう。現在は、日本の最高学府と言われる大学に通っている卒業生も、やはり浪人時代は本当に苦しかったと語っていました。
が、この未決定という不安定な状態を受け入れることこそ、不測の事態が頻発するグローバル時代に必要な人材を育てるのではないか、とこの記事を読んで、私は思いました。
■教育視察で訪問したフィンランド
もう10年以上も前になりますが、私は教育視察でフィンランドを訪れたことがあります。フィンランドは日本と同じく資源のない国です。ですから、人材育成で国際競争力をつけようと、教育に非常に力を入れています。小中学校はもちろん、大学教育だって無料なのです。
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フィンランドには徴兵制があります。それに、大学や専門学校など上位の学校に進むのは就職してから、という人もいるようで、そのような統計を取ることができないという趣旨の回答でした。
■人と違う選択をすることの難しさ
人それぞれに進路が違う…、そんなことは当たり前です。でも、日本の進学・就職システムは非常にストレートなもので、多様な進路を取りやすい環境になっていません。また、人と違う選択をするのは、とても気持ちのハードルが高いのが実情です。
このことが、グローバル時代に課題になるのではないでしょうか。グローバル時代というと、まず英語力という発想になりがちですが、もはやスマホが翻訳をしてくれそうな現代、語学力よりも、文化や育ちのバックグラウンドが違う「異質な存在」を受け入れることと、「自分自身」を明確に持っていることを両立する方が、よほど重要だと思います。
であるならば、「進路未決定」はグローバル時代に重要な経験です。未決定という不安定な状態を受け入れ、その間に「自分」という存在を深堀りし、明確にする。その中で感じる不安感、迷いがあるからこそ、「他者」の受容をできるようになるのです。
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もちろん、実感として「進路未決定」は不安だと思います。でも、「進路決定」などということは、本当はないのです。私は高校時代、指定校推薦で行ける大学の中で偏差値がなるべく高く、通いやすい大学を選び、何となく法学部で政治を学び、そして一般企業に就職するものだと、漠然と考えていました。が、大学時代にいろいろな経験をする中で、心に関心を持つようになり、教育、特に小学校教育に強く惹かれるようになりました。
私はシステムとしては、常に「進路決定状態」でしたが、心の中は「進路未決定」であったわけです。そして、小学校教諭になった今でも、まだ未決定を受け入れ、自分らしくいるための道を探しています。若いうち、どころか、いくつになっても、「未決定」という不安定を受け入れることは、素晴らしいことなのではないでしょうか。
「進路未決定」とは、一度、決めたつもりの希望を考え直したり、自分の適性や本音と深く向き合ったりするチャンスでもあります。そして、不測の事態が頻発するであろう、グローバル時代に、動じない、たくましさが育つ機会でもあるのです。
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