就職でも進学でもない…「進路未決定」こそグローバル時代の人材を育てる!

2

2017年04月19日 00:00  citrus

  • 限定公開( 2 )

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

citrus

写真
3月の終わり、ある卒業生が私を訪ねてくれて、大学に合格したと報告してくれました。自分がこれから属する場所が決まることは安心感につながります。

そんなことを思っていたら、ネットで、こんな記事を見つけました。

「就職でも進学でもない、高校卒業時の進路決定を認めた東京都立秋留台高校」

一方で、自分の所属先が未決定で宙ぶらりんというのは、不安定で不安なものでしょう。現在は、日本の最高学府と言われる大学に通っている卒業生も、やはり浪人時代は本当に苦しかったと語っていました。

が、この未決定という不安定な状態を受け入れることこそ、不測の事態が頻発するグローバル時代に必要な人材を育てるのではないか、とこの記事を読んで、私は思いました。


■教育視察で訪問したフィンランド

もう10年以上も前になりますが、私は教育視察でフィンランドを訪れたことがあります。フィンランドは日本と同じく資源のない国です。ですから、人材育成で国際競争力をつけようと、教育に非常に力を入れています。小中学校はもちろん、大学教育だって無料なのです。

私は、ラハティというヘルシンキから車で1時間ほどの中規模都市を中心に小学校から高校まで視察し、最後に教育委員会の方と懇談しました。その時、同行していた高校の先生が大学進学率について質問したところ、教育委員会の方は、「そういう統計はないので、わからない」と答えたので、私は本当にびっくりしました。

フィンランドには徴兵制があります。それに、大学や専門学校など上位の学校に進むのは就職してから、という人もいるようで、そのような統計を取ることができないという趣旨の回答でした。


■人と違う選択をすることの難しさ

人それぞれに進路が違う…、そんなことは当たり前です。でも、日本の進学・就職システムは非常にストレートなもので、多様な進路を取りやすい環境になっていません。また、人と違う選択をするのは、とても気持ちのハードルが高いのが実情です。

このことが、グローバル時代に課題になるのではないでしょうか。グローバル時代というと、まず英語力という発想になりがちですが、もはやスマホが翻訳をしてくれそうな現代、語学力よりも、文化や育ちのバックグラウンドが違う「異質な存在」を受け入れることと、「自分自身」を明確に持っていることを両立する方が、よほど重要だと思います。

であるならば、「進路未決定」はグローバル時代に重要な経験です。未決定という不安定な状態を受け入れ、その間に「自分」という存在を深堀りし、明確にする。その中で感じる不安感、迷いがあるからこそ、「他者」の受容をできるようになるのです。


■進路未決定を受け入れること

もちろん、実感として「進路未決定」は不安だと思います。でも、「進路決定」などということは、本当はないのです。私は高校時代、指定校推薦で行ける大学の中で偏差値がなるべく高く、通いやすい大学を選び、何となく法学部で政治を学び、そして一般企業に就職するものだと、漠然と考えていました。が、大学時代にいろいろな経験をする中で、心に関心を持つようになり、教育、特に小学校教育に強く惹かれるようになりました。

私はシステムとしては、常に「進路決定状態」でしたが、心の中は「進路未決定」であったわけです。そして、小学校教諭になった今でも、まだ未決定を受け入れ、自分らしくいるための道を探しています。若いうち、どころか、いくつになっても、「未決定」という不安定を受け入れることは、素晴らしいことなのではないでしょうか。

「進路未決定」とは、一度、決めたつもりの希望を考え直したり、自分の適性や本音と深く向き合ったりするチャンスでもあります。そして、不測の事態が頻発するであろう、グローバル時代に、動じない、たくましさが育つ機会でもあるのです。
 

citrusでは【1000円分のAmazonギフト券】が当たるアンケートを実施中

    前日のランキングへ

    ニュース設定