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<タイ政府が、軍政悲願の潜水艦を中国から購入すると決めたが、すぐに公表しなかった。潜水艦など金の無駄遣いという国民感情に配慮したか、中国の事情か、議論の的になっている>
タイが中国から潜水艦1隻を購入することが4月18日の閣議で決定した。24日にタイ政府筋がもたらした情報で明らかになった。閣議決定事項にも関わらず政府が公表を避けたことについてタイ軍政は「地域の安全保障にかかわる極秘事項だったため」としているが、国民の間からは早くも「潜水艦不要論」が噴出、「中国への特別配慮」と同時に国民の反発を回避するために「秘密裏に閣議決定」した可能性もあると軍政への不満が高まっている。
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タイ海軍は第二次世界大戦前の1936年に三菱重工製の「マッチャーヌ級」潜水艦4隻を日本から導入。戦後日本の武器禁輸で部品調達が困難となり、いずれも1951年に退役。これがタイでの最初で最後の潜水艦で以後タイは潜水艦を保有していない状態が続いていた。
しかし潜水艦保有はタイ海軍の長年の念願。2008年〜2009年にかけて潜水艦計画が浮上したものの中止となり、2012年にはドイツから中古の潜水艦6隻を購入する計画を政府に提示するも、当時のインラック首相が「潜水艦などタイには不要」と却下された経緯がある。
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それでも潜水艦保有を断念できないタイ海軍は2014年7月、東部チョンブリ県サタヒープにある海軍基地内に「潜水艦部隊司令部」として本部建物と訓練施設を建設、当時のナロン海軍司令官が出席して盛大な開所式を行った。
タイのマスコミなどは「潜水艦のない潜水艦司令部」と皮肉を込めて報道したが、海軍はひるむことなく、着々と導入計画を進め、その機会を虎視眈々と狙っていた。
クーデターでの軍政誕生が追い風に
転機は2014年5月の軍事クーデターでプラユット軍事政権が誕生したことだった。軍人政権に期待した海軍は2016年6月には中国、仏、独、露、韓国、スウェーデンの6カ国による国際入札を実施。「性能面に加えて中国側が提示した条件、価格などの優遇措置」の結果、中国からの導入が決まった。
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一説では「中国から2隻購入すれば3隻目は無料となる」「潜水艦搭載のミサイルは無料提供する」など、通常では考えられない「オファー」が中国側からあったとされている。
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2017年1月に明らかになった計画では、購入するのは中国海軍の「元級」潜水艦の対外用型「S26T」通常動力型潜水艦。性能諸元は排水量が水上1850トン、水中2300トン、最大速力18ノット、航続距離8000カイリ、533mm魚雷発射管6本で価格は1隻135億バーツ(約430億円)という。
動力は通常型だが、より静粛性に優れ長時間潜航を実現できる「非大気依存推進(AIP)」機関を搭載することも可能な潜水艦とされている。
タイ海軍は同型の潜水艦を中国から2026年までに合計3隻を購入することで基本合意している。
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こうした中国からの潜水艦購入計画は軍政の下で規定路線とはなっていたものの「なぜこの時期に閣議決定」「なぜその決定を公表しなかったのか」について様々な憶測を呼ぶ結果となった。
中国と軍政の思惑の一致が背景に
タイ軍政による閣議決定から1週間もその事実が公にならなかったことに関して政府報道官は「購入に関する書類が極秘扱いになっていた」「地域の安全保障に関わる問題だった」とその理由を説明している。また同報道官は「タイは海に囲まれており、いつ何が起きるかわからないからだ」と現在の東南アジア情勢との関係を示唆した。
東南アジア情勢を巡っては、南シナ海への中国の進出により南沙諸島や西沙諸島の領有権問題が深刻化。中国とフィリピン、ベトナム、マレーシアなどとの間で領有権争いが起こっている。タイはこうした領有権問題には直接関与していないが、4月29日にはフィリピンのマニラで東南アジア諸国連合(ASEAN)の首脳会議が開催され、南シナ海問題へのASEANとしての対応を巡る協議の行方が注目されている。
一方でタイは「軍政から速やかに民政に移管すること」を米国から強く求められていることなどを理由に「米国と距離をおき、中国との関係強化」を選択してきた経緯もある。4月上旬には中国から戦車10両を購入する契約にも調印したように、特に軍事面での中国との接近が目立っており、地域の安全保障のバランスから米トランプ政権も神経をとがらせていたのだ。
そして何より国民や報道機関、インラック元首相とその兄、タクシン元首相ら野党勢力の間には「潜水艦不要論」が根強く残っていることも忘れてはならない。「タイ湾で潜水艦は何をするというのか」、「中国製潜水艦は品質の面で問題がある」「潜水艦は機密満載の兵器、その機密が中国に筒抜けになるのではないか」などの疑問や反対の声をマスコミは伝えている。
こうした様々な側面、要素を総合すると、タイに限らず東南アジアへの武器輸出、インフラ輸出、経済攻勢の動きを強める中国としては、強硬路線の米トランプ政権への配慮、北朝鮮問題で緊張する東アジア地域情勢などに鑑みて「潜水艦購入の閣議決定」に関してタイ軍政に「公表せず」を暗に要求した可能性が浮上してくる。そしてタイ側も目前のASEAN首脳会議などを念頭にあえてその中国の思惑に配慮して「公表せず」を決め込んだ可能性が極めて高い。
政府筋のリークで閣議決定が明らかになり、国防省はその事実を認めざるを得なかったが、「閣議決定したことが全て会見などで明らかにされる訳ではない」(国防省報道官)として「今後も潜水艦に関しては中国がこの問題を重要視していることもあり、あえてこちらからは何も言うつもりはない」(同)と開き直って見せた。
タイの主要紙は予想通りに閣議決定を受けて「不要なおもちゃ購入を政府は決めた」「景気が完全に回復しない現在、国民生活に有効な税金の使い方をするべきだ」などなど厳しい論調を展開している。そうでなくても「軍政は秘密主義でマスコミを敵視している」(バンコクの英字紙記者)ことから今後も軍政とマスコミの軋轢がますます激化することは不可避とみられている。
中国の入札競争必勝の戦略
中国によるタイへの潜水艦売り込みには、「国際的な入札競争で価格や付帯サービス面の優遇措置を提示して受注を獲得する」という中国流の戦略が露骨に示されている。これはインドネシアの首都ジャカルタとバンドンを結ぶ鉄道の高速化計画入札やジャカルタのバス専用路線用バス導入競争で中国が受注するためにとった戦略と軌を一にしている。低価格であることは東南アジア諸国にとっては「最大の魅力」であることは否めないが、
廉価でジャカルタ市が導入した中国製バスは故障や発火が相次ぎ、インドネシア政府の財政負担を回避した鉄道高速化計画は一向に建設が進んでおらず、計画が頓挫する可能性も出てきているという。
タイの中国からの潜水艦購入も、ことが国防に関わるだけに「後の祭り」にならないことを願うばかりだ。
[執筆者]
大塚智彦(ジャーナリスト)
PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など
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大塚智彦(PanAsiaNews)
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