シリアの真の問題は化学兵器ではない

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2017年05月02日 00:33  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<アサド政権のサリン空爆に即座に反応したトランプ米大統領。しかし憎むべき相手は兵器ではなく殺戮行為そのものだ>


バラク・オバマ前米大統領は12年に、シリアのバシャル・アサド政権による化学兵器の使用は「レッドライン(越えてはならない一線)」であり、それを越えたらアメリカの判断基準も変わると警告した。


1年後、シリア政府が市民に神経ガスのサリンを使用した証拠が出た。オバマは軍事介入に踏み切ることはなかったが、「世界のいかなる場所でも、化学兵器の使用は人間の尊厳に対する侮辱であり、人々の安全を脅かす」と非難した。


「人間の尊厳に対する侮辱」という点は、ドナルド・トランプ米大統領も賛成のようだ。4月上旬にシリアの反体制派支配地域でサリンを使ったと思われる空爆が起こると、トランプはシリア空軍基地へのミサイル攻撃を指示した。


しかし、化学兵器の使用に対して国際規範にのっとり断固とした措置を取るという「信条」は、戦略的に意味がなく、道徳的に短絡過ぎる。


戦略的には、アメリカは通常兵器と質的な違いがない兵器の監視に、時間と資源を費やさなければならない。そして道徳的には、アメリカは犠牲者よりも兵器の性質ばかりに目を向けるという姿勢にも取れる。


化学兵器は一般に考えられているほど、通常兵器と比較して効率的に人の命を奪えるわけではない。


化学兵器は第一次大戦で「殺戮を繰り広げた」とされているが、最大1700万人の戦死者のうち、化学兵器による死者は9万人ともいわれる。さらに十数万人が化学的な被害を受けたが、大半は回復した。


【参考記事】突然だったシリア攻撃後、トランプ政権に必要なシリア戦略


では、なぜ化学兵器が特に非難されたのだろうか。まず、当時は兵器として新しく、あまり理解されていなかったため、兵士は当然ながら恐怖を抱いた。さらに、非紳士的で騎士道に反する卑劣な手段と見なされていた。いずれも職業軍人にとっては受け入れ難い。


化学兵器のこうした「評判」が、厳しい規制につながったことは間違いない。一方で、第一次大戦における本当の「大量破壊兵器」は、まず機関銃であり、次にインフルエンザだった。


98年にイラクの独裁者サダム・フセインは、北部のハラブジャ村で蜂起したクルド人住民の鎮圧に化学兵器を使用し、約5000人が死亡した。


ただし、毒ガスによる攻撃のほかにも約20機の戦闘機が十数回にわたって出撃し、前後に通常の爆弾による攻撃もあった。それだけの火力と時間を費やせば、化学兵器を使わなくても、同じくらいか、おそらくもっと多くの人を殺せただろう。


さらに、フセインなど化学兵器を実際に使った人々が気付いたように、兵器としての扱いが難しい。理想的な気象条件という人間の力が及ばない要素に左右されるからだ。


被害映像のインパクト


実際、化学兵器は製造と安全な保管にコストがかかるが、特別に有用でもない。だからこそ、冷戦終結後に主要国はあっさりと全面的に禁止したのだ。


ただし、世界中で使用禁止を実行しても、道徳的にはあまり意味がない。使用を容認するべきだと言うのではない。むしろ兵器の種類に関係なく、民間人の殺戮そのものに、はるかに厳しく対処するべきだ。


今の米政府の「信条」は、化学兵器さえ使わなければ、独裁者が自国民をいくら殺害しても罰を受けないという意味になりかねない。汚くない紳士的な殺害行為なら、存分にジェノサイド(大量虐殺)をして構わないと言っているようなものだ。


紳士的な殺害行為などというものが本当に存在すると思う人は、戦争映画の見過ぎであり、道徳に鈍感なだけだ。ドワイト・アイゼンハワー元米大統領は、「私は戦争が嫌いだ。私は戦争を生き延びた兵士として、その残虐さと無益さと愚かさを知っている」と言った。


戦争は常に野蛮で不快極まりないものだ。正義の戦いだとしても。


【参考記事】ISISの終わりが見えた


私は平和主義者ではない。アフガニスタンで従軍経験があり、武力行使が正しい場面もあると考えている。しかし、紳士的な殺害という代物は、人道的な戦争を支持していると市民に思わせるための滑稽な幻想にすぎない。爆弾であれ、銃弾であれ、なたであれ、人の命を奪う行為は殺害だ。


特定の兵器の使用を禁止することは、兵器を使う目的より兵器そのものに道徳的な重要性を与えてしまう。私たちは市民の大量殺戮に対し、殺害の手段に関係なく怒りを覚えるべきだ。


1カ月で数十人を毒ガスで殺したアサドが怪物なら、過去6年間に樽爆弾と通常の爆弾で50万人以上を殺戮したアサドもまた、怪物だ。人を殺した事実より殺害に使った兵器に怒りをぶつけるのは、あまりに近視眼的ではないか。


毒ガスを浴びて死んだシリアの子供たちの姿が、多くの人に衝撃を与えたのは無理もない。トランプも次のように語っている。「女性や幼い子供、かわいらしい小さな赤ちゃんまでが命を奪われたことは、あまりに恐ろしかった。彼らの死は人間に対する侮辱だ。アサド政権によるこのような憎むべき行為は受け入れられない」


もっとも、痛ましい写真や映像を見て外交政策を決めるなら、戦略の立案をCNNに、ツイッターに、丸投げするようなものだ。今回トランプは、アメリカの関心を引きたければ、カメラに向かって被害者だと主張すればいいという前例を作った。


世界の悲惨な歴史に比べたら、今回のシリアの写真はそこまでむごたらしくはない。アサドに道徳的な怒りが込み上げてきた人は、その余韻が残っているうちに、ネットで「ルワンダ虐殺」「スレブレニツァの大虐殺」「アウシュビッツ」を検索しよう――有害な検索結果のブロック機能をオフにしてから。


From Foreign Policy Magazine


[2017年5月2&9日号掲載]


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ポール・D・ミラー(クレメンツ国家安全保障センター副所長)


このニュースに関するつぶやき

  • シリアの問題は内戦であり、自国民同士が殺し合うという泥沼にある。敵味方の区別がつかない戦争のなかで化学兵器を使用されると歯止めが無くなるということ。それにアメリカがストップをかけただけ。
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