エコノミスト誌が未来のテクノロジーを楽観視する理由

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2017年05月10日 12:13  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<対象をテクノロジー(技術)に絞り込んで、2050年に起こるであろう変化を予測した『2050年の技術』。心躍るスリリングな予測を生み出した寄稿者たちの信念とは?>


2012年に『2050年の世界』という書籍が発行された。英『エコノミスト』誌が、人口動態、宗教、経済、文化などさまざまな側面から2050年に起こるであろう変化を予測したものである。そして、対象をテクノロジー(技術)に絞り込んだその姉妹編が、今回ご紹介する『2050年の技術――英『エコノミスト』誌は予測する』(英『エコノミスト』編集部著、土方奈美訳、文藝春秋)。


寄稿しているのは、『エコノミスト』誌のジャーナリストのみならず、科学者、起業家、研究者、SF作家らと多岐にわたっている。「2050年までの今後数十年にわたり、技術がどのように発展し、われわれにどのような影響をおよぼすのか」について、各人がそれぞれの視点に基づいて予測しているのである。


まず6つの章に分かれた第一部では、テクノロジーの未来の大前提に関わる問題、あるいは変化を促したり制約したりする要因を考察している。次いで第二部では、農業を筆頭とするさまざまな基幹産業に対してテクノロジーがもたらす変化に焦点が当てられる。そして、これから登場するテクノロジーが社会的、政策的に及ぼす影響について触れたのが第三部だ。


相応の基礎知識が必要とされる箇所も少なくないため、すべてを理解することは現実的に難しいかもしれない。事実、自慢できるほどテクノロジーに詳しいわけでは決してない私にとっても、そんなパートは少なくなかった。


しかし、読んでいるとそれでも、心が躍ってくるのがわかった。未来に向けられた視点と考え方が、とてもスリリングだからだ。感性を刺激するポイントが、数ページに1回程度の割合で現れるとでもいおうか。それらは、私たちが未来に向けて生きているという事実を立証するものであり、その先に「未来」があることも明らかにしてもいる。


広範なテーマのすべてについてここで解説するのは難しいが、ここでは個人的に最も引き込まれた第1章「日本のガラケーは未来を予測していた」に焦点を当ててみたい。


『エコノミスト』誌を代表するテクノロジー・ライターであるトム・スタンデージは、まずは歴史を振り返って過去のテクノロジーを検証したのち、「未来を予見するために目を向けるべきもの」として現在に焦点を当てている。その中心にあるのは、日本のガラケーと女子高生だ。


SF作家のウィリアム・ギブソンの有名な言葉に「未来はすでにここにある。均等に行きわたっていないだけだ」というものがある。テクノロジーの懐胎期間は驚くほど長い。突然登場するように見えて、実はそうではないのだ。 だから、正しい場所に目を向ければ、明日のテクノロジーを今日見ることができる。(中略)それは「エッジケース(限界的事例)」、すなわち広く普及する前に、特定の集団や国だけで広がりつつある事例を探すことにほかならない。わかりやすい例が二一世紀初頭の日本におけるガラケーだ。(25ページより)


 日本が他国に先駆けて未来に到達したのは、通信業界が孤立した独占的性質をもち、また国内市場に十分な規模があったためである。これによって、日本のハイテク企業は他国のシステムとの互換性など気にせずに、創意工夫することができたのだ。 それは、欧米の消費者が同じような機能の携帯端末を買えるようになる、数年前のことだ。『WIRED』誌にはしばらくの間、「日本の女子高生ウォッチ」なるコラムがあったほどである。今日、日本の女子高生(ガラケーを最も積極的に受け入れたユーザー層)のしていることが、明日には世界中に広がると踏んだのだ。(25ページより)


スタンデージは同じような視点に基づき、モバイルマネーの普及においてケニアが長らく世界をリードしている点にも注目している。このエピソードはしばしば話題になるが、そもそもその根底にあるのは、同国が銀行インフラの存在しない空白状態だったことにある。


しかし原因はどうあれ、ナイロビでは携帯電話でタクシー料金が支払えるのに、ニューヨークではそれができないという状況が何年も続いていたというのである。そうした歪みに、テクノロジーの本質があるということだ。


最終的に普及するテクノロジーは例外なく、一部の集団だけに使用がとどまっている潜伏期を経ることは否定できない。突然、どこからともなく湧いてくるわけではないのだ。限界的事例を見つけだし、これから台頭するテクノロジーや行動を見抜くのは科学というより職人芸だ。トレンドを当てるのは難しい。しかし、それこそあまたのコンサルタントや未来学者、そして常に記事の材料となる新しい発想やトレンドを探しているテクノロジー・ジャーナリストの仕事なのだ。(27ページより)


スタンデージはさらに、来るべきもののヒントを得るために目を向けるべき場所として、本やテレビ番組、映画などのSFに描かれた想像上の未来をも挙げている。


未来を描く物語は、ユビキタス(偏在的)なAIや寿命を延ばす若返り技術、太陽系の惑星の植民地化が実現したとき、あるいは人類の細分化が起こって「ポスト人類」というべき新たな種が登場したとき、世界はどうなるかというビジョンを示しているというのだ。それは、長期的に出現しうるさまざまな結果を俯瞰するのに便利な手段だとも。


多くのSF作品は一見未来を描いているようで実際には現在を描いており、コンピュータへの過度の依存、あるいは環境破壊といった、今日的なアイデアや懸念と向き合っている。幅広いSF作品に触れることで、より柔軟に未来の技術的あるいは社会的シナリオを描けるようになる。(29ページより)


ただしSFはテクノロジーの進歩に対する見方や議論を形づくり、はからずもそれを制約することもあるのだという。たとえばSF世界のロボットと現実世界のそれはまったく違うため、SF世界のロボットをまねようとすると、ロボット工学は誤った方向に進みかねないというのだ。


しかし、だからこそ20世紀半ばのSFの古典を読み、そこにどのような未来の読み違いがあり、それはなぜなのかを考えることに意味があるというのである。


さて、スタンデージはこうした考え方に基づき、2050年の技術を予測している。


・仮想現実(VR)は、パソコンではなくスマートフォンが中核的デバイスとなる。ヘッドセットを持ち歩くことが当たり前のものとなるが、子どもへの悪影響など倫理的議論も巻き起こることに。


・自動運転タクシーの登場で、都市の車両数は90%減少する。その結果、途上国では車の「保有」よりも「共有」が一般的に。


・民間の宇宙テクノロジーが進歩し、ロケットの打ち上げ費用が劇的に下がる。21世紀中に宇宙旅行産業が当たり前のサービスになる可能性も。


・遺伝子編集技術が進歩し、遺伝子から遺伝子操作へと実践のステージが変化。結果として「デザイナー・ベビー」の誕生や、遺伝子の自己操作をどこまで容認するべきかなどの議論が起こる。


すべて現時点で台頭しつつあるものなので、実際にどうなるか断定できないことはスタンデージも認めている。しかしそうはいっても、かなりの高確率で実現しそうなことばかりではある。


【参考記事】AIはどこまで進んだか?──AI関連10の有望技術と市場成熟度予測


このように、本書ではそれぞれの分野についてかなり具体的な予想がなされている。そして見るべき点は、それぞれの論調が決して悲観的ではないことにある。


たとえば食糧問題を扱った第7章「食卓に並ぶ人造ステーキ」において『エコノミスト』科学技術担当エディターのジェフリー・カーは、「世界人口は約100億人に達するが、食糧危機は起こらない」と断言している。細胞培養を通じ、多くの食品が工場で製造されるようになるから、というのがその理由だ。


なお、こうした楽観論については、訳者があとがき部分で解説しているので、その部分を引用しておこう。


 この姿勢は『2050年の世界』から引き継がれたものでもある。同書の冒頭で(筆者注:編集長のダニエル・)フランクリンは「暗い見通しが好きな未来予測産業の大多数とは対照的に、前向きな進展の構図を描き出そうとした」と書いている。もちろん執筆陣はテクノロジー至上主義者ではなく、テクノロジーのもたらす危険性も重々承知している。フランク・ウィルチェック(筆者注:第5章「宇宙エレベーターを生み出す方程式」を執筆しているマサチューセッツ工科大学〔MIT〕物理学教授)は核戦争、生態系の崩壊、AI戦争を最も重大な「故障モード」と称し、警鐘を鳴らす。 それでも執筆陣が楽観的な姿勢を貫くのは、人間には未来を選択する力があるという信念からだ。(379ページより)


それは、最終章「テクノロジーは進化を止めない」において繰り返し語られている「テクノロジーに意思はない」という言葉にも現れていると訳者は分析する。「テクノロジーに意思がある」という考え方は、たしかに私たちを不安にするだろう。しかし、未来において不可避なものはひとつもないと本書は主張しているのである。


必要以上の不安感に邪魔されることなく、冒頭で触れたように心を躍らせながら読み進めることができるのも、きっとそうした考え方のおかげだ。


【参考記事】ドローンは「自動車のない世界に現れた電気自動車」なのか


『2050年の技術


 ――英『エコノミスト』誌は予測する』


 英『エコノミスト』編集部 著


 土方奈美 訳


 文藝春秋


[筆者]


印南敦史


1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダヴィンチ」「THE 21」などにも寄稿。新刊『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)をはじめ、『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)など著作多数。


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印南敦史(作家、書評家)


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