共産党が怖がる儒教の復権

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2017年06月13日 10:23  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<孔子の教えを重んじる私立学校の存在を共産党指導部がひどく警戒するこれだけの理由>


中国で今、孔子が再びブームになっている。


学術会議でもテレビのクイズ番組でも、孔子の思想が取り上げられている。政治指導者や有名人が、こぞって孔子の言葉を引用し、さまざまな自称「儒学者」たちが儒教の意味を議論している。


だが中国共産党にしてみれば、儒教の流行はあまり歓迎すべきものではないようだ。中国政府は国外で展開する中国語学校を「孔子学院」と称し、習近平(シー・チンピン)国家主席は公式なイベントで孔子をたたえてもいる。だからといって、全ての国民に儒教を支持させたいわけではないというのが本音だ。


中国の教育省が2月に発した通達は、儒教の流行の一因となっている私立学校を牽制するものだった。これらの学校は、古典的な哲学の書物や慣習を重視した教育を行っている。


共産党機関紙・人民日報系のタブロイド紙である環球時報は、この通達の背景を次のように報じている。


「子供の教育について保護者たちは伝統的な手法に目を向けつつあるが、各地方の教育当局には、『四書』(儒教の重要な書物)を教育に取り入れている私立学校には注意を払うようにとの指示が出ている」


同紙によれば、国内にあるそうした私立学校の数は約3000校。そのほかに、公立学校の教育方針が合わないため自宅学習を選んだ子供が約1万8000人いる。だが中国にいる膨大な小中学生の数に照らせば、ほんの少数だ。なぜ教育省は、非主流の教育をそれほど懸念しているのだろうか。


パリを拠点に研究を行う社会学者のセバスチャン・ビリユとジョエル・トラバールは、共著『賢人と国民──中国における儒教の復活』の中で、その理由を以下のように指摘した。「四書教育がいま注目されているのは、中国の教育制度に及ぼす影響力というより、新世代の儒教活動家を生む可能性があるという点に関連している」


【参考記事】受験格差が中国を分断する


実は権力批判の基盤に


私立学校の運営の細かな点には、国の権限が及ばない。ところがこれらの学校は、権威主義的な専制国家を批判する基礎になり得る道徳規範の下に、新しい世代の教育を行っている。


孟子はかつて言った。「民を貴しと為し、社稷(しゃしょく)はこれに次ぎ、君を軽しと為す」


すなわち人民が栄えることも、伝統儀式が尊重されることもないのなら、君主などいなくてもいいという意味だ。明朝の皇帝はこの思想を脅威と見て、孟子の書から削除しようした。


古くから儒教は、国家を支持するために使われたが、同時に国家に反抗する道具にもなってきた。


漢王朝の武帝(在位・紀元前141年〜前87年)は、儒教の教育を受けた者を好んで要職に登用した。正式に儒教を取り入れた官僚登用試験が行われたのは650年頃で、明朝時代(1368〜1644年)にさらに厳密に制度化された。以降、国家権力の近くに身を置くことができるのは、儒教の古典を学んだ者に限られた。


しかし、儒教が権威に対してむやみに追従を示したことは一度もない。歴史のさまざまな時点において、高潔な官僚たちは儒教の原則を引用し、理不尽な君主を批判してきた。その1人である明朝時代の官僚、海瑞の物語は、毛沢東の権威主義に対する批判と見なされて毛沢東に利用され、文化大革命につながることになった。


それから現在にかけて、中国からは道徳が失われていったと多くの中国国民は考えている。私立の儒教学校の存在は、多くの国民が文化面で不安を抱えていることの証しだ。経済の急成長は、都市化や物質主義化、性的解放や個人主義化という急激な変化を社会にもたらした。


この混沌とした状況の中で、毛沢東時代に既に崩壊していた道徳的方向性が失われたという実感が広がっている。何が善で何が悪か、国民が共通の感覚を抱けなくなっていると指摘する知識人たちもいる。中国は「道徳の危機」とも言うべき状況にあるのだ。


不確実な時代に直面し、多くの国民が宗教に目を向けた。この流れの中で、儒教を道徳的指針の源と考える人たちが出てきた。儒教は厳密には宗教ではないが、機能としては宗教的な役割を果たしている。


そんな中、一部の市民が私立学校を開設した。伝統的な儒教の書物や慣習に基づくカリキュラムを用いて、小中学生に道徳を基礎とする教育を提供。公立学校をやめる決心がつかない子供たちのために放課後や週末の授業を提供する学校もある。


だがこうして増えた私立学校の存在は、義務教育の全国的な基準と衝突する。


【参考記事】「愛国」という重荷を背負った中国国産旅客機


党の言う道徳とは別もの


中国では、全ての子供は中学校教育を修了することが求められている。教育当局は学年ごとに、全国共通のカリキュラムを設定している。全国の中学3年生は同じ試験を受け、それによって高校や大学に進学できるかどうかが決まる。厳格である上に競争の激しいシステムだ。


そのため、道徳的に意義ある教育を求める保護者たちは、困難な選択に直面する。わが子を私立の儒教学校に入学させれば(入学させるのにも義務教育法の履行を任されている地方自治体の承認が必要だ)、子供の進学に不利になる可能性がある。『論語』や『孟子』の暗唱に時間を費やせば、国立の高校や大学への進学に向けた準備に費やす時間を削ることになる。


共産党は道徳的な指導力を独自に示そうとしている。しかしその道徳とは、共産党自身が定義し、コントロールする道徳だ。この図式の中で儒教は、いかに高潔に生きて不当な指導者を批判するか、あるいはいかに優れた統治を行うかという指針を示すよりも、中国の偉大さをたたえる国粋主義的な主張の背景としての役割を果たしている。


しかも共産党の現指導層には、古代中国の君主たちよりも、さらに儒教を恐れる理由がある。


習は自分を教養ある紳士として見せたがり、演説に古典の引用をちりばめる。その一方で彼は、共産党の支配の及ばないような概念的・哲学的な流れを拒絶している。


習は儒教やその他の伝統的文化の復活を進んで容認し、奨励さえしている。だがそれは、共産党の覇権を脅かさない場合に限った話だ。共産党指導部にしてみれば、私立の儒教学校の台頭のような比較的小さな社会の動きでさえ、初期の段階で抑えておく必要がある。


そうしなければ孔子の言葉が、習とその仲間たちを脅かすことになるかもしれないからだ。孔子はこう言った。


「もし君主の言葉が間違っていて、誰も反対する者がいないのであれば、それはまさに、わずか一言で国家が滅亡するという事態に近いと言えるだろう」


From Foreign Policy Magazine



[2017.6.13号掲載]


サム・クレーン


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