そうした背景もあってか、メディア業界では「良質なコンテンツの在り方」を巡る議論が活発化しているが、本特集では業界外の知見を取り入れながら、このテーマについてさらに考察を深めたい。
これから3回にわたり、先端の研究をベースにして「良質なコンテンツとはなにか」を探っていく。第一回は、良質かどうかを決める「評価」について考えていこう。
なお本連載では、Web記事を対象として、ジャンルを問わず「企画趣旨に応じて読者にプラスの感情を与えるもの」を「良い記事」と定義させていただく。
読者の「脳」はなにを求めている?
これまで、Webメディアでは、PV(ページビュー)が重要な指標となっていた。しかし、PVだけでは記事の質は測れず、新しい評価基準を探る機運が高まっている。PVだけが評価の基準なら、煽った見出しや事実に反する情報によって読者の興味を惹こうとする人が現れる恐れがあるからだ。事実、現実はそれに近づいている。アメリカ大統領選で、フェイクニュースが問題になったことは記憶に新しい。
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『ビジネスに活かす脳科学』(日本経済新聞出版社)などの著書がある、NTTデータ経営研究所の情報未来研究センター長・萩原一平氏は、「マーケットは人の集合体であり、人を満足させるということは、『人の脳を満足させる』ことに等しいと考えられます。となると、よい記事を作るためには、『記事の供給側が需要側の脳を知り、どのように満足させるか』が重要になってくるでしょう」と指摘する。
萩原氏によると、脳は大きく、呼吸や心拍など生きていくための基本的な機能を自律的に司る爬虫類脳(脳幹、間脳、別名:反射脳)、快・不快などの情動や記憶、学習などに深く関係する旧哺乳類脳(大脳辺縁系、別名:情動脳)、そして人間らしさを決めているともいわれる理性的な意思決定などに関係する新哺乳類脳(大脳皮質、別名:理性脳)という3層にわかれている。
快・不快を司る情動脳は、「習慣化」とも関係している。たとえば、快に感じることや好きなことを無意識に継続したり、繰り返し同じ行動を取ったり、といったように。実際には、脳は3つの層それぞれが複雑につながり、連携し、「習慣化」を実現している。
したがって、当然であるが、脳はWebメディアの選択、つまり「ブランド」の認識にも深く関わってくる。特定のメディアのブランドを好むようになった読者は、情動(一般的に外部環境の変化に対する恐怖・驚き・怒り・悲しみ・喜びなどの無意識かつ自動的に起こる身体的反応を指す。情動を意識的に感じた状態が感情となる)を中心とした脳の働きによって無意識にそのメディアを選択しているのだ。
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レッドブルの場合は、“活動的になる”というブランドイメージが評価され、それが情動行動にまで影響を及ぼした。翻って、読者は自社のメディアのどういった部分を評価しているのか。その的を外しては、需要側の脳を満足させることはできない。読者の脳は、自社のメディアになにを求めているのかについて、じっくり考える必要がある。
「悪い」の反対は「良い」ではない?
製品のユーザビリティについて研究している首都大学東京の笠松慶子教授は、人間の欲求に関する五段階説の概念を用いて、「評価」についてこう説明する。この概念図は、アメリカの人間工学研究者Hancock らにより、マズローの欲求五段階説にならって、人間工学の分野の概念として提案されたものだ。Peter A.Hancock ,Aaron A.Pepe, Lauren L Murphy, Hedonomics “The Power of Positive and Pleasurable Ergonomics, Ergonomics in Design”, No l, Vol 13,2005(本書P11に掲載の図を参考に作成)
「欲求ピラミッドの最も下層に来るのがSafety(安全)で、記事に信頼性があるか、人を傷つける内容ではないか。その上の階層にFunctionality(機能)で、いろいろな媒体で読めるか、ディバイスや言語が対応しているか、その上がUsability(使いやすさ)で、ストレスなく読める内容やデザインになっているかが問われます。この3つは読者の個人差なく求められるので、読まれるWebメディアを作りたいなら、最低限備えておかなければならない要素です」(笠松教授)
これらの部分は“不快を回避する”という人の根源的な欲求に関わってくるため、ここで「悪い」と評価されてしまうと、どんなに面白い内容でも読者を満足させることはできない。しかし、ここで問題になってくるのは、「悪い」の反対は必ずしも「良い」ではないということである。
「ユーザビリティの研究において、『悪い』の反対を『良い』ではなく、『なにも感じない』と定義する場合もあります。なにも考えなくても、ストレスなく使えるのが理想であって、その場合、ユーザーは『すごい! なにも感じない!』とは反応しないですよね。理想は『無反応』なのですから。脳の反応だけでいうと、『悪い』という評価のほうが、興奮を引き出すことができてしまいます。しかし、それではいわゆる炎上マーケティングと同じことになってしまうので、筋の良いやり方ではありません」(笠松教授)
この欲求のピラミッドにはさらに上層があり、3層の上にはPleasurable Experience(ワクワク楽しい経験を与えられるか)とIndividuation(個人に合わせた体験を与えられるか)がある。下の3層は、個人差なく求められる欲求であるのに対して、上の2層には独自性が求められる。また、下層の欲求を満たさないと、高次の欲求を満たせない。より根源的な欲求である3層の条件をクリアしつつ、さらに上の2層をいかに満たせるかが課題になるだろう。
当てにならない人間の「評価」
さらに、人の「評価」に関する、こんな研究成果もある。
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そのほか、十代の若者にMRIで脳波を測りながら、インディーズ音楽を聴いてもらった結果、事後のアンケートと3年後の売上枚数との相関関係はなかったが、脳の側坐核(そくざかく/報酬系の領域)における反応とは相関が見られた、といった実験もあるという。
「これらの実験からわかることは、事後的な評価が意外とあてにならないということ。さらに、言語による評価も、同じくあまりあてにならないということです。ウェアラブル端末がもっと普及すれば、脳波や心拍数、視線といった生体反応や周囲の環境を測ることで、無意識に行なわれる好き嫌いの意思決定の理解につながり、Webメディアの評価基準に関わってくることになるでしょう」(萩原氏)
生体反応や周囲の環境が測定できれば、人が評価を下した時の状態を知ることができる。事後的な評価では測れない「正直な反応」をキャッチすることができるのだ。それによって、新しい「評価基準」が生まれる可能性があるというわけである。
今後、生体反応などの「見えない評価」をどのように検出し、どのようにWebメディアに生かしていくべきなのか。次回から、さらに具体的に探っていきたい。
●文・構成/宮崎智之
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