子ども服に親の趣味は反映すべきなのか

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2017年09月14日 10:33  MAMApicks

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娘を産んで初めてわかったこと。それは、子ども服をあれこれ着せるのがめっちゃめちゃ楽しいということだった。

産むまでは、「子ども服なんてすぐ小さくなるんだから、こだわったってしょうがない。1回しか着ないお宮参り用のセレモニー服なんて用意するのももったいない。そもそも男か女かわからないし、どっちでも着られそうなのだけ用意しておけばいいや」という冷めた考え方をしていた。

しかし、いざ産んでみて、服を着せてみると、もう、なんというか、感動しかなかったのである。

「ああ、この子は何を着せてもかわいいじゃないか! あれも、これも、それも着せて試してみたい……!」

あ〜あ、もうね! 親バカ発言丸出しですよ!
でも、仕方がない。だって、わが身と比べて、無限の可能性を感じるんだもの。


赤ちゃんというのは、大きさこそ多少の個人差はあるが、体型にそこまで差があるわけではないので、赤ちゃん用の服ならどんなデザインのものでも基本的に似合う。

肌色もくすんでいないから、母親である自分に比べれば、服の選択のチョイスがぐんと広がる。自分が体型や対外的なセルフイメージなどでいろいろとあきらめていた路線を、娘に試すことができるのである。

何せ、フリフリ、ヒラヒラの服を着せていても痛く見えない。ぬいぐるみみたいな格好をさせれば、動くぬいぐるみに変身してくれる。かといって大人顔負けのデザインの服を着させれば、赤ちゃん体型とのギャップでこれまた萌え死ぬことができるってわけだ。

そもそも、出産してしばらくはさほど母親自身に娯楽というのがないのである。私は出産前はあれこれ出かけていろんな街を歩き回るのが好きだったのだが、子連れのお出かけはなんだかんだしんどいので、行動範囲はどうしても狭くなってしまう。

私はこの強制的インドア生活におおいにフラストレーションがたまっていたのだが、それを紛らわせるのに都合の良い手段が、ネットショッピングだった。高いブランド服じゃなくてもいい。かわいい服がたくさんほしい!

そして、買った服を娘に着せるのがまた、ものすごい快感なのだ。「ああ、かわいい! この服も似合ってる!」と思うと脳内にパーッと快楽物質が分泌される。

娘が服を汚しても気にならない。洗濯する手間よりも、違った服に「衣装替え」する喜びのほうが勝るから。娘が駄々をこねて、地面に寝そべって死にかけのセミのように暴れていたって、かわいい服を着ていれば、それだけでイライラが3割くらい減るのである。
(もちろん、オムツ一丁でジタバタしていても、それはそれでかわいいが)

ああ、どうしよう。子ども服の世界に、底なし沼のようにズブズブとハマる魅力があるだなんて思わなかった…。

■子どもに自我が芽生えたとき、どうするか
しかし、子どもというのはいつしか成長し、自分の意思を持つようになるものだ。
幸いというかなんというか、私の娘の場合は、服については好き嫌いはあるものの、さほどこだわりは強くなく、出された服の9割はおとなしく着てくれる。

断固拒否する服もあるにはあるが、それは動きにくい服や通気性の悪い服、肌触りの悪い服で、もっぱら好き嫌いの基準は「着心地」だ。

しかし…。
街ゆく同世代の子どもが、アンパンマンのTシャツやバッグを身に着けていると、じーっと見つめているのである。

それを見ると、「ああーーーっ…」と複雑な気持ちになるのだ。
やっぱり、着たいんだよね。そうだよね、アンパンマン好きだもんね……!
それはわかるのだ。私だって子どもの頃は「ど根性ガエル」のあのTシャツ、すっごく着たかったから。Tシャツにカエルが住んでて、会話できるって夢みたいって思ってたから!

でも……でも……。
キャラクターものはちょっとね…。と思ってしまう自分がいるのだ。
誤解のないようにいっておくが、私はキャラクターものを子どもと一切接触させたくないわけではない。

そもそも、オムツ1枚、歯ブラシ1本に至るまでキャラクターものは蔓延しているので、生活から完全に排除するのは難しい。いや、むしろキャラクターが入っているから、喜んで歯磨きしたり、オムツをはいたりしてくれる。キャラクターの力は偉大なのである。

もし、キャラクターを鉄の意志で排除できたとしても、子どもが成長すれば、子ども自身が友だちと話題を共有できなくなり、社交に支障をきたすだろう。小さいころに親しんだキャラクターは、大人になっても懐かしく思い出されるものだ。だから、キャラクターは決して悪いものだとは思っていない。

ただ……それを服やファッション小物に採り入れられるかというと、ちょっと躊躇するのである。これはもう、理屈ではないのだ。完っ全に私自身の趣味の問題だ。親のエゴなのである。

しかし!
着る服というのはその人の尊厳にもかかわるものである。
親のエゴで自分の趣味でない服を押し付けられ続けたらどうなる?
同世代の友人から「だっさーい!」「オバサンくさっ」と言われているのに、いつまでも親が娘自身に服を選ばせなかったら、きっと娘は自己肯定感の低い人間になってしまうのではないか。だから、娘がアンパンマンの服をうらやましそうに見ている姿を見るたびに、私は「親のエゴを押し付けていいんだろうか」と葛藤する。

そして、キャラクターもののTシャツを着せている親御さんを見るといつも思う。「ああ、子どもの意思をちゃんと尊重してあげて、本当に偉いなあ……」と。

というわけで、私は当面の落としどころを考えた。
外へ来ていく服は親の趣味で選ぶが、パジャマや下着は、娘の趣味を尊重させようと。
パジャマに関しては、アンパンマンでもなんでもござれで、お風呂上りに何着か用意して、好きなものを組み合わせてもらうことにした。

よく緑のボーダーの上と、赤のストライプの下という、鼻血の出そうな組み合わせをチョイスすることもあるが、外の人に見られるわけではないので、まあいいやと思うことができる。

これで「自分で好きなものを選んだ」という気持ちが満たされれば、それでいいのではないか。

■子どものセンスに任せるって勇気がいる
そんな感じで運用してきたのだが、先日またもや親としての器を試されるシーンに出くわした。

3歳になった娘の七五三の前撮りをすることになり、撮影用の衣装をたくさんストックしてある写真スタジオで撮影を行ったときのことだ。着物は手持ちのものを持ちこむことにしたので、ドレスは娘の好きなものを選ばせてあげることにした。

なんせ、ドレスなんて七五三を逃したら、結婚式を挙げるまでなかなか堂々と着る機会がないのだ。本人にとっては一生の思い出になる。ここで親の好みのものを押し付けても仕方がないだろう。

というわけで、本人に選ばせてみたところ、娘がドヤ顔で「これにしゅる!」と選んだドレスは凄かった……。

よりによって、
・ピンク+ヒョウ柄のフリル
・ヒョウ柄のクマのぬいぐるみが縫いつけられている
・ヒョウ柄の猫耳の形をしたカチューシャ
・ヒョウ柄のチョーカー
という、一番ど派手なドレスをチョイスしたのだ。

思わず「ギャー!」と叫びたくなり、頭をかきむしりたくなった。

……が!
本人に選ばせると決めたのだから、親が口出しちゃダメなのだ。
幸い、その場にいた義母も「子どもの選んだものは尊重しなきゃね」と言ってくれたので、私も覚悟が決まり、そのドレスでカメラの前に送りだすことにした。

「子どもの意思は尊重してあげたい」と常々思っていた。そしてその言葉を発するのは簡単である。しかし、実際にそうさせるのはなんと勇気のいることよ。

そして、これからはずっと、もっと大きな決断を見守っていかなければいけないのだろう。些細なことかもしれないけれど、服選びから親と子の価値観の衝突は始まっているのである。

今井 明子
編集者&ライター、気象予報士。京都大学農学部卒。得意分野は、気象(地球科学)、生物、医療、教育、母親を取り巻く社会問題。気象予報士の資格を生かし、母親向けお天気教室の講師や地域向け防災講師も務める。

このニュースに関するつぶやき

  • うちは男2人だから子ども服を選ぶ基準は安くて着替えさせやすくてシンプルなもの!だし、ある程度大きくなってもアレ着たいコレ着たい言わないんだろうなー。女の子のお母さんは大変そうだ。。
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