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「同性婚」をテーマに据え、2015年には第19回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞も受賞している田亀源五郎『弟の夫』(双葉社)。先日、この話題作がNHK BSプレミアムでドラマ化されることが発表された(2018年3月4日より放送開始)。主演は佐藤隆太、そして、主要キャラクターのひとりであるマイク役には元大関の把瑠都が選ばれるという冒険したキャスティングには驚きの声がネット上に溢れた。
『弟の夫』は、男手一つで小学生の娘・夏菜を育てる主人公・弥一のもとに、ある日突然体格の良い謎のカナダ人男性が訪れるところから始まる。このカナダ人・マイクは、カナダに移住し、現地で亡くなった弥一の双子の弟・涼二の結婚相手であるという(カナダでは同性同士の結婚が法的に認められている)。
子どもの頃の弥一と涼二は仲の良い兄弟だったが、高校生のときに涼二からゲイであることをカミングアウトされて以降、微妙にギクシャクするようになっていた。カナダに移り住んでからの近況報告もほとんどされておらず、突然来訪したマイクの存在に弥一は困惑する。
とはいえ、慣れない日本までやって来た弟の結婚相手を追い出すわけにもいかず、弥一、夏菜、マイクによる束の間の共同生活が始まるのだが、マイクの優しい人柄に触れた弥一の心の壁はだんだんと崩れていく。その結果、カミングアウトが行われて以降の自分は無意識のうちに涼二を疎んじていたこと、また、その素振りが涼二の心を傷つけていたことに気づいていく。
そして、弥一は「家族のかたち」とはどのようなものか考えをめぐらせていくようになるのである......。
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この『弟の夫』という作品で重要な点は、同性愛や同性婚というある種センセーショナルに捉えられがちなテーマを描きつつも、登場人物たちの日常はとても穏やかであり、マイクに対して面と向かって嫌悪の言葉を叩きつけるような人物は登場しないことである。
しかし、だからといって街のなかでマイクの存在が無条件で受け入れられているわけではない。むしろ、差別や偏見は当事者からは見えないかたちで進行していく。
たとえば、夏菜の友だちの母親は、娘がマイクに会うために夏菜の家に遊びに行こうとするのを理由も言わずに止めようとする。担任の教師は夏菜がクラスでマイクの話をするのを問題視して弥一を学校まで呼びだしたうえ「そういう話はまだ小学生には早いかな...と...」と遠回しに警告する。いずれの人物も、マイクに直接罵倒の言葉を浴びせるわけではないが、しかし確実に差別や偏見をもっていることをうかがわせるものだった。
●『弟の夫』で描かれる、日本特有な差別・偏見のあり方
作者の田亀氏は『ゲイ・カルチャーの未来へ』(Pヴァイン)のなかで〈自分でも気づかないうちに無自覚に踏襲してしまっている差別やホモフォビアに対して、一度みんなで考えてみましょう、ということをやってみたかったんです〉と綴り、これは『弟の夫』で描きたかった題材であるとしている。
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田亀氏がそのように描いたのは、自身もゲイとしてこの国で生きてきたなかで、「無自覚な差別」こそが、日本的な差別のあり方であると感じているからだ。
〈日本社会というのはああいうものだと思っているからです。たとえばヘイターが実際にいたら、表立って闘えばいいから対処は簡単なんですよ。それより難しいのは、無自覚な偏見に囚われている層なんです。そういう人たちというのは、差別が良くないということはわかっているし、自分が差別的ではありたくないと思っている。つまり自分は差別していないという前提があるから、なおさら「それはじつは差別的なんだよ」という風に指摘されると、ものすごく抵抗するんですよ。それはもう意固地になるくらいに。私は自分の生活で、そうした例を実際によく見ています〉(前掲『ゲイ・カルチャーの未来へ』より)
また、『弟の夫』という作品が素晴らしいのは、物語の主題は確かに同性愛や同性婚をめぐる問題であるものの、作品としての結論は「家族のあり方とは?」という、LGBTの当事者以外にも共通する非常に普遍的なものになっているという点だ。
実際、それは制作当初から念頭に置かれていたものであったようで、前掲『ゲイ・カルチャーの未来へ』では〈これはどういう話なのだろう、と制作のはじめの段階で編集さんと話し合ったときから、これは家族の物語だろうということはわかっていました〉と綴られている。
そういった「家族の物語」であることの象徴は、弥一と夏菜の父子家庭をめぐるエピソードだろう。
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弥一がシングルファーザーとして夏菜を育てているのは先に述べた通りだが、物語の途中から夏菜の母である夏樹(ドラマでは中村ゆりが演じる)が登場する。弥一と夏樹は離婚し、現在では仕事の手が空いているときに夏樹が弥一と夏菜の家を訪れる生活になっている。
そんなある日、両親とマイクの4人で夕食を囲んだ夏菜は、とても嬉しそうにしながら「パパもママもマイクもいて今日は最高!」「ずーっとこうならいいのに!」とつぶやく。その言葉を聞いて夏樹は「やっぱりあの歳だとまだ...母親が必要なのかな」と思い悩むのだが、そこで弥一はこのように決意を語るのである。
「『お母さんがいないからかわいそう』『片親だけでかわいそう』『親がいないからかわいそう』、そんな考え方には、俺は絶対与したくない。淋しがらせることもあるかもしれないけど、それでも俺は夏菜を幸せにしてみせる。『これが正しい家族の形だ。それ以外はかわいそうだ』、そんなのって差別的だよ」(引用者の判断で漫画のコマに括弧と句読点のみ付け加えた)
●安倍政権や日本会議が押し進める「不寛容」な社会
「『これが正しい家族の形だ。それ以外はかわいそうだ』、そんなのって差別的だよ」という言葉、これは『弟の夫』において重要なセリフである。
父と母と子どもで構成される家庭がある一方で、涼二とマイクのように男二人で築く家庭があってもいいし、弥一と夏菜のような父子家庭があってもいい。どういう家庭が正しいというのはないし、どういう家庭が間違っているということもない。
しかし、現在の日本社会は、そのような「多様性の許容」とは180度真逆の方向性に向かって急速に舵が切られている。
たとえば、近年、保守的な家族規範が押しつけられる風潮がどんどん強まっている。「教育勅語は、親孝行などいいことも言っている」と政治家が平気で公言したり、10歳の子どもに親への感謝を強要する1/2成人式が流行したり、子どもが事件や事故に巻き込まれるたびに母親がバッシングされたり......。
その象徴的な存在ともいえるのが、日本会議の意向を強く反映した自民党の改憲草案にある「家族は互いに助け合わなければならない」という、いわゆる家族条項だろう。一見もっともらしいことを言っているようにも見えるこの条項は、その蓋を開けてみれば、家父長制の復活を目論むかのような旧来的な家族像や性役割を押しつけるものであり、個人の価値観や多様性など一顧だにせずマイノリティを排斥しようとするものでもある。また、それは、国家が担うべき社会保障がすべて家族内の自己責任に押しつけられるということも意味する。
●田亀源五郎「自分の価値観を他人のジャッジに委ねる必要はない」
田亀氏は前掲『ゲイ・カルチャーの未来へ』のなかでこのように綴っている。これは、先に述べてきたような「不寛容」が広まる社会において重要な提言だろう。
〈この社会は何かにつけて「これが正しい」「これが美しい」と、画一化された価値観を押しつけてくる。それに負けてしまう人も少なくないだろう。しかし、自分の価値観を他人のジャッジに委ねる必要はない。
あなたの生き方を選ぶのはあなたでいい〉
「自分の価値観を他人のジャッジに委ねる必要はない」「あなたの生き方を選ぶのはあなたでいい」。そのような考えを自分のものにするためには、逆に、たとえそれが自分とは違う生き方であろうとも相手の生き方を尊重し、差別や偏見などをぶつけないことが必要となる。
『弟の夫』という作品は、まさに「あなたの生き方を尊重すること」の大切さを伝えるものであり、弥一がマイクとの交流を通じてそれを理解していく成長物語でもある。
『弟の夫』は、「多様性の許容」が失われつつある現在だからこそ生まれるべくして生まれた作品である。漫画・ドラマともども、多くの人に愛されるものになることを願う。
(編集部)
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