自分なりに目一杯の人生を生きるということ

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2018年02月01日 18:43  BOOK STAND

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『どん底名人』依田 紀基 KADOKAWA
囲碁で初の2度にわたる7冠独占を果たした井山裕太氏=本因坊文裕(もんゆう)=と、将棋で初めて永世7冠を達成した羽生善治氏に対する国民栄誉賞授与が決まったのは2017年12月のこと。

 囲碁と将棋は日本古来の戦略的なゲームです。どちらも江戸時代からプロが存在し、人々の生活に根付いた文化を形成してきました。囲碁や将棋の名人と言えば、頭脳明晰、清廉潔白、質実剛健という模範的な文化人の姿が思い浮かびます。

 ところが、囲碁名人として35のタイトルを持ちながら、波乱万丈、紆余曲折の多い人生を送ってきたのが、本書『どん底名人』の著者・依田紀基氏です。「私はこの本を遺言のつもりで執筆した」という言葉で始まる本書には、生い立ちから51歳の現在までの依田氏のこれまでの生きざまが赤裸々に描かれています。

 北海道岩見沢市で育った依田氏が囲碁を始めたのは9歳の時。クワガタ取りに付き合ってもらうことを交換条件に父と碁会所に行った依田少年は、すぐに碁の面白さの虜になります。約1年後にはプロ棋士を目指して上京。日本棋院院生になったと言いますから、天賦の才があったのでしょう。

 14歳の4月にプロ棋士となった依田氏は、18歳で名人戦リーグ入りを果たし、有望な新人として期待されるようになります。順風満帆な人生が待っているかと思われましたが、早熟な少年を待っていたのは数々の誘惑でした。ギャンブルを覚え、深酒をして、何人もの女性と同時に付き合い、次第に碁の勉強をしなくなって、対局で勝てなくなっていきます。

 一度は先輩の言葉で覚醒し、再び碁の勉強に意欲的に取り組んで、23歳の時には一流の証明と言われる名人戦本因坊戦両リーグ入りを果たしますが、再びバカラにはまり、「28歳の時にはにっちもさっちもいかなくなっていた。とにかく何もない。碁の成績もボロボロ。女性もいなくなった。お金もなくなった。あるのは借金の山だけだった」(本書より)という状況に陥ります。

 そんな苦しい時期に読んだ一冊の本に依田氏は衝撃を受けます。「私はそれまでは『碁は技術』と考えていたが、(中略)碁は心の持ちようが大事だった。このことに気が付いて、全てがボロボロの状態であったけれども、凄く幸せな気持ちになった。」(本書より)

 1996年に30歳で碁聖となり、1998年に結婚。2001年から2010年までの間に3人の息子に恵まれます。当時、年収は5000万円以上。時には1億円近くもあり、依田氏の小遣いだけで年間3000万円を使っていたとか。しかし、そんな時期は長くは続きませんでした。2004年に名人を失い、2012年には本因坊戦からも陥落して、経済的にひっ迫してしまいます。2014年、ついに妻や3人の息子たちと別れて暮らすことになり、依田氏は自らの愚かな浪費癖を後悔することになります。

 全てを失った現在、彼の一番の望みは「息子たちに会うこと」。一人暮らしの寂しさを噛みしめながらも、「過ぎた過去はいくら悔やんでも戻ることはできない。(中略)今私が持っているものに目を向けて、感謝と喜びの気持ちで毎日を生きて行きたいと思う」と心境を綴っています。

 そして「私の人生で乗り越えられなかった苦境などなかった。」と自らの激動の半生を振り返る依田氏。どん底から這い上がり、目一杯の人生を生きたいという決意で本書は締めくくられています。

 2017年6月、依田氏は日本棋院所属棋士として12人目となる通算1100勝を達成しました。これから再び彼の快進撃が始まるのでしょうか。囲碁を知らない人でも、その破天荒な不屈の魂が発する「生きて行くこと」についての強烈なメッセージに心打たれ、自分自身の人生についてふと立ち止まって考えてしまう一冊です。


『どん底名人』
著者:依田 紀基
出版社:KADOKAWA
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  • まだ、52歳。66歳で、王座のタイトルを取った藤沢秀行名誉棋聖の様に、もう、ひと華咲かせて欲しいですね。
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