香港民主化を率いる若きリーダーの終わりなき闘い

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2018年03月10日 15:32  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<ノーベル平和賞候補に推薦された「雨傘革命」のリーダー、ジョシュア・ウォンは、今も自由を守る闘いの先頭に立ち続ける>


僕がノーベル賞候補に?


インターネットでニュースを見ていた黄之鋒(ジョシュア・ウォン)はわが目を疑った。もっともニュースに取り上げられるのは慣れっこだ。何しろ彼は2014年に香港で起きた民主化運動「雨傘革命」の発起人の1人。当時はまだ17歳だった。


共和党のマルコ・ルビオ上院議員ら超党派の米議員団が2月初め、21歳になった黄と彼の同志をノーベル平和賞の候補に推薦した。長年イギリスの統治下で自由と繁栄を享受し、今は中国の特別行政区となった香港。その香港の自由を守ろうとした黄らの非暴力の運動を、今こそ再評価すべきだというのだ。


1997年にイギリスが中国に香港を返還したとき、中国は本土と異なる政治・経済制度を今後50年間維持し、高度な自治を認めると約束した。いわゆる「1国2制度」である。


このとき普通選挙の実施も約束されたが、20年たった今も香港の有権者は形ばかりの民主主義の下に置かれ、中国共産党のお墨付きを得た候補者の中から投票先を選ぶしかない。


「1国2制度というより、1国1.5制度だ」と、黄は言う。「その0.5もどんどん縮小し、完全に中国の支配下に置かれようとしている」


14年秋、何万もの人々が民主的な選挙の実施を求めて香港中心部の主要な道路に居座った。参加者の多くが警察の催涙スプレーを避けるために雨傘を持ったことから、この運動は雨傘革命と呼ばれるようになった。79日間続いた占拠は、同年12月11日、香港警察の暴力的な弾圧で幕を閉じた。


その後も黄は、「徐々に強まる中国共産党の締め付け」から香港の伝統的な自由を守るために闘い続けている。現在は民主派政党デモシストの書記長として、2047年以降の香港の自治の在り方を決める住民投票の実施を呼び掛けている。47年は、返還時の中英共同宣言と香港基本法で約束された50年間の「1国2制度」が期限を迎える年だ。


「デモシストは暴力ではなく、抵抗によって民主化を勝ち取ろうと市民に呼び掛けている。僕らは独立を求めているわけではなく、香港の生活スタイルと政治制度を自分たちで決めたいだけだ」。黄は本誌にそう語った。


中国側は推薦に猛反発


雨傘革命後、黄ら指導者は逮捕され、1審で執行猶予付きの判決を言い渡された。だが当局側が控訴し、2審では6〜8カ月の実刑判決が下された。1審よりもはるかに厳しい量刑に批判の声が広がるなか、香港終審法院(最高裁)は2月6日、2審判決を破棄。保釈中だった黄らは晴れて自由の身になった。


終審法院が判断を示したのは、米議員団が黄らをノーベル平和賞候補に推薦したというニュースが流れた数日後だ。候補になったことで「香港の民主化運動が今も続いていることを世界の人々に知ってもらえる」と、黄は語る。「占拠から4年後の今も僕らは諦めていない」


14年の雨傘革命を率いた香港の若者たちの民主化への闘いは今も続いている Lam Yik Fei-Bloomberg/GETTY IMAGES


もしも今秋、ノーベル平和賞に選ばれたら、黄は14年に17歳で受賞したパキスタンのマララ・ユスフザイに次いで2番目に若い受賞者となる。


中国でただ1人この賞を受賞した人権活動家の劉暁波(リウ・シアオポー)は、国家政権転覆扇動の罪で服役。その後肝臓癌が悪化し、昨年7月に当局の監視下で入院中に死去した。


劉と比較されるなんておこがましいと、黄は言う。劉が耐え抜いた苦難に比べれば、自分に対する弾圧など「痛くもかゆくもない」というのだ。


世界的に有名になった今も、黄はメディアにもてはやされるのを嫌い、政治に関係ないプライベートな事柄を聞かれるといら立ちを隠さない。ネットフリックスのドキュメンタリー『ジョシュア 大国に逆らった少年』では、親友が彼のことを民主化運動用にプログラミングされた「ロボット」と呼ぶ場面が登場する。


中国政府は、米議員団が黄らをノーベル平和賞候補に推薦したことに猛反発。明らかに政治的な動きであり、内政に対する干渉だと決め付けた。中国共産党機関紙人民日報系のタブロイド紙「環球時報」掲載の論説は、黄らの推薦を「お笑い草」と切り捨て、「ノルウェーのノーベル賞委員会が米議員団の指令に無分別に従うとしたら恥ずべきことだ」と断じた。


判決破棄は「最終警告」


しかし現実主義者の黄は、受けられる支援は喜んで受ける。16年には渡米してナンシー・ペロシ民主党下院院内総務と共和党のルビオおよびトム・コットン両上院議員と会談した。


当時、ルビオとコットンは香港の自由を抑圧する中国本土の高官を処罰する香港人権・民主法案を提出するために黄を利用した。会談はアメリカが香港への政治的投資の対象を多様化し、陳方安生(アンソン・チャン)元政務官らベテラン政治家以外にもネットワークを広げていることを見せつけた。一方、政治的な動きが下火になっていた黄にとっては、注目度を上げるのに役立った。


最近の欧米諸国での政治的混乱は香港の民主化を追求する妨げになっているかと尋ねると、黄は笑った。「少なくともアメリカの人々は選挙で次の大統領を選ぶことができる。香港では自由選挙で指導者を選べるまでの道のりはまだまだ遠い。直接比較するのは難しい」


2月6日の終審法院の判断については手放しで喜んではいない。むしろ、市民的自由と香港の司法の独立にどう影響するかが気になるという。


終審法院は黄と羅冠聡(ネイサン・ロー、24)および周永康(アレックス・チョウ、27)の「非合法集会」罪をめぐる2審判決を破棄したが、この判断はいわば当局からの最終警告に等しかった。馬道立(ジェフリー・マー)首席法官は「無秩序や暴力の要素は抑止すべき」であり、今後の抗議や不服従にはより重い「実刑を科す」とクギを刺した。


「現状を楽観してはいない」と、黄は言う。「終審法院の判断は抗議デモ参加者に対し、厳格な基準の適用を示した。今回の終審法院の判断を『一見甘い』と表現したのは、これで今後自由選挙を求めて闘うことが今まで以上に困難になったからだ」


黄は14年の雨傘革命の際に裁判所からの撤収命令に逆らった罪でも禁錮3カ月の判決を受け、やはり上訴している。


香港は面積こそ小さいが、中国の金融システムと外国との重要な架け橋として、中国への投資促進に極めて重要な役割を果たしている。中国企業は香港証券取引所に進出しており、16年には香港のIPO(新規株式公開)の約90%を中国本土の企業が占めた。


だが中国は直接投資のかなりの部分を香港に頼る一方、香港の歴史的な自由(およびそれが本土にとって前例となること)をよく思ってはいない。


今年1月、香港選挙管理委員会は3月に行われる香港立法会(議会)の補欠選挙にデモシストの常務委員である周庭(アグネス・チョウ)が出馬することを認めなかった。デモシストが主張する「民主自決」が香港基本法(憲法に相当)に抵触するというのが、当局の言い分だ。


「政治的なレッドラインにぶつかったが、われわれは引き下がらない。政府は私たちが選挙に出馬するのを禁じているようだが、私たちは民主主義のため闘う力を失ってはいない」と、黄は強気だ。


黄は敬虔なキリスト教徒の家庭で育った。政治的な活動に引かれたのは、多感な年頃に貧しい家庭を訪れ、祈るだけでは彼らを救うのに必要な変化は起こせないと気付いたのがきっかけだった。11年に14歳で学生運動グループ「学民思潮(スカラリズム)」を結成。


その1年後には10万人を超える政治集会を組織して、批判派が北京寄りの「洗脳」だと酷評する愛国教育に抗議した。結局、香港政府は愛国教育の導入を事実上撤回せざるを得なくなった。


現在はデモシストの活動に専念するため大学を休学し、選挙戦の準備に励んでいる。共に雨傘革命を率いた羅は昨年立法会選挙で当選したが、就任宣誓で抗議演説を行って失格となった。香港市民に仕えるという宣誓文の前に前置きをし、宣誓では「中華人民共和国」の「共和国」の部分に疑問を投げ掛けるかのように発音した。


「3月11日に補欠選がある。(デモシストは)ベテランの幹部活動家を1人出馬させるつもりだ。羅の分の議席を取り戻したい」と、黄は意気込む。


すぐに何かを変えられるとは思っていない。「10年後も同じ戦場にいるはずだ」と、黄は言う。「ただ香港といえばブルース・リーやジャッキー・チェンや飲茶というイメージじゃなく、人々が民主化を求めて闘っている国だと思われるようになればいいと思う」


<本誌2018年3月13日号掲載>


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クリスティーナ・チャオ


このニュースに関するつぶやき

  • 「雨傘革命」とて、米国仕込の「カラー革命」の一環。米国の機関からの裏金疑惑・抗議行動における暴力行為も見られた位だし、平和賞を与えるなら、日本の九条の会・総がかり行動・市民連合にこそ!
    • イイネ!8
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