AIデータ検索が見つける難病治療薬

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2018年03月14日 17:12  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<AIを駆使して新薬開発の時間とコストを大幅に削減することを目指す動きが始まった。新世代の製薬企業は私たちの暮らしを変えるのか>


バージ・ゲノミクスの共同創業者、アリス・チャンは、私たちが日々使っているネット検索と同じテクノロジーを使って、アルツハイマー病の治療薬を見つけられると期待している。


そうなれば、これまでの新薬開発のやり方が時代遅れになるだろう。製薬大手が送り出す新薬の大半は、ラボ実験と臨床試験に10〜15年の期間と、多ければ20億ドルもの資金を費やしている。バージは、こうした新薬開発のプロセスをデジタル化する道筋をつくりつつあるのかもしれない。


デジタル化がほかの分野でどのような影響を生んできたかは、誰もが知っている。そう、コストが大幅に下がり、供給が大幅に増えるのだ。昔の音楽愛好家は12ドル払ってレコードを買っていたが、今は音楽配信サービスを利用してほぼ無料で音楽を聴ける。同じようなことが医薬品の世界にも起きるのかもしれない。


チャンは、博士課程を中退した28歳の女性経営者。人工知能(AI)を活用して、まだ治療法が確立されていない神経系の病気の治療を実現させたいと意気込んでいる。


新薬開発のペースの遅さにいら立ちを募らせ始めたのは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の博士課程で神経科学を研究していたときのこと。チャンいわく、製薬研究者はたいてい、1度に1種類の遺伝子を調べて、アルツハイマー病やパーキンソン病などの病気の発症を止めるカギを見つけようとする。しかし、この種の病気は一般的に、さまざまな遺伝子の複雑なネットワークの中での相互作用を通じて発症する。


チャンは博士論文の研究で、そのようなネットワークを見つけるためのソフトウエアを開発した。その際にヒントを得たのが、グーグル検索の土台を成すアルゴリズムだった。


遺伝子検査の普及が開いた扉


まず、けがをした後に神経の再生を助けるネットワークを明らかにすることを目指した。すると、脚の骨を砕かれたマウスが脚の機能を取り戻すのを助ける物質が見つかった。その物質を与えられたマウスは、自然な回復のプロセスより4倍速く回復したのだ。


「ほかの研究者たちが何千種類もの物質を試しても、成果は上がらなかった」と、チャンは言う。それに対し、彼女のソフトウエアは直ちに有効な物質を発見できた。


そうしているうちに、ひと握りの専門家しか読まない博士論文を書いても、自分が望むような影響力は生み出せないと思うようになった。チャンの父親は70年代の中国で民主化運動に加わり、80年代にアメリカに逃れた人物。彼女も活動家的な精神の持ち主だ。自分の研究を商業化すべきだと考えた。「博士課程修了まで3カ月というときに中退したので、両親にずいぶん怒られた」と振り返る。


生物医学分野のエンジニア、ジェーソン・チェンと共同でバージを設立。シリコンバレーの有力ベンチャーキャピタル、Yコンビネーターの支援を受け、15年には別の投資会社から総額400万ドルの資金も調達した。


バージは神経科学者やコンピューター科学者を雇って、最先端のAIを開発させ、神経系の病気に関わる遺伝子の相互作用を解明しようとしている。それを突き止めた後は、ソフトウエアを使って、関連する遺伝子全てに作用する物質を探す。この方法なら、従来のラボ実験を1件設計するのに要する時間で、何百種類もの候補物質を調べることができる。


AIの活用でカギを握るのは、大量のデータだ。その点、遺伝子検査が安価で手軽になり、データがふんだんに手に入る時代になった。バージは大量の遺伝子データをAIに与えるために、コロンビア大学など4つの大学のほか、米国立衛生研究所(NIH)、スクリップス研究所、ドイツのドレスデン工科大学と提携も結んだ。


ALS(筋萎縮性側索硬化症)の治療薬の臨床試験を5年以内に開始できるだろうと、チャンは言う。「1つの病気の治療薬が見つかれば、その方法論をほかの病気に広げていける」。バージのような企業がAIに基づく新薬開発に磨きをかけていけば、アルツハイマー病などの神経系の病気の治療薬が早期に発見されるかもしれない。


製薬大手も無視できない潮流


それを目指している企業は、バージだけではない。カナダのトロント大学の研究者たちは、スタンフォード大学、IBM、製薬大手メルクなどと組んでアトムワイズという会社を立ち上げた。


同社は機械学習を活用して、新薬候補の物質が体内の標的分子とどのように作用し合い、結び付くのかを解明しようとしている。それにより、ラボ実験を行わずに、有望な物質を見いだそうというのだ。これが実現すれば、新薬開発は大幅に加速する。また、IBMの研究チームは、AIを用いて薬品の副作用やほかの効能を明らかにする方法も開発しようとしている。


IDゲノミクスという会社は、どの微生物にどの抗生物質が有効かを機械学習で明らかにすることを目指す。狙いは、患者がより少ない薬でより早く回復できるようにすることだ。


チャンは、ソフトウエアと高性能コンピューターを駆使した新世代の製薬企業が台頭すると予測する。金融大手モルガン・スタンレーの最近のリポートによると、新薬開発のデジタル化が実現すれば、承認される新薬1件当たりの費用を平均3億3000万ドル削減できるという。


製薬大手もこの潮流に加わらざるを得ないと、リポートの執筆者の1人であるリッキー・ゴールドワッサーは指摘する。デジタル時代への移行に乗り遅れた企業にどのような運命が待っているかは、ほかの分野を見れば明らかだ。百貨店大手シアーズは、オンラインショッピングの普及に対応できず、売り上げの激減に見舞われて深刻な苦境に立たされている。


デジタル化により薬品の価格が下がれば、私たちが被る恩恵は大きい。しかし、それだけではない。もしAIがアルツハイマー病のような病気の治療法を突き止められれば、その恩恵はもっと大きい。


ネット検索のテクノロジーが進化して、グーグルが「家のカギはどこに置いたんだっけ?」という問いに答えてくれるようになるのも、悪くはない。しかし、物忘れの原因になるアルツハイマー病を治療できるようになるほうが、はるかに素晴らしい未来と言えるだろう。


<本誌2018年2月20日号:特集「AI新局面」から転載>


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ケビン・メイニー(本誌テクノロジー・コラム二スト)


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