【今週はこれを読め! エンタメ編】ごたつく日常と元同級生の日記〜安壇美緒『天龍院亜希子の日記』

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2018年05月02日 12:52  BOOK STAND

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『天龍院亜希子の日記』安壇 美緒 集英社
文学賞といえば、なんといっても注目が集まるのは芥川賞・直木賞ではあるが、ここ何年かの小説すばる新人賞の充実度はそれら文学界のツートップを上回ってたりしないかとひそかに思っている。直近の受賞作が本書、『天龍院亜希子の日記』だ。

 「天龍院亜希子」とは、田町の小学校時代のクラスメイトの名前である。名前の破壊力に比較して、「いま思い出しても、本格的に地味」「こないだあまりに気になって親に卒アルを送ってもらって確かめたところ、現在基準で地味」なタイプの女子だった。亜希子(と、田町は呼び始めた)は、なぜ過去の記憶や卒アルからの類推のみで語られているのか。それは田町が、いま現在の亜希子と顔を合わせたわけではないからだ。最近の世の中ってほんと便利ですよね、SNSなんてものがあって。そう、田町はひょんなきっかけから亜希子のブログを見つけてブックマークし、日々閲覧している。

 亜希子のブログについて、田町は「そもそもこれは誰にも読ませるつもりのない日記なんじゃないか」「狭くて暗い井戸。天龍院そのものといえば、天龍院そのものだ」と考える。要するに、「ほんとにおまえ、この現代に生きてるのかと思うくらい、亜希子の見ている世界は穏やかだった」としみじみ思うような安定感。かたや田町の生活はごたついている。「前の会社が嫌で嫌で転職」したのに、移った先も「すげえクソな」人材派遣の会社だった。職場の女子社員たちはギスギスしたタイプが多く、直属の上司はテキトー。出産して時短勤務中の同僚のしわ寄せもあって業務量も飽和状態なため、気持ちが荒んでも致し方ない労働環境に置かれている。フェードアウトも時間の問題と思っていた交際相手がいるのだが、父親が倒れたことがきっかけで彼女が静岡の実家に戻ってしまったことで、かえって別れるタイミングを失った。

 彼女がいるのにふらふらと腰が据わらなかったり、小器用で八方美人的傾向があったりする田町の態度を感心しないと思う人もいるだろう。しかし、私は嫌いになれなかった。田町は基本的に調子のいい人間だけれども、けっこう誠実なところがある。田町の同期であるふみかが、いみじくも彼を称した言葉が秀逸だ。「わかりやすい問題抱えてるみたいな人にはすごい優しいのに、そうじゃない人のことは何も目に入れない」と。他人の気持ちを鋭く読み取れる一方で、果てしなく鈍感にもなり得るというアンバランスさはしかし、田町の美点でもあると言ったら甘すぎるだろうか。例えば彼女である早夕里の父親に対する好意的な目線など、世の中には妻や恋人の父というものに対して否定的な男子も多い中、かなり好感が持てるのだが。

 田町が亜希子の他にもうひとり気になっているのが、元プロ野球選手の正岡禎司(通称:マサオカ)だ。マサオカは薬物問題を起こし、ワイドショーでもこの話題が連日報じられている。少し前現実に同じく薬物スキャンダルで日本を震撼させた元スター選手の名前が思い浮かぶが、私よりほぼ20歳年下の著者にとって某選手のごたごたは、まさに田町がマサオカを見る目と同じような感覚なのだろうか。たとえばふみかなどは野球にも詳しくないためマサオカに対して思い入れもほとんどないという設定であるが、男性キャラたちはプロ野球選手としての偉大さに敬意を払っているところがリアル。

 こういったところも含めてほんとうにお力のある作家がまたひとり出てこられたことに、読者としては諸手を挙げて歓迎の意を表したい。冒頭で小説すばる新人賞について触れたけれども、現在フィギュアスケート並みに新人作家の人材の層は厚くなっている気がする。中でも安壇美緒さんの巧みさにはちょっとびっくりした。賞賛すべき点は数々ありますが、テンポよく繰り出される切れ味のいい言い回しが特に気に入りました。「俺は女子力と対峙していた」とか「靴の底がすり減る。営業の靴はそれでいい」とか「俺たちは互いに無駄に気を遣いすぎていて、なのに本当の意味では互いを尊重していない」とか。しびれます。

(松井ゆかり)


『天龍院亜希子の日記』
著者:安壇 美緒
出版社:集英社
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