「どうなる」も「どうなりたい」も考えたことがなかった 町田康インタビュー(3)

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2018年05月05日 19:02  新刊JP

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『湖畔の愛』の著者・町田康さん
出版業界の最重要人物にフォーカスする「ベストセラーズインタビュー」。

第99回となる今回は、新刊『湖畔の愛』(新潮社刊)を刊行した町田康さんです。
『湖畔の愛』は、龍神が棲むという湖「九界湖」のほとりにある老舗ホテルを舞台に繰り広げられる、恋あり笑いあり涙ありのドラマを書いた短編集。アクの強すぎる登場人物たちと、どんなにシリアスな場面でもどこかとぼけた会話がクセになります。

今回はこの作品の成り立ちについて、そして町田さんのルーツといえるパンクロックと音楽について、たっぷりと語っていただきました。その最終回をお届けします。
(インタビュー・文/山田洋介、写真/金井元貴)

■「どうなる」とか「どうなりたい」とかは考えたこともなかった

――最近では、音楽や演劇など他分野の方が小説を発表して話題になることが珍しくなくなってきていますが、町田さんはその先駆けの一人です。ミュージシャンとしてデビューして、その後俳優としても活動されていましたが、小説を書いてみようと思ったのはなぜだったのでしょうか。

町田:もともと文章で何かを表現するのが好きだったんです。音と文章ということでいうと、音は好きだし歌うのも好きなんですけど、やれることの多さという意味で文章の方に可能性を感じていたというのがあります。

音楽というのはある種の制約で、何か文章的なアイデアを思いついても「メロディに乗らない」とか「リズムに乗らない」ということがありえます。あるいは、凝った表現をしても視覚情報がないから伝わりにくいこともある。

そういう制約が全然ないところで文章だけを自由に書いていいというのは魅力的でした。実際やってみたらすごく楽しかったので、それから10年くらいは文章に専念しました。

――歌詞という表現方法に制約を感じていた。

町田:制約といえば制約ですが、歌詞というのはそういうものですからね。だから制約があるから不自由だとか嫌だとか思っていたわけではないです。

――バンドマンから俳優、そして小説家と、これまで様々な活動をされてきた町田さんですが、若い頃「こうなりたい」とか「こんなことをやりたい」といったビジョンを持っていましたか?

町田:ビジョンと呼べるものはなかったですね……。その都度おもしろそうなことをやって、全部出たとこ勝負でした。「どうなる」とか「どうなりたい」とかは考えたこともなかったですし、それは今もそうです。



――初めて小説『くっすん大黒』を発表してから20年以上小説家として第一線で活躍されています。小説を書き始めた当時と今とでご自身に変化はありますか?

町田:単純に一つのことを20年やっていれば、多少は色々なことがわかってくるというのはあります。だいぶ思っていることに近いことができるようになってきましたし。

――昔は思ったことをうまく表現できないことが多かったんですか?

町田:当時は文章を書いて何か表現するというのではなく、書くこと自体が目的でしたからね。

実は今もそういうところがまだありまして、書いている時の自分の精神状態に意味があるのであって、書いたものがおもしろいかどうかは次の段階の話だと思っています。ただ、経験を積んだことで、「書いている時の精神状態」と、読んでくれた人の反応も含めた「書いたものがおもしろいかどうか」の関係性が見えてきたというのはありますね。

書き始めた頃は、その関係がわからないまま「おもしろいと思うんだけど、果たしてこのまま書き進めてもいいんだろうか」とか「小説を書けと言われて書いたが、果たしてこれは小説になっているんだろうか」と考えることがよくありました。

――町田さんが人生で影響を受けた本がありましたら、3冊ほどご紹介いただきたいです。

町田:筒井康隆「脱走と追跡のサンバ」、勢いと脈絡のなさに魅力を感じて何度も読みました。大江健三郎「日常生活の冒険」文章そのものの硬質な雰囲気とにもかかわらず溢れる情緒。狂おしい人間の感情に魅了されました。木津川計「大阪の笑い」東京で暮らし始めたときに読み、自分の根底にある大阪の笑いについて学びました。その他にも多くの本から影響を受けています。

――最後になりますが、町田さんの本の読者の方々にメッセージをお願いいたします。

町田:今回の本は、人間の本音に迫りました。頭では思っていても普通は口には出さないよということをあえて書いた、建前を外した世界を楽しんでもらえたらうれしいです。
(インタビュー・文/山田洋介、撮影/金井元貴)

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