仏メーデー行進で大暴れした新左翼集団「ブラック・ブロック」とは何者か

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2018年05月08日 17:31  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<パリのメーデーのデモ行進をぶち壊しにした黒づくめの集団は、破壊衝動をかかえた学生やサラリーマンや女性のバラバラの集まりで、欧米に拡大中の現象だ>


今年のパリのメーデー行進は、暴徒のために台無しにされてしまった。デモコースの4分の1も歩けなかった。


あの日、出発地点のバスチーユ広場ではとくに集会や演説はなく、デモ隊が組織ごとに大通りを歩き始めた。まもなくセーヌ川の橋を渡り始めたとき、隊列が突然、止まった。


全身黒づくめの一団が、「Black Bloc(黒い塊)」と書いた横断幕を持ってデモ隊を待ち受けていたのだ。それから一緒になってゆっくり橋を渡りきると、バラバラに散って角のマクドナルドのガラスを破り、火炎瓶を投げつけた。近くにあった小型工事車も炎に包まれた。新聞キオスクのガラスもメチャメチャに砕け散った。


「フランスのパリで5月1日、労働者によるメーデーのデモに参加していた若者らが暴徒化し、商店や車に放火する騒ぎに発展した」(AFP=時事)という報道があったが、実情は異なる。


たしかに、ニュース映像を見てもまるでデモの先頭に立っているように見えるが、デモ隊とはまったく別だ。参加者が暴徒化したのではなく、暴徒が加わったのである。


彼らはまさに忽然と現れた。バスチーユ広場と周辺道路には、黒づくめの塊はなかったのだ。


デモコースに通じる道はいずれも通行止めにされ、警官もいるのだが、そこは普通の格好で通り抜けたのだろう。そして人目につかないところで着替え、前日までに隠してあった火炎瓶やハンマーを取り、セーヌ川の橋の上に陣取ってデモ隊に紛れ込んだのだ。


いったい彼らは何者か。


黒づくめが仲間の合図


「Black Bloc(黒い塊)」の名前のとおり、全員目出し帽やバンダナの覆面で顔を隠し、つま先まで真っ黒な服装をしている。だがよくみれば、Tシャツの者もいればジャージや防水ジャケットを着ている者もいる。バラバラの服装が物語るように、統制は取れていない。


フランスの軍警察学校の報告書の表現を借りれば、「彼らは数人で集まったグループの集合体であって、メンバーはデモのたびに違う。ヒエラルキーもなく、指導者もいない」


つまり、はじめから組織団体があって、この服装で集まれ、といわれるのではなく、この服装の者たちが集まることで集団が形成されるのである。


その目的はあくまでも破壊をすることだ。はじめから催涙ガスよけのスキーのゴーグルや水泳用のメガネをかけ、指紋を残さぬように手袋をしている。


ただし彼らによれば「決して手当たり次第壊しているわけではない」。あくまでも反資本主義運動の左翼を自負している。


たしかにメーデーに襲撃されたのも、マクドナルドとルノーとBMWのディーラーだった。マクドナルドとディーラーの間はピッザリアやカフェ、中華レストランなど10軒ぐらい並んでいるのだが、とくに被害はなかった。


現代資本主義の象徴としてマクドナルドを襲撃する運動はフランスでは前からある。しかし、その活動家たちは顔を出し、まとまった政治運動として主張をしていた。だが、ブラック・ブロックはあくまでも匿名でバラバラだ。


黒はアナーキストの色だが、べつに志を持って無政府革命をしようというのではない。ひと暴れし、終われば着替えて日常生活に戻る。ある意味、欲求不満の発散である。


政治活動もするが、闇に隠れて次の襲撃を準備するのではなく、何食わぬ顔をして、普通のエコロジーやフェミニズム、学生運動などをおこなう。


銃や爆弾は持たない


前出の報告書によれば、ブラック・ブロックの起源は1980年代に西ベルリンで市当局が空き建物を不法占拠して住んでいた若者たちを排除したときに、黒服と黒い覆面で抵抗したこと、とされる。


東西冷戦が終わったあとの富裕層や金融資本によるグローバリゼーション、拝金・効率主義の支配、格差の拡大に対して、反グローバリゼーション、エコロジー、それから右翼の反移民に対抗する国際連帯意識が新しい左翼を形成した。


その中で、デモなどでは飽き足らない連中がそのスタイルを真似た。ブラック・ブロックは、昨年のハンブルグG20サミットはじめヨーロッパの各国、南北アメリカなど各地で出没しているが、共通した組織があるわけではない。


1960年代末に世界各地で起きた新左翼運動からはイタリアの「赤い旅団」や「ドイツ赤軍」、日本の「連合赤軍」などの武装テロ集団が生まれたが、「ブラック・ブロック」はそこまで過激ではない。彼らの武器はあくまでも火炎瓶などで銃や爆弾はもたない。


世界中でブラック・ブロックが増殖している背景には、デモや集会でいくら訴えても記事にならないが、暴れたというと記事になるという現実もある。


このような現象としてのブラック・ブロックがフランスに登場したのは、2014年2月の西部のナント市の空港建設反対運動である。そして2016年の労働法反対運動以降は、全国から集まった学生などで作る黒づくめ集団が必ず登場するようになった。ちなみに2016年のメーデーでは300人だったものが、今回は1200人になっている。


ネット社会の申し子?


かつてデモに紛れ込んで暴徒となるカッスール(壊し屋)といえば、郊外のスラム化した団地から来る移民二世三世の失業者や学校の落ちこぼれの不満分子だった。だがいまやその姿はない。パリのメーデーでは5月2日夜現在102人のブラック・ブロックが留置されたが、学生やサラリーマンも多く、3分の1は女性だった。


スラムの若者は、デモの最後に店を略奪し、最後は機動隊に追われて蜘蛛の子を散らすように逃げ、路地でつかまるのが相場だった。ところがブラック・ブロックはデモの途中で暴れ、機動隊が迫るとデモ隊の中に紛れ込む。そのため機動隊もおいそれと手を出せない。まるでゲームのテクニックのようだ。


そういえば、見ず知らずの者がその場限りで集まる彼らは、まるでスマホゲームで知り合った仲間がオフ会しているようだ。左翼過激派というよりもネット社会の鬼っ子ではないのだろうか。




広岡裕児(在仏ジャーナリスト)


このニュースに関するつぶやき

  • こいつらが将来、地球教徒になるのかな? ブラック・フラッグ・フォースなら知ってるけど。
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