ムスリム不在のおもてなし、日本の「ハラールビジネス」

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2018年05月16日 17:41  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<16億人のイスラム教徒を呼び込めと日本の官民挙げてブームとなったハラール認証ビジネス――その過熱化は当事者のムスリムたちを苦しめかねない>


最近、「ハラールビジネス」が話題になっている。ハラールとは「合法な」「許された」という意味のアラビア語。ハラールビジネスとは、イスラム教徒にとって宗教的に「許された」商品やサービスを扱うビジネスのことだ。


まず企業は商品やサービスについて、ハラールかどうかの認証を行う団体や機関に審査を依頼する。こうした認証団体や機関は、原材料や製造・流通過程、広告やサービスの内容など詳細な書類審査と実地検査を行う。


そこで全ての点においてハラールと認められれば証明書が発行され、認証マークの使用が認められる。企業がハラール認証を受けるには結構な時間と費用がかかる上、せっかく取得した認証も1、2年ごとに更新が必要となる。


世界に16億人いるといわれるイスラム教徒の市場開拓を求めて、「ハラール食品」「ハラール化粧品」「ハラール医薬品」など、さまざまな分野のビジネスが注目されている。海外に展開する日本企業もその例外ではない。


またイスラム圏からの観光客誘致や、20年の東京オリンピック開催に伴う訪問者の増加に備えて、ハラール認証を取り入れ、日本的「おもてなし」を提供しよう、その上商機を得ようという声が官民を挙げて大きくなっている。


さらには、ハラールビジネスのマニュアル本や攻略本が次々と出版され、その成功例や失敗例が新聞や雑誌をにぎわせるなど、まさにハラールブームといっていい状況だ。


ただ、日本企業が必死に取り入れようとしているハラール認証の歴史が実はごく浅いことや、専門家の間でハラールビジネスに否定的な意見が少なくないことはあまり知られていない。


ハラールという考え方自体は、7世紀にイスラム教が始まった当初からあったと言われる。イスラム教の聖典コーランには、豚肉や酒などの飲食を禁じたり制限したりする教えがある。その他、服装や振る舞い、物の使用についての教えも含め、「何がハラールなのか」という点は常に議論されてきた。


イスラム教徒同士でさえその答えは、社会や文化、あるいは個人によっても異なる場合があった。そうした理解や実践の違いは決して忌み嫌われるものではなく、長らく許容されてきた。


ハラールについて一定の基準を設けようとする動きが始まったのは、イスラム教成立から1300年以上たった1970年代のこと。国際化で人や物の移動が盛んになったこと、科学技術の発達で食品の原材料が見えにくく、複雑になったこと、教育やメディアの普及で細かな宗教知識を持つ人が増えたことなどが基準を求める動きにつながったようだ。


認証発祥の舞台となったのは東南アジアだ。イスラム教徒が圧倒的多数を占める中東では、市場に出回る商品は基本的にハラールと考えられてきたため、認証するという発想はなかった。


一方、イスラム教徒が多く暮らしながらも、異なる宗教や文化が混在する東南アジアでは、流通する商品とハラールが一致するとは考えられてこなかった。そこで生まれたのがハラール認証とそれに基づくビジネスだった。


東南アジア生まれの新ビジネス


その先頭に立ったのがマレーシアだ。1970年代、取引表示法の一部として「『ハラール』という表現の使用」に関する省令が出されたのを皮切りに、食品のハラール基準が検討されるようになった。2000年代には基準の整備がさらに進んだ。基準はガイドラインや手引といった形で詳細に段階づけられ、それに基づく認証審査や認証マークの発行も盛んに行われるようになった。またこの頃から食品だけでなく化粧品や衛生用品、医薬品の認証制度の整備と審査も始まった。


類似した動きは、インドネシアやシンガポールといった他の東南アジア諸国にも広がり、ついには中東の湾岸諸国に流入していった。イスラム教徒が少ない欧米や日本でも、企業がこれら東南アジアのハラール先進国の認証基準を取り入れたり、独自の基準を作って認証したりするという形で、ハラールビジネスが始まった。


日本の場合、独自に認証を行う団体や他国での認証取得のサポートを担う団体が次々と設立されたのは2010年代のこと。現在、よく知られているものだけでも、宗教法人やNPO法人、一般社団法人、株式会社など9団体がある。


2013年以降、日本の農林水産省や経済産業省、地方自治体などがハラールビジネスに関する検討委員会を設置したり、その普及を目指したプロジェクトを始めたりしている。まさに国を挙げてハラールブームが広がりつつある。


推進派にとって、ハラールビジネスはイスラム教徒の安心と、産業活性化を同時にかなえる「夢のビジネス」として映っているようだ。ただしハラールに関わるイスラム教のさまざまなルールを、日本企業が深く理解し適用するのは容易ではない。そこであまり深く考えずに、認証マーク取得をビジネスの1つのステップと捉えて外注すればいい、という声も聞かれる。


興味深いのは、イスラム教のルールに一定の見識を持つ日本の専門家の間で、ハラールビジネスに対する否定的な意見が聞かれることだ。その中には「ハラールビジネスはイスラムの教義と相いれないからやめるべきだ」という全面否定もあれば、「認証が必要との声も無視できないが、今の在り方には問題がある」と唱える人もいる。


若者が陥るハラール潔癖症


例えば日本人ムスリムの中には、イスラムの教義の観点からハラールビジネスに反対する人々がいる。第一に「イスラムとは神と人間の一対一の契約であり、両者の間には誰も介在し得ない」という点だ。イスラムとはアラビア語で「神に身を委ねること」、ムスリムとは「神に身を委ねる人」の意味。神の意思に従って生きていけば、現世と来世で報償があるという、神と人との個人的な契約関係がイスラム教の主軸にある。


その点で、誰かが「こうすれば神からご褒美が得られる」と請け合うのはおかしい、というのが全面否定派の主張だ。さらに、「何が許されている(ハラール)のか」「何が禁じられている(ハラーム)のか」という区分は、神のみが決められることで、人間がそれを「認証」しようとするのは神の大権の侵害だという意見や、神の言葉を利用して商売することはコーランで禁じられているという意見もある。


こうした全面否定論とは別に、イスラム研究者など専門家の間で批判されてきたのが、現状の認証基準が「偏狭」という点。「許されたもの」の範囲が狭過ぎるということだ。


例えばイスラム教徒が豚肉を食べない根拠は、コーランの「神があなた方に食べることを禁じたのは、死肉、血、豚肉、神以外の名の下に屠(ほふ)られたものだけ」という聖句だ。ところが現状の認証基準では、「豚肉を食べること」だけでなく、「豚由来の成分の摂取」や「豚由来成分を含む商品と接触した商品」も徹底的に避けるべきとされている。


ここで言う「接触」とは直接的なものだけではない。マレーシアの基準では商品の製造や輸送、陳列の際に、豚成分を含む商品と同じトラックで運んだり、同じ店舗内に置いたりしないなど、空間が一切共有されていないことが認証条件の1つとなっている。


日本ではこうした認証基準を取り入れる形でビジネスが進んでいる。認証基準が厳しいほど、より多くの人が安心して利用できるという考えもあるだろう。その一方で、条件設定を厳しくすると結果的に、人々にとって安心できるものの範囲が必要以上に狭くなるという懸念もある。


人や物、情報の移動がグローバル化するなか、「必要以上に厳しい」認証基準は世界に広がり、近年、その厳格化にはますます拍車が掛かっている。科学技術の進歩とともに商品のDNAレベルまでが問題視されるようになり、ハラールの範囲がさらに狭くなっているからだ。そうしたブームを受けてイスラム教徒の中には、若者を中心に「ハラール潔癖症」と言っていいほど過敏になる人が増えている。


ハラールビジネスは既にグローバル化の流れの中にあり、今さら後戻りするのは難しいだろう。それでも今の認証制度を放置すれば、イスラム教徒同士、さらにはイスラム教徒とそれ以外の人々との間で分断が生まれ、生きづらさを感じる人も増えてしまう。


「おもてなし」の一環として始めたハラールビジネスが、教義的に疑問視されるものだったり、結果的にイスラム教徒自体を苦しめたりするとすれば、こんなに悲しいことはない。




後藤絵美(東京大学准教授)


このニュースに関するつぶやき

  • うちも豚肉抜きの注文とか結構来るんだよね。単に豚肉抜けばいいのか、酒・味の素・醤油(国産品は基本的にアルコール入り)まで抜くか悩む。
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