結婚式はハリー王子の「禊」 呪縛を解き放ったメーガンの「操縦術」がすごい!

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2018年05月21日 16:13  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<トラウマをかき消すように「黒歴史」を重ねたハリー王子。遂に現れた「運命の女性」の力は果たしてどんなもの?>


世界中がこの日を待ち望んでいた――


5月19日の結婚式直前に、ハリー王子はエリザベス女王から公爵を賜わり、夫妻は晴れてサセックス公とサセックス公爵夫人となった。輝かんばかりの新しいロイヤルカップルの門出に世界中が沸き立ったが、ハリーにとっての結婚は、呪縛から解き放たれ、新しい人生を歩むための「禊」でもあった。


ドレスは、英国人デザイナーのクレア・ワイト・ケラーによる「ジバンシィ」 Alexi Lubomirski


The congregation stands as the newly-married Duke and Duchess of Sussex process through St George's Chapel #RoyalWedding pic.twitter.com/gAD70k14U0— Kensington Palace (@KensingtonRoyal) 2018年5月19日


(ケンジントン宮殿の公式アカウントより)


「最後の会話は電話」突如終わりを告げた無邪気な少年時代


いたずら好きで、好奇心旺盛。次男特有の茶目っ気にあふれ、無邪気そのものだった赤毛の少年王子から笑顔が消えたのは、母ダイアナ元妃の突然の自動車事故死からだ。そのときハリーはまだ12歳だった。



昨年、ダイアナ元妃没後20年を迎えた際、ウィリアムとハリーはドキュメンタリー番組『Diana, Our Mother: Her Life and Legacy』の中で、かつてないほど饒舌にその当時の心境について語っている。



母との最後の会話は電話だった。当時、王子たちはスコットランドにある女王の私邸に滞在しており、1997年の運命の日、ダイアナ妃からの電話を兄弟そろって邪険にしてしまったという。ハリーは顔を曇らせながら証言する。



「パリからの電話でした。どんなことを実際に話したのかは覚えていないけれど、電話をとても短く済ませてしまったのを一生後悔することになってしまったっていう記憶だけは刻み込まれています」



「初めて泣いたのは葬儀の日です。その後は、一回くらいは泣いたかもしれません。だから、いまもつらい気持ちを吐き出し切れてはいません」



「まだ幼かったので、母がいないのは普通だと思うようにして成長したのです。母のことや悲しみ、心の傷を考えないようにする......。典型的なやり方なのでしょうね。嘆いても母は帰ってこないですし、考えたって、もっと辛くなるだけです」


【参考記事】ヘンリー王子が語った母の死と英王室(前編)


VE Day(ヨーロッパ戦勝記念日)の式典で(1995年5月7日) Dylan Martinez DM-Reuters


母の死を封印することによって、平静を保つことを選んだハリー。実際、母の葬儀で残酷なまでに公衆の面前に晒されたハリーは終始俯き、表情はこわばったままだった。それでもなんとか気丈に振る舞う姿に世界中が涙したものだった。


まだ幼い王子たちだけに、彼らの心の傷を誰もが心配したものだったが、幸いにして2人ともイートン・カレッジでの寮生活が始まっていた。学校の寮が囲いになって、加熱するマスコミ報道をシャットアウトできたのはせめてもの救いだろう。かくして王子たちの私生活は守られた。


10代でアルコール依存、喫煙、マリファナ騒動


深い悲しみを抱えたまま、成長する王子たちだったが、その後の兄弟の進路は異なっていく。


品行方正な兄ウィリアムは学業でも優秀な成績を修め、パブリックスクール卒業後は1年間のギャップイヤーを経て、2001年にセント・アンドリュース大学に進学。順風満帆そのものだった。


一方でハリーは、スポーツ万能でラグビーやポロのクラブで活躍するものの、14歳ですでにアルコール依存症。タバコや大麻にも手を出し、その私生活は荒んでいた。17歳の夏休みには厳しい寮生活からの開放感からか、マリファナ吸引騒動を起こしている。これには父チャールズ皇太子も激怒し、麻薬中毒患者のセミナーに参加させられたこともあった。次第にタブロイド紙の常連になり、「王室の反逆児」のレッテルを貼られるように。


学業面では勉強に手を抜き、学年でも最低ランクの成績。結果的に、大学進学はあきらめ(そもそも進学を望んでいたかは疑問だが)、サンドハースト王立陸軍士官学校に入学を果たし、軍人への道を歩むことになる。


「王子」ではなく「ただのハリーになれた」軍隊生活


軍人になったハリーにとって、軍隊は居心地のいい場所だったようだ。陸軍に所属していたハリーは、アフガニスタンにおけるタリバンとの戦闘で実戦を志願し、極秘の任務に当たった。危険を顧みることなく一兵士として職務を果たすハリーだったが、居場所が敵に知られたことから、安全上の理由により2007年には撤退を余儀なくされている。


昨年、「The Mail of Sunday」紙のインタビューで、ハリーはその時のフラストレーションをこう露にしている。


「とても怒りを覚えました。陸軍にいることは一番の逃避になったのですから。何かを成し遂げているという気持ちになれたのです」


「軍隊では、異なるバックグラウンドを持つ人と知り合い、深く理解することができたのです。また、チームの一員であると感じることもできました」


「陸軍での僕は、王子ではなくただのハリーになれたのです」


軍隊に生きる目的を見出したハリーだったが、王族の一員ゆえに、限界を知ることになる。怒りと痛みは増すばかりだった。


大好きな元彼女に振られ大ショック! 「ダーティ・ハリー」な黒歴史


私生活では、ジンバブエ出身の富豪の娘で、ジュエリー・デザイナーのチェルシー・デイビーと7年近く交際し、別離と復縁を繰り返していたが、マスコミの執拗な取材攻勢に嫌気がさしたチェルシーは、2011年にはハリーの元を去ってしまう。


彼女のことを真剣に愛していたというハリーは、心の隙間を埋めるかのように、パーティに明け暮れ、2012年にはラスベガスのホテルで複数の女性とストリップ騒動を起こしている。2005年には友人のパーティでナチスの軍服を着用したスキャンダルもあっただけに、英国民は「またか!」とあきれ返った。タブロイド紙に「ダーティー・ハリー」の異名をつけられたのもこの頃だ。


そんな弟を見かねてか、兄ウィリアムは、カウンセリングを受けることを提案。それによって、ハリーは母の死と初めて向き合ったという。28歳になっていた。


【参考記事】ハリー王子の全裸掲載は自粛すべきか


慈善活動、そして「運命の女性」メーガン・マークルとの出会い


その後のハリー王子は、かつてのダイアナ妃のように、慈善活動に熱心に力を注ぐようになった。地雷や不発弾の撤去活動、HIV感染に対する正しい知識の啓蒙活動、ウィリアム王子と立ち上げたチャリティ財団「ロイヤル・ファウンデーション」、そして傷病兵による国際スポーツイベント「インビクタス・ゲーム」など、さまざまな活動を支援することで、再び人生の意義を見出したかのように見える。


そんなハリーに一筋の光が差し込んだのは、2016年の夏だった。マークルとは、共通の友人が企画してくれたブラインドデートで出会い、その場で意気投合。瞬く間に交際に発展する。


Alexi Lubomirski


「美しい人が、僕の人生に転がり込んできたのです」


「彼女とは信じられないほど、すぐに恋に落ちました。ついに運命の人と巡り会えたのです。すべてが完璧だった」


「この美しい女性は僕の人生となり、僕は彼女の人生となった」


後の婚約会見のインタビューで、ハリーは出会いについてそう述懐している。



人道支援や慈善活動をライフワークとするマークルは、自分の考えをしっかりと持ち、母ダイアナ妃の面影が被る。なにより、王室の人間に対しても臆せず接するマークルと一緒にいると、素の自分になれる。魂の片割れがようやく見つかった。王子はそう確信したのだろう。実際、マークルは歴代の彼女と違って、脚光を浴びることには慣れているプロの女優である。王子にとって、まさに「完璧」だったのだ。


出会って4週間後の8月、王子はマークルを旅行に誘い、2人はアフリカ・ボツワナ共和国の星空の下、キャンプをして5日間を過ごした。


「彼女と2人だけの時間を過ごして、お互いに対する理解を深めたのです」


ボツワナ共和国は、母を亡くした悲しみを癒すために、父が息子たちを英国から脱出させて連れて行った思い出深い地である。「第二の故郷」と王子自ら公言している特別な場所で、マークルへの愛は不動のものとなった。


【参考記事】「肥だめ」よりひどい?メーガン・マークルに対する英右派の差別発言


新しい王室像を切り開くことを使命に


そして2017年の11月、ハリーはマークルにプロポーズする。初デートから婚約発表まで1年半。世間はスピード婚約ととらえても、ふたりに時間は関係なかった。婚約会見でマークルと手をつないでインタビューを受けるハリーの眼差しはあたたかく、いつになくリラックスしていたのが見て取れた。


母ダイアナ妃が亡くなってから20年が経過し、ようやくハリー王子は心の拠り所を見つけたのだ。マークルとの出会い以降、王子には落ち着きと風格が備わり、過去のトラウマにも堂々と向き合って発言している。1人の人間として成熟した33歳の今が、結婚するにふさわしいタイミングだったのだろう。


今後はメーガン妃と手を取り、開かれた新しい王室像を打ち立てることを目指すというハリー。事実、結婚式は英国の伝統に、アフリカ系アメリカ人というルーツを持つメーガン妃の背景に合わせた演出が盛り込まれ、異例尽くしのものになっていた。


王室に新しい風を吹き起こそうとするハリーの人生の第二章は、始まったばかりだ。


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