是枝裕和のカンヌ受賞作『万引き家族』は"貧困叩き"への違和感から生まれた! 安倍政権と国粋主義批判も語った監督の問題意識

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2018年05月21日 20:41  リテラ

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リテラ

『万引き家族」公式HPより

 第71回カンヌ国際映画祭で、是枝裕和監督の『万引き家族』が最高賞であるパルム・ドールを受賞した。



 日本人監督がパルムドールに輝いたのは、『地獄門』の衣笠貞之助監督、『影武者』の黒沢明監督、『楢山節考』『うなぎ』で2回受賞した今村昌平監督に続く4人めということで、マスコミはこぞって「快挙」と大きく取り上げた。



 ただ、今回、その一方でほとんどふれられていないのが、是枝監督がこの作品を撮った背景だ。



「数年前に、日本では亡くなった親の年金を受け取るために死亡届を出さない詐欺事件が社会的に大きな怒りを買った。はるかに深刻な犯罪も多いのに、人々はなぜこのような軽犯罪にそこまで怒ったのか、深く考えることになった」



 是枝監督は、カンヌ公式上映後に韓国紙・中央日報のインタビューに応じて、『万引き家族』を制作したきっかけについてこう明かしていた(5月17日付)。



 2010年、足立区で111歳とされていた男性が白骨化して発見され、実は30年以上前に死亡していたことが発覚。死亡届を出さずに年金をもらい続けていたとして、家族は後に詐欺で逮捕される。この足立区の事件を皮切りに全国で相次いで類似の事件が発覚し、"消えた高齢者"として社会問題化。年金詐欺として大きなバッシングを浴びた。



 このバッシングは、数年後に盛り上がった生活保護バッシングにも通じるものだが、是枝監督はこの事件をきっかけに、"社会から排斥される存在"として年金と万引きで生計をたてている一家の物語を着想したようだ。前掲インタビューで、是枝監督は、『万引き家族』の主人公一家が現在の日本で決して特殊な存在でないと強調している。



「日本は経済不況で階層間の両極化が進んだ。政府は貧困層を助ける代わりに失敗者として烙印を押し、貧困を個人の責任として処理している。映画の中の家族がその代表的な例だ」



●是枝監督が語った"家族の絆"ブームへの違和感、歴史修正主義への批判





 しかし、いまの日本社会ではこうした失敗者は存在しないものとして無視され、浅薄な"家族愛"ばかりがやたら喧伝されるようになった。是枝監督はこうした"家族礼賛"の空気に対しても違和感を表明している。



「日本では今も家族は『血縁』というイメージが固定化されている。特に、2011年大地震以降、このような家族の絆を大げさに強調する雰囲気について疑問を感じていた」(前出・中央日報)



 そういう意味では、『万引き家族』には、是枝監督がいま、日本社会にたいして感じている違和感、問題意識が凝縮されているとも言えるだろう。近年の新自由主義政策によってもたらされた格差の激化、共同体や家族の崩壊、機能しないセーフティネットによる貧困層の増大、疎外される貧困層や弱者、自己責任論による弱者バッシングの高まり......そういったものが、一人一人の人間に、家族になにをもたらしているのか。今回のカンヌ受賞作はその本質的な問いを私たちに突きつけるものだ。



 しかし残念なことに、メディアでは日本人によるカンヌ最高賞受賞という快挙を大々的に報じているが、こうした作品の背景にまで踏み込んだ報道はほとんど見られない。



 一方、日本人の世界的活躍にいつもはあれだけ「日本スゴイ」と大騒ぎするネトウヨたちは今回の『万引き家族』受賞に「こんな映画絶対に見ない」「万引きをテーマにするなんて世界に恥をさらす行為だ」などと、ディスりまくっている。



 両者は真逆のように見えて、根っこは同じだ。賞を獲ったというだけで「日本スゴイ」と賞賛、マイナス面を真正面から見据えるという行為については、無視するか、「恥さらし」「反日」と非難する。これは、現在の日本に蔓延る、偏狭な愛国主義や歴史修正主義にも通じるものだろう。



 実は是枝監督自身、先のインタビューでこうした日本に蔓延する国粋主義と歴史修正主義についても指摘している。



「共同体文化が崩壊して家族が崩壊している。多様性を受け入れるほど成熟しておらず、ますます地域主義に傾倒していって、残ったのは国粋主義だけだった。日本が歴史を認めない根っこがここにある。アジア近隣諸国に申し訳ない気持ちだ。日本もドイツのように謝らなければならない。だが、同じ政権がずっと執権することによって私たちは多くの希望を失っている」



●安倍政権のテレビに対する圧力にNOを突きつけた是枝監督



 まさに正論と言うほかはないが、是枝監督のこのインタビューは前述した『万引き家族』同様、ネトウヨから激しい攻撃を受けている。



 しかし、是枝監督はこれからも、日本社会の本質に目を向ける姿勢を曲げることはないだろう。実際、是枝監督は、安倍政権の圧力に対して、はっきりとNOの姿勢を示してきた。



 たとえば、是枝監督はBPOの委員をつとめているが、安倍政権のテレビへの圧力とも完全と闘ってきた。たとえば、2015年、『クローズアップ現代』(NHK)のやらせ問題と『報道ステーション』(テレビ朝日)での元経産官僚・古賀茂明氏の安倍首相批判を問題視した自民党の情報通信戦略調査会がNHKとテレビ朝日の幹部を事情聴取、両局に高市早苗総務大臣が「厳重注意」した際、BPOが〈今回の事態は、放送の自由とこれを支える自律に対する政権党による圧力そのものであるから、厳しく非難されるべきである〉と毅然とした意見書を出したが、この原動力になったのも、是枝監督だった。



 是枝監督はブログでも、〈安易な介入はむしろ公権力自身が放送法に違反していると考えられます〉〈BPOは政治家たちの駆け込み寺ではありません〉と批判。「週刊プレイボーイ」(集英社)2015年12月14日号での古賀茂明氏との対談でも「安倍政権は放送法4条だけを言い立てて、「公平にやれ」と、しきりにテレビ局を恫喝しますが、それって実は放送法を正しく理解していない証拠なんですよ」「公権力が4条の「公平」という部分だけを局所的に解釈して、介入を繰り返すというのであれば、それこそ放送法違反だといってもいい」と繰り返し強調していた。



●安倍政権による映画の政治利用も危惧していた是枝監督



 また、安倍政権は明治期の国づくりなどを題材とした映画やテレビ番組の制作を支援する方針を打ち出しているが、こうした安倍政権の映画の政治利用の姿勢に対してもはっきりと異議を唱えてきた。



「補助金もあるけれど、出してもらうと口も出すからね。映画のために何ができるか考える前に、映画が国に何をしてくれるのか、という発想なんだと思いますよ。それはむしろ映画文化を壊すことにしかならないんです。

 たとえば、東京オリンピック招致のキャッチコピーに『今この国にはオリンピックの力が必要だ』っていうのがありましたけど、私は五輪はスポーツの祭典の場であって、国威発揚の場ではないということがとても大切な価値観だと思っています。安倍首相は東京国際映画祭のオープニングでも挨拶したけれど、映画が日本のアピールのために利用されているようにも思える。なのでサポートして欲しい、ということも個人的には言いにくいわけです」(ウェブサイト「Forbes JAPAN」16年12月9日付)



「たとえばですが「国威発揚の映画だったら助成する」というようなことにでもなったら、映画の多様性は一気に失われてしまう。国は、基本的には後方支援とサイドからのサポートで、内容にはタッチしないというのが美しいですよね。短絡的な国益重視にされないように国との距離を上手に取りながら、映画という世界全体をどのように豊かにしていくか、もっと考えていかなければいけないなと思います」(「日経トレンディネット」16年9月1日付)



 そう考えると、是枝監督がカンヌを受賞したことは閉塞する日本の言論状況のなかで「大きな希望」といえるかもしれない。「表現の自由の侵害」や「国家権力による芸術やスポーツの利用」にこうした危機感をきちんともっている映画作家が国際的な評価を得たことで、その作品やメッセージに耳を傾ける人はこれまで以上に多くの人に届く可能性があるからだ。



 あとは、メディアがどう伝えるか、だ。願わくば、この『万引き家族』について、たんに「日本人がカンヌを獲った」というだけでなく、また特殊な人たちを扱ったセンセーショナルな題材と扱うのでもなく、是枝監督がこの映画をつくった背景や問題意識が広く伝わってくれたらと願う。

(編集部)


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