「バブル本」はなぜ売れる? 50代半ば“シラケ”世代にとっては「呪いの書」!?

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2018年06月01日 01:00  citrus

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『東京ウォーカーCLASSIC 1990’s』(KADOKAWA)なるタイトルのムック本が只今絶賛発売中……なんだそう。そのPRとしてネット上に配信されている「カップルは1年前からホテルを予約! 今と全然違う90年代の恋愛」という記事に「絶賛発売中!」と書いてあっただけなので、実際のところ、どのくらい売れているのかは定かじゃないが、こうやって次から次へとバブル本が刊行されまくっている昨今の現状から鑑みれば、それなりの数字を見込める手堅いコンテンツであることに間違いはないのだろう。

 

同記事は、かのバブル時代にもっとも輝きを放っていたモテ男の一人・元バレーボール選手の川合俊一(55)のインタビューで構成されており、

 

「クリスマスは女性とすごすためのホテルを1年前から予約し、高級レストランをおさえて、クルマで家まで迎えに行った」

 

「ディナーデートは“イタ飯”(=イタリアンレストラン)が定番で、フカヒレなど高級中華も人気だった」

 

「BMW程度のクルマだとありふれすぎていて『六本木カローラ』と呼ばれていた」

 

「ハイヒール姿のまま苗場のスキー場まで…なんて突然のデートプランも珍しくはなかった。道具はすべて現地で調達していた」

 

……みたいなことが訥々と綴られていた。いったい、どこのどいつがこんな浮世離れした遠い昔の武勇伝を聞かされて喜んでいるのか、正直私にはまったくイメージができない。バブル時代にその恩恵を十二分に被った世代のヒトたちが「あのころはよかったなぁ…」と、ノスタルジックに耽っているのか? それとも、すでにテレビや書物やネットからしか、その乱痴気騒ぎの模様を知るしか術のない、うんと若い世代のコたちが「あり得な〜い!」と、羨ましさも5%程度は交えながら物笑いのタネにでもしているのか? いずれにせよ、決して「生産的」とは言えない、虚しい情報の活用法ではないか。

 

前出の川合俊一のような特殊な立場にめぐまれた人種を除く私の同世代、つまり50代半ばころの「バブル“前夜”世代」の男性は、たとえば20代や30代前半の後輩たちから「バブルのときは派手に遊んだんでしょ?」と問われたとき、「え〜、そうでもないんだけど…」と、戸惑いながらお茶を濁すケースが、こと多かったりする。なぜなら、私ら世代の大半は本当に「たいしてオイシイ思いもしていない」からである。

 

当時は、まだ大学生起業家みたいな存在も稀で、誰もが終身雇用を当たり前のように期待し、少しでも大きな企業に“永久就職”することを目指していた。ゆえに、本格的なバブル時代に突入したころ(1980年代後半〜1990年代初頭)、私らはまだ入社3年程度のぺーぺーで、バブルを謳歌していた「ちょっと上世代の諸先輩方々」が金に飽かしてハメを外しまくっていたさまを「いいなぁ…」と横目で眺めていただけであった。

 

いわば、団塊とバブルの狭間に置かれた「2番バッター」のような存在で(時に「シラケ世代」とも呼ばれている)、そんな「影の薄さ」と「バブルに乗り損ねた軽いコンプレックス」を逆手に取りながら、バブル崩壊後をぬるっと生き抜いてきた我々にとって、「バブルオヤジ」は近親憎悪の対象以外の何者でもなく、この手のバブル本を目にするたび、少なくとも私は、彼らの「栄枯盛衰」の姿を望んでは「ざまあみろ」とつぶやくダークサイドが、つい顔を出してしまう。バブルを積極的に蔑むための呪いの書──コレもまた一つの正しい使用法……なのかもしれない(笑)?

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