トランプ氏は北に譲歩したのか?

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2018年06月04日 12:52  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

金正恩委員長の親書を受け取ったトランプ大統領は、北朝鮮が要求してきた段階的非核化を事実上認めた。これはアメリカの譲歩を意味するのだろうか。答えは「否」だ。むしろ北を追い詰めている。その理由を考察する。


トランプ大統領の方針転換


トランプ大統領は6月1日午後(日本時間2日未明)、金正恩委員長の書簡を持参した金英哲(キム・ヨンチョル)副委員長との会談後、主として以下のような意思表明をした。


1.米朝首脳会談は当初の予定通り、6月12日にシンガポールで行う。


2.これは「プロセス」の始まりだ。今後複数回会談があるだろう。(中国の中央テレビ局CCTVは「トランプはプロセスという言葉を7回使った、いや14回だ」など、「プロセス」に注目している。)


3.非核化は急がなくていい。(実際上、北朝鮮が主張してきた「段階的非核化」を容認する形となった。)


4.但し、非核化が実現しなければ経済制裁は解除しない。現状は維持する。しかし、「最大限の圧力」という言葉は、今後は使いたくない。(つまり、これ以上の制裁を課すことはない。)


5.対北朝鮮制裁を解除する日が来ることを楽しみにしている。


6.北朝鮮が非核化を受け入れた後の経済支援に関しては、日本や韓国あるいは中国などの周辺諸国が行えばよく、遠く離れたアメリカが多く支出することはない。


7.6月12日の米朝首脳会談で、朝鮮戦争の終戦協議はあり得る。


トランプは譲歩したのか?


これだけを見ると、あたかもトランプ大統領が北朝鮮に譲歩したように見える。あれだけ「完全で検証可能かつ不可逆的な非核化(CVID:Complete, Verifiable, Irreversible, Dismantlement)」を見届けなければ首脳会談にさえ入らないと主張してきたアメリカが、「急ぐことはない、ゆっくりやればいい」と前言を翻したのだから、譲歩したと解釈するのも無理からぬことだ。


日本のメディアには、そのトーンのものが散見される。特に毎日新聞の「<トランプ氏>段階的非核化を容認 米朝12日に会談」には「トランプ氏は(中略)非核化の段階ごとに見返りを得たい北朝鮮の戦略に理解を示す姿勢も見せた」とある。本当だとすれば、これは明らかな後退であり譲歩だ。どうも気になって、英文メディアを調べてみた。すると"Trump reinstates summit with Kim Jong Un for June 12 in Singapore"に"Experts said Trump's shifting rhetoric was necessary to keep the summit on track by reducing the gap in expectations between Washington and Pyongyang, which has signaled that it would negotiate only over a slower, step-by-step process to curb its weapons programs in exchange for reciprocal benefits from the United States and other countries."という類似の報道があるのを見つけた。


肝心なところだけをざっくり訳せば「非核化の段階的プログラムにより、それに応じた見返りをアメリカや他の国々から得る」ということになる。しかし、よくよく見れば「Experts said」と冒頭にあり、「専門家の意見によれば」ということで、どなたかの個人的見解に過ぎないことが分かった。


情報があまりに多くて錯綜し、しかも時々刻々変化していくので、こういう混乱が起きるのもやむを得ないのかもしれない。筆者も同様なので、その状況は理解できる。


それでも客観的事実だけを、できるだけ正確に把握するなら、ホワイトハウスは結果的に「経済制裁は、北朝鮮の非核化作業が最終段階に近づくまで解除せず、初期段階や中間段階ではペーパーベースの政治的見返りに留める」という方針を崩していないようである。


北朝鮮はさらに追い込まれる


それどころか、「これはトランプ流の嫌がらせでしょう。金正恩への圧迫戦術です。複数回の会談は金正恩が耐えられないし、段階的と言ったところで、その間に何も得られないのですから、金正恩はさらに追い込まれるだけだと思います」と指摘するのは、関西大学の李英和(リ・ヨンファ)教授だ。


なぜ追い込まれるのか。理由は二つあるとのこと。


一つ目:北朝鮮の経済の疲弊が進み、制裁解除と支援獲得が急がれるから。


二つ目:軍部の不満。首脳会談を重ねても、もらえるのは朝鮮戦争の終戦協定に関するペーパーなどで、肝心の金銭は入って来ない。めぼしい大義と対価をなかなか得られないと、軍部が反発する。


筆者との個人的な学術交流の中で、李教授はさまざまな鋭い見解と北朝鮮内の速報を知らせてくれる。軍のトップ層に関しては事実、核廃棄に向けた強硬派を排除して穏健派に入れ替えるという人事がここのところ行なわれており、軍部の不満を金正恩が恐れている状況が表面化しているという。


そうだとすれば、金政権の体制を保証すると約束しているトランプ大統領としては、金体制の崩壊を招くであろうCVIDを避けて、そのために「段階的非核化」を受け入れたのではないだろうか。


李教授は2016年の時点で金正恩が「いずれ核を放棄し、対話路線に転換してくる」と予測しており、朝鮮半島問題に関しては群を抜いた第一級の研究者だ。


その彼が5月29日付のコラム「トランプみごと!――金正恩がんじがらめ、習近平タジタジ」を「まさに、その通りだ!金正恩はやがてアメリカにシフトしていく」と評価してくれたので、この線は不変のまま続いていくものと判断している。


ノーベル平和賞を狙っているトランプ?


余談になるが、筆者は2017年7月に出版した(ということは同年5月に執筆した)『習近平vs.トランプ  世界を制するのは誰か』(p.59)で、「トランプ大統領は金正恩と会談してノーベル平和賞を狙っているのではないか」と書いた。今では少なからぬアメリカ人がそのように言い始めているようだが、1年前にこれを予想した人がどれだけいたのか、調べていないので分からない。


筆者は興味をそそる指導者あるいは政治家の心理を読み解いていく作業が好きだ。薄熙来(元重慶市書記)に関しては『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』で投獄されるまでの彼の人生とイギリス人を殺害したその妻・谷開来の心理を追跡したし、『毛沢東 日本軍と共謀した男』では、毛沢東の人生や心理を、日中戦争当時を中心に追いかけた。


習近平国家主席との対比においてトランプを描く際も、キッシンジャーとの関係を中心に追いかけていくと、「ああ、この人はノーベル平和賞を取ろうと狙っているのかもしれない。だから『なんならキム・ジョンウンとハンバーガーでも食べながら、お喋りしてもいい』と何度も言ったにちがいない」というところに行きついてしまったのである。


金正恩の心理を読み解くには情報と知識が不十分だが、少なくとも中朝関係の真相という視点から分析するなら、彼はアメリカと蜜月関係になりたいと望んでいるということだけは推測できる。トランプ氏が大統領でいられる時期がいつまでかによって違ってくるが、少なくとも彼(金正恩)は米朝蜜月を演じようとするだろう。それは米朝両国にとって「中国牽制」という意味で重要なファクターなのである。


[執筆者]遠藤 誉


1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『習近平vs.トランプ 世界を制するのは誰か』(飛鳥新社)『毛沢東 日本軍と共謀した男』(中文版も)『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。


※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。


≪この筆者の記事一覧はこちら≫




遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)


このニュースに関するつぶやき

  • 途中が段階的だろうと完全な非核化までは制裁は解除しないってことでしょ。これ以上制裁をしたくないってのも単に「これ以上手を煩わせてくれるな」の意味と捉えることもできる。記者はどっち寄りだ?
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