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超訳コーランの言葉で幸せの指南

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2018年06月22日 17:21  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<日本人にとって宗教はマイナスのイメージが強いが、イスラム教の経典コーランの中から日常生活にも役立つ一節を超訳で紹介>


日本で暮らしているとあまり実感できないが、生活の中で宗教が大きな意味を持っているという人は世界にたくさんいる。一方、当たり前だが、他国の文化や宗教を自国の尺度で見ようとすると、訳が分からなくなる。そして他文化や他宗教を理解するとなると、司馬遼太郎の言うように、「他国を知ろうとする場合、人間はみな同じだという高貴な甘さがなければ、決して分からないし、同時にその甘さだけだとみな間違ってしまう」。このあたりも、人の世の常である。


 


文化や宗教は、あらゆる歴史的事情とその出来事の下で集積されてきたものの結果だと考えられている。その文化と宗教は、無限とも言えるほど多くの破壊的事情を経験し、1つの枠の中に存在しながらも、互いに衝突や矛盾をし合っている。その矛盾やずれを整え、またその中に混入した異物や本質でない要素を取り払って、原形のようなものを取り出せないかという思いが最近、自分の中に増していくばかり。


イスラムの原形とは何か? その原形を取り出して見せることは可能なのか? そう考えたとき、真っ先に頭に浮かぶものはコーラン(イスラムの聖典)の存在である。


「イスラムの原形」や「宗教」という言葉を使うと、読んでいる人を必要以上に緊張させてしまい、「なんだか小難しい。やめとこ、やめとこ」と避けられてしまいそうである。


そこで、私が教えている大学で学生たちに質問してみた。「『宗教』という言葉はどの言語にもありますね。みなさんがそれを聞いたとき、マイナスの印象を持ちますか? それともプラスの印象を持ちますか?」


85人のうち3人だけが「プラスの印象を持つ」と答え、残りの82人は、迷わず「マイナスの印象を持つ」と答えた。圧倒的なマイナスイメージである。さらに、「なぜマイナスの印象を持つのか」と聞くと、「信じるものがなければ生きていけないようだから」「精神的に弱い感じがするから」という予想外の答えが返ってきた。


どうやら「宗教」という言葉とその意味合いは、イスラム教徒、とりわけアラブ人と日本人とでは根本的に違っているようである。このときの学生たちとのやりとりから、私には次のことが分かった。


日本人がイスラム教をとらえるとき、日本語の「宗教」という言葉を通して判断し、評価しているということだ。「宗教」と聞いただけでマイナスの印象を覚える日本人と、「宗教」という言葉に信頼や敬い、道徳などを連想するイスラム教徒は、どのようにしてコミュニケーションを取ればいいだろうか。


そこで、コーランの言葉を原文ないしは日本語訳で読んでも意味がつかめない人のために、私はある試みに挑んだ。コーランの数々の章の中から、誰にでも分かりやすそうなものをセレクトし、現代風に超訳することだ。いつの時代に読んでも、何歳になってもハッとさせられる、コーランの珠玉の言葉を超訳でここにご案内しよう。


「嫌なことこそ、良いことを運んでくれるかもしれない。また、好きなことこそ、悪いことを運んでくれるかもしれない」(雌牛章205)


イスラム教徒が日常生活の中で繰り返し使う言葉であり、全ての物事には「定めがある」という意味になる。分かりやすくするために、日常生活でこの言葉の意味が現れる場面を挙げてみよう。就職しようと思ってもなかなかできず、また断わりの手紙が届いた。また就職試験に落ちた......残念。たいていのアラブ人はこうつぶやく。「もしかしたら、この嫌なことこそ、自分にとって良いことにつながるかもしれないな」


一方、同じ場面で日本人だったらどうなのだろう。例えば、「あんなに事前に準備だってしたし、面接の受け答えだって良かったはず。もしかして自分の外見が悪いから就職できなかったのだろうか。それとももっと積極的に発言すべきだったのか。通勤時間がかかりすぎることも関係しているだろうか。こんなんだから彼女ともうまくいかないんだろうな〜。就職が決まらないなんてカッコ悪いし、親にも紹介できないなんて思うのかな〜」と考えたりするのではないか。


就職試験に落ちた理由など知ることはできないのに、自分の想像だけでどんどん深みにはまっていく経験は誰にでもあるだろう。または物事が予定通りにいかなかったとき、怒りをぶつける先がなくて他人を責めたり、自分や周りに失望したりして、なんとか失敗の犯人を見つけようとすることもあるだろう。でもそんなことをしても、かえって傷を深めるだけだったりする。


アラブでは不幸や不都合な出来事が身に降りかかったとき、「なんでこうなる!」と怒りの反応をみせた後、「もしかしたらこの嫌なことこそ、自分にとって良いことにつながるかもしれない」とすぐに前向きに考えようとする。 そうすると気持ちが落ち着いてくる。そして、「まあ仕方ない。そうなるようになっていた。自分はやれるだけのことはやったさ。次に進もう」と思える。


もちろん、自分がやりたいことがかなわなくてもいい、と思う人はいない。しかし、この考え方をもって生活すれば、日常生活のさまざまな場面や物事をあるがままに受け入れることが身に付いてくる。どんな大変な場面でも、何があっても、「仕方がない」と前向きに、悪く言えばのんきになれるのだ。


問題のない人生などありえない。だから幸せな人生を手に入れるには、問題の全てが消えるまで待つのではなく、その問題を受け入れて前向きな姿勢で臨む──これがイスラムの原形が諭す、イスラム流の生き方である。


【執筆者】アルモーメン・アブドーラ


エジプト・カイロ生まれ。東海大学・国際教育センター准教授。日本研究家。2001年、学習院大学文学部日本語日本文学科卒業。同大学大学院人文科学研究科で、日本語とアラビア語の対照言語学を研究、日本語日本文学博士号を取得。02〜03年に「NHK アラビア語ラジオ講座」にアシスタント講師として、03〜08年に「NHKテレビでアラビア語」に講師としてレギュラー出演していた。現在はNHK・BS放送アルジャジーラニュースの放送通訳のほか、天皇・皇后両陛下やアラブ諸国首脳、パレスチナ自治政府アッバス議長などの通訳を務める。元サウジアラビア王国大使館文化部スーパーバイザー。近著に「地図が読めないアラブ人、道を聞けない日本人」 (小学館)、「日本語とアラビア語の慣用的表現の対照研究: 比喩的思考と意味理解を中心に」(国書刊行会」などがある。




アルモーメン・アブドーラ(東海大学・国際教育センター准教授)


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  • 聖クルアーン、私も愛読していますが、雌牛章205「かれらは背を向けるやいなや、地上に悪を広めることにつとめ、収穫物や家畜を荒し廻る。だがアッラーは邪悪を愛されない。」が、どうしてそうなるんだ?
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  • 聖クルアーン、私も愛読していますが、雌牛章205「かれらは背を向けるやいなや、地上に悪を広めることにつとめ、収穫物や家畜を荒し廻る。だがアッラーは邪悪を愛されない。」が、どうしてそうなるんだ?
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