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明治維新150年の今だからこそ知っておきたい幕末日本のスゴい取り組み(2)

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2018年08月07日 20:02  新刊JP

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新刊JP

写真『明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった』(集英社刊)の著者、岡田晃さん
『明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった』(集英社刊)の著者、岡田晃さん
今年2018年は「明治維新150周年」。
NHKの大河ドラマでは「西郷どん」が放送され、いつになく幕末から明治という時代に注目が集まっている。

ところで、この時代は日本が産業面や経済面で長足の発展を遂げた大成長の時代でもある。『明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった』(集英社刊)は、2015年にユネスコ世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」の歴史的意義を史料価値の高い当時の写真を交えて紐解くことで、幕末から明治の日本の実像に迫る。

今回は著者で経済評論家の岡田晃さんにインタビュー。幕末の日本で始まった近代化について、その一端を語っていただいた。その後編をお届けする。

■清国の敗戦に仰天!幕末の大名が軍備増強に踏み切ったワケ

――本にも書かれていましたが、日本の近代化の原動力となったのは西洋の進んだ軍事力と工業力を見せつけられることで生まれた危機感でした。この危機感を早い時期から持っていたのは、佐賀や薩摩、長州など西日本の藩に多かった印象です。

岡田:そうですね。特に九州には当時唯一の外国への窓口だった長崎がありますので、海外の情報が入りやすかったんです。そこへ中国でアヘン戦争が起きると、当時アジア最大の大帝国だった清がイギリスにいとも簡単にやられて、香港が植民地になってしまった。そういう情報が入ってきて西の方の藩は驚いたでしょうし、すぐ近くまでイギリスが来ているという脅威を感じていたはずです。実際、薩摩藩主だった島津斉彬はアヘン戦争の情報を事細かに集めていて、「阿片戦争聞書」という記録を遺しています。

また、ペリーが浦賀にやってくる前、1800年代に入った頃から九州の近海ではイギリスや他の国の船が頻繁に目撃されていましたし、今でいう西南諸島の小さな島にイギリス人が上陸して島民を襲ったという事件も起きていました。そういうことがあって自衛の必要を感じていたわけですが、どうやら向こうは鉄の大砲と巨大な蒸気船を持っているらしいと。

――軍事力で圧倒的に劣っていた。

岡田:当時の日本の軍事力は刀と鉄砲ですからね。まして徳川幕府は謀反を警戒して近代的な銃や大型船の建造を全く認めていなかったんです。だから銃の技術も1600年頃の火縄銃から基本的に進歩していませんし、一番大きな船でも五十石や百石の北前船。もちろん蒸気機関はありませんから帆船です。

しかし、薩摩藩や長州藩は幕府の禁を無視して自力で船や大砲を作り始めたんです。その頃になると幕府の威光は衰えていましたしね。

最初は鉄の船など作れませんから、大型の木造船を建造するのと、あとは蒸気機関の開発です。これは書物を頼りに作らせた。島津斉彬は鹿児島で建造した木造の大型船を江戸湾まで引っ張ってきて、江戸で完成させた蒸気機関を搭載して、あちこちの大名を呼んで自慢していたらしいです。

――ペリー来航の前に日本の近代化が始まっていたというのは、知らない人が多いかもしれません。

岡田:蒸気船が完成したのはペリーが来た後ですが、研究自体はその前から始めていますし、佐賀藩が大砲製造用の反射炉を完成させたのはペリーが来る前です。

開国して西洋からの知識や情報が本格的に入ってくる前に、先進的な藩は書物で情報を集めて、藩士に命じて独自に研究していたというのはすごいことですよね。



――九州や西日本の藩以外にも、外国への危機感を持っていた藩はあったのでしょうか。

岡田:水戸藩や盛岡藩などでも危機感を持って海防強化や近代化に取り組み始めていました。藩でなく幕府の中にもそういう人はいて、伊豆にいた代官の江川太郎左衛門は軍備を増強すべきだと何度も提言していました。

当時の伊豆の位置づけというのは、江戸への海からの侵入を防ぐための「江戸湾の防波堤」でした。西日本の大名が謀反を起こした場合、伊豆で船での侵入を食い止めるという発想だったのですが、この時代になると外国船を食い止めるという発想も生まれていました。

ところが現実にはペリーが伊豆を通り越して浦賀沖まで入ってきてしまった。驚いた幕府は江川太郎左衛門に命じて江戸湾にお台場を築き、伊豆の韮山に反射炉を作ったんです。

――本書のテーマである「経済」についてですが、近代化によって日本の経済力はどれほど伸びたのでしょうか。

岡田:薩摩藩や長州藩、佐賀藩などは軍備を増強するために工業化を進めたわけですが、製鉄にしても造船にしても、設備を整えるためにはお金が必要ですから、自藩の産業を発展させました。

幕府の目があるからおおっぴらにはできませんが、薩摩などはこっそりと琉球や中国を相手に密輸もしていたようですし、島津斉彬などは工業化と並行して農業振興もかなりやっていた。江戸時代は今のように国からの補助金はありませんから、各藩は自力で藩を富ませないといけなかったんです。今で言う成長戦略であり、地方創生の先駆けとも言えます。

余談ですが、薩摩藩は鉄砲の弾を発射する起爆剤として大量のアルコールが必要でした。

アルコールの原料といえば米ですが、米は貴重です。だからサツマイモを使ってアルコールを作ろうと、サツマイモの栽培を奨励しました。それによって鉄砲で使うアルコールの他に、イモ焼酎の生産が増えました。それに合わせてイモ焼酎のにおいを抑える研究もしたそうです。今に繋がる薩摩の芋焼酎の元祖です。軍備を整えて、農業を振興させ、さらには食生活も豊かにするという、一石三鳥の知恵ですよね。

船も元々は軍艦が目的でしたが、次第に民生利用もされるようになって、民間の船も近代化されていきましたし、大砲の製造によって機械部品の製造や金属加工の技術が向上したということもいえます。こうした軍備増強の取り組みによって後の近代産業の基礎ができたところもあるんです。

大事なことは、経済力を高めることに成功した藩が明治維新の主役になったということです。

――今の時代に生きる私たちが、本書の中で書かれているような近代化に尽力した幕末の人々から学ぶものがあるとしたら、どのようなものだとお考えですか?

岡田:一つは「とにかく諦めないこと」です。職人の技術は高かったというお話をしましたが、とはいえ何もない中でスタートして、わずか30年という、バブル崩壊から今までと同じくらいの年月で工業の近代化を成し遂げてしまった。もちろん、途中で何度も失敗していますし、何度も諦めかけています。それでも決して投げ出すことなくやり遂げた。

単に粘り強かったということだけでなく、時代に後押しされたところも大いにありますが、彼らの諦めない不屈のチャレンジ精神には、今の元気をなくした日本にとって学ぶところがあるのではないでしょうか。

そしてもう一つは「日本経済はまだまだ捨てたものじゃない」ということです。この本で取り上げた幕末の先人たちが築き上げたものの上に、私たちの経済は成り立っています。しっかりとした土台があるわけですから、その上に新たにパワーアップした日本を築いていけばいい。

この本を読んで、当時の人々の熱気を感じ、新しい社会を作ろうとした志の高さを知っていただけたらうれしいですね。
(新刊JP編集部)

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