イスラム大巡礼を利用して紛争地の感染症データを収集せよ

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2018年09月05日 17:02  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<イスラム教の聖地に集まる巡礼「ハッジ」を利用して、実態がつかみにくい紛争地帯の感染症対策が可能に>


年に1度、世界中のイスラム教徒がサウジアラビアに押し寄せる。目的はハッジ(大巡礼)――イスラム教の聖地メッカに巡礼する世界最大規模の大イベントで、イスラム暦の12月、今年は8月下旬に行われた。


期間中に180カ国以上から集まる巡礼者は推定200万人。そして、彼らの健康状態に目を光らせる医療関係者2万5000人もやって来る。


中東と北アフリカでは近年、市民暴動や紛争、大量の難民が原因で感染症が大流行している。ベイルート・アメリカン大学などの共同調査によれば、「戦争とその後の無秩序状態は往々にして感染症が拡大し、再燃する格好の条件を生む」という。


例えばシリアでは、7年に及ぶ内戦で公衆衛生システムが崩壊。病院や診療所は破壊され、医療スタッフは逃げ出し、抗生物質や抗炎症薬、果ては点滴用の薬剤も不足する始末だ。


幼児期の予防接種プログラムは中止され、水道の浄化施設が機能停止してきれいな水が手に入らず、結核、皮膚リーシュマニア症、狂犬病、肝炎、エンテロウイルス、赤痢、サルモネラ、上気道感染症が同時に流行。インフルエンザも蔓延している。


シリアやイラク、南スーダンでは、根絶またはほぼ根絶され、ワクチンで予防可能なポリオや麻疹(はしか)などの病気が息を吹き返している。イエメンとソマリアではコレラが大流行し、WHO(世界保健機関)によれば近年最悪のレベルに達した。


こうした紛争多発地帯では珍しい病気も増えている。銃撃戦や空爆で破壊された村では虫や野犬などが増え、それらが媒介するリーシュマニア症、狂犬病、疥癬などが増加。食品・水質汚染により、ブルセラ症、トキソプラズマ症、髄膜炎、リステリア症なども増加傾向にある。


最近は人道援助団体が紛争地で活動することも極めて困難で、感染の規模を十分把握し難い。「紛争地における公衆衛生制度の混乱を考えれば、マスギャザリング(大勢の人間が集まるイベント)は定点観測調査と公衆衛生的介入を1カ所でできる好機だ」と、サウジアラビアのジアド・メミシュ元副保健相らは指摘する。


国を挙げての取り組みが


12年にWHOマスギャザリング医学協力センターを創設したメミシュはこの分野の先駆者的存在であり、サウジアラビアはマスギャザリング医学の本場だ。サウジアラビア政府は長年、米疾病対策センター(CDC)やWHOなど公衆衛生関連機関からアドバイスと技術支援を受けており、ハッジ期間中の公衆衛生上の取り組みを管理し、資金も出しているとメミシュは言う。


世界各地から大勢の巡礼者がメッカを目指して旅に出るが、道中で病気に感染する可能性も Yawar Nazir/GETTY IMAGES


2万5000人の医療関係者がサウジアラビア各地に配置され、病気になった巡礼者の世話をするかたわら、疫学的データを収集する。陸・空・海の玄関口に設けられた13の検問所で、衛生指導員、看護スタッフ、公衆衛生の専門家や医師が巡礼者の予防接種記録をチェックし、必要に応じて予防薬の投与やポリオワクチンの接種を行う。


ハッジ期間中はベテラン医師の監視チームが臨時の医療キャンプを巡回し、感染症の症状が出ている人間がいないか確認する。メッカとメディナの常設の病院に加え、臨時の病院と診療所も25カ所に設置される(病床数は合計5000床を超える)。


こうした取り組みにより、メミシュの試算では巡礼者の60%近くの疫学的データが集められ、指令センターに送られてリアルタイムで監視・分析される。集めたデータはWHOや世界の医療関係者に公開される。


こうした取り組みは貴重だ。人道的介入と国際的な健康安全保障を進展させると同時に、新たな病原菌について理解する手掛かりも提供し、感染症の世界的流行を防ぐのに役立つはずだ。ある国でどんな種類の病気が蔓延しているかを把握できれば、医療用の備蓄や治療をより正確に行えるようになる。


過去の研究では薬剤耐性菌の有無を調べ、感染パターンに関する極めて重要な情報が得られた。帰国した巡礼者については監視を続けられないため、旅の道中での感染の実態は不明だが、大勢の人間が集まって接触する場では巡礼者(特に免疫力の低下した者)の感染リスクは高まるとされる。


もっとも、病気が重く高齢で貧しい人々はハッジに参加しないので、調査で明らかになる疫学的パターンが必ずしも巡礼者の出身国全体の状況を反映しているとは限らない。それでもメミシュに言わせれば「アクセス困難な紛争国で何が起きているかを把握するには、ハッジは千載一遇のチャンスだ」。




[2018.9. 4号掲載]


ジェス・クレイグ


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  • 国連が紛争解決をしようとしないから、こうして負の遺産が築かれ続けていることを言わないのは何故なのだろう?
    • イイネ!20
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