本土に伝わらない沖縄の本音と分断

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2018年09月28日 19:22  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<保守系ネット番組しか見ない若者と基地議論をタブー視させる空気──報じられない沖縄県民の断絶と心のひだ>


2018年、沖縄の夏は光と影に包まれた。光となって沖縄を照らしたのは、「平成の歌姫」安室奈美恵さんだ。那覇市内には安室さんのポスターや歌があふれ9月16日の引退前後には全国からファンが駆け付けた。沖縄が、日本が彼女の新しい人生の門出を祝福していた。


今年5月、翁長雄志知事(当時)は沖縄の光である安室さんに県民栄誉賞を贈った。そして、それからわずか3カ月足らずの8月8日、その翁長知事が膵癌で急逝。11月に予定されていた沖縄県知事選挙は9月30日に繰り上がり、県民は沖縄の真の問題を問われることになった。戦後ずっと、沖縄に影を落としてきた基地問題だ。


私が生まれ育った沖縄で新聞記者として働き始めてから、11年がたとうとしている。大学を卒業して沖縄タイムスに入社し、学芸部や社会部を経て14年からはデジタル部門を担当している。


インターネットに配信する沖縄のニュースで重視している分野は大きく3つある。


まずはエンターテインメント。安室さんを筆頭に、沖縄は全国で活躍する歌手や俳優を多数輩出していることもあってニーズが高い。次に観光。17年、沖縄にはハワイの観光客数を約1万3200人上回る939万6200人の観光客が訪れた。グルメからリゾートホテルのオープン、ビーチやイベント情報、台風の最新予報まで小まめに配信する。


そして、もう1つが政治だ。米軍普天間飛行場の移設問題に絡む翁長前知事の発言、沖縄県や沖縄防衛局の動きをはじめ防衛省、安倍晋三首相の考えなど沖縄と国の動向を発信している。


これらのニュースを毎日配信しながら、ツイッターやフェイスブックなどのSNS、ヤフーやスマートニュースなどのニュースメディアもチェックする。


エンターテインメント、観光はネットで好意的に受け取られる。一方で、政治に関しては罵詈雑言のコメントが並ぶ。「死ね」「アホ」「反日」「売国奴」「中国のスパイ」......。エンタメや観光のニュースは「事実」なのに政治は違うようだ。


それでも、全国の人に本当のことが届かなくても、沖縄県内には新聞が届いている。沖縄県民は分かってくれている。そう信じたい私がいた。


「高校生が企画・運営するダンスイベントがあるので、告知の協力をしてもらえませんか」


15年秋、地元の後輩から連絡があった。面白そうだと思い、会社で会うことになった。


「新聞は真実を伝えない」


応接室にやって来たのは高校3年生の2人組。学校が終わると、ストリートでダンスの練習をしているという。眼鏡を掛けて、私より少し高い165センチほどの背丈。制服の白シャツは彼らの細身の体を持て余していた。「学校の外でも活動している高校生の披露の場がないので、自分たちで企画しました。多くの人に来てほしい」。スポンサーも自分たちで集めてきた17歳を応援したいと思った。 


「ネットは新聞紙面で掲載した後にアップしますね。今日は来てくれてありがとう」


私がペンとノートを鞄にしまい、彼らと一緒に部屋を出ようとしたところ、2人が顔を見合わせてから、こう言ってきた。「あの、新聞って本当のことが載ってなかったりするんですよね。ネットだけに出してもらえませんか」。事態をのみ込めず、話を聞いた。まとめるとこうだ。


彼らは情報をネットから収集している。メッセージアプリのLINEで流れてくるニュースは読む。ネットで沖縄の新聞は事実と違うことを書いていると読んだことがある。ニュース系でよく見ているのは YouTube の「KAZUYA Channel(カズヤチャンネル)」。新聞は読んだことあるのかと聞くと「紙は今まで一度もない」ことが分かった。


カズヤチャンネルは、今年9月18日現在、登録数が53万3448人にも上る人気チャンネルだ。保守系の論客、KAZUYA氏が時事問題や歴史を解説する。18年5月頃から、YouTubeの利用規約に反するという通報が相次ぎ、差別動画の多くが見られなくなっているが、若者を中心に支持されている。


若者は「マス」メディアにほとんど触れなくても、YouTubeは見ている。5分程度でニュースを解説するカズヤチャンネルの手軽さもある。沖縄に限ったことではなく、スマホの登場で接触する媒体が「地元」から「全国」に移り、地元に根差した歴史、地元特有の考え方に触れにくくなっている。


ちょうど同じ頃、基地問題を学ぶあるイベントで知り合ったのは、普天間飛行場の移設で揺れる名護市辺野古にある沖縄工業高等専門学校に通う学生だった。彼もカズヤチャンネルを見ていた。


辺野古のゲート前では、早朝から移設に反対する人たちの座り込みで渋滞が起き、その影響で遅刻する学生が出始めていた。ツイッターでは、若者たちが反対する人たちへの批判の声を書き込んでいた。


イベント会場で「沖縄タイムス」の腕章をしていた私の所にその学生はすっと寄ってきた。小声で「記者さん、僕たち、校遅刻するから迷惑なんだけど、それも書いてよ」と話し始めた。


「なんで今日このイベントに来たの?」


「いや、おじーおばーがあんなに一生懸命反対しているから、理由を知りたかった」


「基地ができた歴史とか、辺野古に新しい基地を造ろうとしている経緯を知らないの?」


「全然分からない」


沖縄が分断されていく予感がした。ふるさとの歴史を知っているか、そうでないか。情報源が地元のマスメディアか、ネットか。基地があることに賛成か、反対か。さまざまな事象が錯綜している。


ただ、これらは沖縄において、基地のことをリアルな場で語りにくい現実にも起因している。


基地が語られない背景


「オスプレイが普天間飛行場に配備されたことについて、感想を聞かせてください」


基地問題に関連する政治的な出来事や事件事故が起きたとき、新聞では市民の声をまとめることがある。そんなときは、街に立って片っ端から声を掛ける。突然話し掛けられたことへの驚きもあるだろうが、「基地問題」という言葉への反応は良くない。


「あんたたちのせいで、普天間は返されない」と言ってくる人もいる。熱心に反対運動をしている人を除いて、3〜4時間声を掛けても誰も話してくれないのはザラだ。


沖縄には公に名前を出し、顔を出して基地問題を語りにくい理由がある。


1つは、普天間飛行場の移設問題のニュースが込み入っていることだ。例えば、辺野古への新基地建設をめぐって国、沖縄県、市民らが起こしていた訴訟は15年12月には5件あった。連日、複数の訴訟が同時に報道されるため、正直、記者である私も全てを理解して追い掛けることがやっとの状況だった。著名な法律家が「実は、辺野古関連でいくつ訴訟をやっているのか分からない」と、こっそり漏らしたこともあった。


かなり高度な内容に、地元の友人は「恥ずかしいけど、難し過ぎてついていけない。自分が知っていることが正しいのか分からないから、話し切れない」。沖縄で活躍するライターも「難易度が高過ぎて扱い切れない」と吐露した。


もう1つは家族間や親戚間でも意見が割れてしまうことだ。普天間飛行場を早く辺野古に移設し、経済の問題に注力すべきだという人もいる。県内への移設は固定化につながると考えて反対する人もいる。当初は辺野古への移設に反対だったが、96年に普天間飛行場の返還が合意されて20年以上も実現しない現状に、もう辺野古に移設したほうがいいと考える人もいる。それぞれの思いを熱く語ってしまえば、ケンカにもなる。人間関係が壊れてしまった人もいる。だから、口は重い。


基地の従業員として生計を立てている人たちもいる。目の前の子供がたまたまその人たちの子で、それを知らずに基地批判をしてしまったら、子供はどんな気持ちになるのか。一体、どう語ればいいのだろう。


地元の友達と飲みに行っても基地問題に触れることはない。語れば「面倒な」人になる。語りたければ、普段のおしゃべりの中から何年も何年もかけて、この人なら語っても大丈夫だと自分なりに確信を持ってからでないとできない。


「地元」コミュニティーの強さが、逆に語りにくくし、本音を見えにくくしてしまっている。そもそも沖縄県民がなぜ基地問題に、こんなにも敏感にならないといけないのか。


「差し出した基地はない」


米軍は、45年の第二次大戦中から沖縄の土地を「強制的」に奪い、基地を建設してきた。52年にはサンフランシスコ講和条約が発効し、日本は独立したが、それと引き換えに沖縄はアメリカの統治下になった。日本国憲法は適用されず、自己決定権もないことで、米軍基地が本土から沖縄に集中した。


57年、群馬県の演習場内で薬莢を拾っていた女性を米兵が射殺する「ジラード事件」が発生した。本土では、米軍駐留への批判が相次ぎ、当時の岸信介政権が米軍の撤退を要求。ドワイド・アイゼンハワー大統領は沖縄への基地移転を急いだ。沖縄でも、基地の拡張や奪われた土地代の一括払いに反対する「島ぐるみ闘争」が繰り広げられ、世論も高まったが、「無視」された。


普天間飛行場も米軍が飛行場に適していた宜野湾の土地を奪って建設したものだ。関東地方の米軍基地を大幅に縮小する「関東計画」の影響もあって、79年に本土からヘリが移転し、「世界一危険な米軍施設」(03年、ドナルド・ラムズフェルド国防長官)になっていった。


沖縄県民が何かしたのだろうか。翁長前知事は国連で「沖縄県民が『どうぞ』と差し出した基地はない」と述べた。そう、ないのだ。


県外への移設を求めても、本土に引き取り手は見つからない。国は沖縄に基地を置く理由に「地理的優位性」などを挙げていたが、18年9月、石破茂元防衛相が沖縄への米軍基地集中は、政治的なものだと認めた。


これは一体、沖縄の問題なのだろうか。沖縄を引き裂こうとしている正体は、沖縄にあるのだろうか。


沖縄をめぐるヘイトやフェイクニュースがネットではびこるなか、沖縄の問題を全国により届ける方法を研究したくて、17年に私は会社を休職し東京の大学院でデジタルジャーナリズムを学び始めた。毎日沖縄への罵詈雑言をチェックしていた時は、私も本土の人たちは沖縄のことが嫌いなのだと思っていた。


でも東京では、沖縄出身だと言うと羨ましがられた。聞かれるのは、観光スポットやホテルの情報、沖縄出身の芸能人のこと。「基地のことはいいの?」と聞くと、「あんまり分からない」「難しいんで」。彼らは基地問題にはあまり関心がなく、ネットの発言が荒れているのは、一部の人たちによるものなのだと分かった。


東京は、沖縄で話しにくかった基地の話をしやすい環境でもあった。同郷の友達と飲みに行ったとき、初めて基地の話をした。客観的に地元を見られることと、「空気」の力が働かないことにあるのだろう。「沖縄で話せなかったね」と笑った。


本土のメディアの人たちに会う機会があると「今度、辺野古のゲート前でインタビューしてきます」「沖縄の人たちがあんなにも反対しているのに、国のやり方はひどい」と言われる一方で、「沖縄の報道は偏り過ぎている」と批判を受けることもあった。


18年2月の名護市長選では、直前の世論調査で市民の3分の2が辺野古新基地に反対していた。東京で建設反対の現職市長が勝利するのだろうと動向を追っていたら、結果は逆だった。


メディアで働くと、どうしても最前線の現場に行きたいし、沖縄のこれまでの歴史を知り、基地への意見を明確に発言してくれる人と会いたくなる。結果、そうした声の報道が多くなる。


だが、揺れる心をうまく説明できない県民もいる。「新聞はウソだ」とネットを信じる若者もいる。政府の強硬な態度に諦めてしまう人もいる。


こういった声も時折、新聞紙面では紹介している。全ての記事をネットで公開しているわけではないから、ネットだけを見ていると一部に偏って見えるのかもしれない。


数字では測り切れない複雑な心のひだが、県民一人一人にある。沖縄の本音は一体、どこにあるのだろう。いつも、虚構を生きているような気がしてならない。


<本誌2018年10月02日号[最新号]掲載>




與那覇里子(沖縄タイムス記者)


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  • しかしながら埋め立て空港は沖縄トラフが発動すれば海の藻屑���ä��� 山間部を開拓すれば如何かぇ�ͺ�����
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